kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年10月24日

だから、私はスパムは嫌いだと何度言えば(怒)

怒ってもしょうがないんだけどね。相手はbotだから。(諦)

2ヶ月前にちょっと書いた「Twitterの変なスパム」と同じパターンのものが、またやってきた。何語圏に拠点があるのかも判然としないTwitterのbotアカウント(としか思えないもの)が、英語やフランス語、アラビア語、日本語などで書かれた他人のツイートをコピペし、まったく何の脈絡もなく、YouTubeにアップされているCGの映像のURL(短縮URL)を付け加えているのだが、また私のツイートがコピペされた(盗まれた)。私だけでなく、日本語圏も含め、一般のツイッタラーさんたちが何人も被害にあっている。


パクられた私のツイートを含むスパマーのツイートが、例によって、はてブのページに表示されている。

htbtwsp24oct2015.png


スパマー(例によって、「ポルノ」には該当しないような女性の水着写真をアバターとして使っている)のツイート:


※アバターとして使用されているのはおそらく「素材写真」と思われる。Google画像検索の結果より

このスパマー(Emilyと名乗っているが、おそらく中の人などいない)のTwitterのページのキャプチャ。画像クリックで、もっと大きな範囲のキャプチャ(長さ5000ピクセル以上でちょっと重い。一部、パクられただけの画像を加工してある)が原寸大で表示されるようにしてあります:


この中に、私のツイート以外にも日本語のツイートをコピペしたものがいくつかあって、そのひとつが:


この文面の一部でTwitter検索すると、元のツイート(スパマーのEmilyにパクられた被害者のもの)が出てくる:

※キャプチャ画像を一部加工した。

スパマーのEmilyは、このように、いろんな人たちのツイートをコピペして盗んでいるが、そこに同じURLをくっつけてツイートしている。このURLだ。





これを、LongURLで解析するとこうなる。



…… (・_・) どうやらまた、2ヶ月前と同じビデオの宣伝のようですね……

しつこいな、これ。

というわけで、怒っててもしょうがないので、スパマーのEmilyには視界から消えてもらいましょう。やり方は前に書いたとおり



さようなら。二度と来るな。


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※この記事は

2015年10月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:41 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼