「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年10月18日

続・「人によって見えている世界が違う」ということ(Twitter的に)…The Drone Papersの場合

「フィルターバブル」についての10日のエントリに追記しようかとも思ったのだが、別立てにすることにした。特に理由はなく、何となく。

アメリカによるドローン攻撃についての内部資料のリークを受けてThe Interceptがごっつい内容の報道を行なった15日から16日にかけて(日本時間)、もし私がオンラインでTwitterにログインして画面を眺めていたら、私の視界はこの報道についてのツイートが8割を超えていたのではないかと思う。私の「フィルターバブル」はそのようになっている。

一方で、普段から日本語圏だけにいたら、アメリカでのそんなリーク報道は、日本語になっていなければほとんど視界に入ることもないだろう。英語メディアをウォッチしている日本語話者のアカウントはTwitterにはいくつもあるけれど、NHKなり何なりの大手報道機関が日本語で記事にしないことには、日本語圏ではほとんど人の目に留まらないのが現実だ(逆に記事になりさえすれば、異様にたくさんの注目が集まることもある)。

その実例を、今回のこの「ドローン」報道で実際に見ることになった。







↑そもそもなぜ、本題の前置きでしかないこれに7 favもつくのかもわからないのだが(文面読めばそういう流れだということはわかるはず)……



↑こちらは2 RT, 2 Favである。こっちが本題なんですが。



↑これも2 RT, 2 Fav.

なんていうか、「今日は晴れていて日差しはぽかぽかと暖かいけれど、北風が強いのでとても寒く感じられます」という文を、「今日は晴れていて暖かいです」と切り出されて、そこだけ回覧されているような気分。論理的に「そうじゃない」っていう感じ。

ともあれ、「フィルター・バブル」の内と外の話。




最近のTwitterでは、多くのワードで、英語で入力しても日本語圏では日本語の検索結果が表示されるのがデフォとなっている(lang:enなどの言語指定をしていない場合)。なので、「drone」で検索しても「ドローン」の結果が示されるのはデフォである。

「フィルター・バブル」の外(Twitterにログインしていない状態)。「ドローン」といえば「ラジコンヘリの仲間」の例のあれ、という世界:
http://f.hatena.ne.jp/nofrills/20151016205032
→ 一部だけ切り出すと:
drkss.png

「フィルター・バブル」の中(Twitterにログインした状態)。「ドローン」といえば軍事用無人機、という世界:
http://f.hatena.ne.jp/nofrills/20151016205018
→ 一部だけ切り出すと:
drkss2.png

なお、上記のキャプチャは、The Interceptの記事が出て11時間ほど経過した16日の朝(日本時間)のものだが、その何時間かあとには「トルコが、どこのものかはっきりしないドローンをシリアとの国境地帯で撃ち落した」というニュースがあり、Twitterはその話題で埋め尽くされてしまっていたと思う。

ガーディアンの「ドローン」関連記事の一覧でも、コメントの総数でその「話題」になりっぷりがわかるだろう。



ちなみに、トルコで撃ち落された「ドローン」というのはこれ。




「フィルター・バブル」についてはイーライ・パリサーのこの本は必読。

閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義
イーライ・パリサー Eli Pariser

つながりすぎた世界 ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること ネットが社会を破壊する ──悪意や格差の増幅、知識や良心の汚染、残されるのは劣化した社会 つながらない生活 ― 「ネット世間」との距離のとり方 つながりっぱなしの日常を生きる: ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの

by G-Tools

【楽天ブックスのリンク→】閉じこもるインターネット [ イーライ・パリサー ]

※この記事は

2015年10月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 03:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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