「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年10月09日

アイルランド(全島)がフットボール・フィーバー

欧州のサッカーは、現在、Euro 2016(2016年欧州選手権、フランスで開催される)の予選の終盤だ。ラグビーのワールドカップも開催中で、スポーツニュースがやけに熱いのだが、今日はアイルランドが大騒ぎだ。それも全島規模で。

いや、ラグビーのことなら全島規模で大騒ぎになるのは既に普通だが(ラグビーはアイルランド全島でひとつの代表)、サッカーで北アイルランドもアイルランド共和国もどっちも大騒ぎ、お祭り騒ぎである。

北アイルランドがギリシャを3-1で下して本大会出場を決めた。

アイルランド共和国は世界チャンピオンのドイツを1-0で下して、出場権獲得に望みをつないだ。

















ああ、どうしてこの人たちはこんなにかわいいんだろう。

それでも、ベルファストはなかなか難しい。デリーで「紛争後」のプロセスがとてもうまくいっている(それでも過激派はいるけれど)一方で、ベルファストでは社会の表面の部分にまだ「紛争」の構造が残っている。いろいろあって、それがどんどんほどけてきているのが2015年だが(「過去の紛争」より大事なこと、取り組まねばならないことがあるときに、政治が「過去の紛争」で紛糾しているのをあれだけ見せ付けられているわけで)。













(いくつか略)









歴史が、動いている。

動いたあとのことしか知らない人は、「歴史が動いている」ことに誰かが注目し、それを言語化することに違和感を抱く。「女性差別なんて、過去の話でしょう? 今更、蒸し返す必要はないんじゃないの?」というように。

そして、そんなふうに「歴史」が動いているときに、リパブリカンの環境の人と、ロイヤリストの環境の人が、《対話》をしている。






「区分なんて、本気で、ばかばかしい」ということが北アイルランドで認識されだしてから、まだ10年くらいだろう。その認識を一般的なものにするうえで、スポーツは大きな役割を果たしてきた。正確に言えば、「スポーツ選手」が大きな役割を果たしてきた。ゴルフのマキロイ、ボクシングのフランプトンといった人たちだ。

マキロイもフランプトンも、ウィンザー・パーク(ベルファスト)のスタジアムで、北アイルランド代表が「歴史を作る」のを見ていた。




いろいろ、アーカイヴ。
http://chirpstory.com/li/288223



10月19日追記:
ラグビーのワールドカップで一次リーグが終わり、グループ首位でトーナメントに進んだアイルランド代表の試合(対アルゼンチン)が18日に行なわれた。そのときの北アイルランドのリストをわたしは何となく眺めていたのだが、その一部をメモっておく。




試合経過はこちら。出だしでつまずいたアイルランドは、前半を10対20のダブルスコアでの劣勢で折り返した。




後半、アイルランドが追い上げ、一時は20対23と僅差にまで詰め寄ったが、あとはずるずるとアルゼンチンに引き離されて最終的には20対43で敗れた。

北アイルランドのリストに目立った動きが出てきたのは、後半開始後、アイルランドが追い上げていきだしたときのことだった。













「固唾を呑んで見守っている」とか「ヤケ酒をかっくらっている」とかそういうミームがいろいろと流れてきた(けど「お茶いかが」は流れてこなかった)。

しばらくは「いいぞ!」といった歓声が上がり続けていたのだが、やがて失速。ドゥーガル本人(?)もこの調子だった。
















そして、このころには、「北アイルランドのリスト」は、「なあに、まだスコットランドがある」という流れになってきていた。「アルスターは半分はスコットランド」だしね。(実際は多くがウェールズも応援してた。ホーム・カントリーの中で「イングランド以外」ならいいらしい。)アイルランド共和国側ではどうだったのか、詳しい動きはわたしは見ていないが、いくつかRTされてきていたのは全部「ひたすら悲しみにくれている」調子だった。






こういう人もいるんだけど(笑)。









そして、試合中のダブリン(笑)。




おお、あいるらんど!






LAD(パロディアカウント)といえば、LADのTシャツの人がカーディフ(試合会場)にいたというのだけど、写真の手前のおっちゃんもいいよね、これ。




ラグビーの件に関しては、下記も。
http://nofrills.seesaa.net/article/428115548.html

※この記事は

2015年10月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 13:00 | TrackBack(1) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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"Go west" と "go south"...「西」か「南」か、英語の慣用句は楽しい。
Excerpt: 「英語」と一口に言っても世界的にはいろいろな「英語」があり、文法はほとんど違いがないとはいえ単語や熟語、言い回しが異なっていることが多いというのは、語られつくした話である。特にその「異なり」が大きいの..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-10-19 19:39

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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