「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年09月22日

わかりやすいところにしつこいほどリンクをしてあるのを読みもしていないかもしれない者から、当方が「罪深い」と批判されている件について。

まただよ。心底うんざりだ。






ファイルの処理に予想外に時間がかかってるので、それが終わってからではなくそれを待ってる間にちょっと書くよ。

はてなブックマークを使ってない人もいるだろうから、そこらへんからも少し説明する。

まず当ブログの当該エントリへの「ブクマ一覧」のページは下記のように表示されているはずだ。


※以下、「via kwout」の部分のリンクをクリックすればキャプチャ日時も誰にでも確認できるので、検証したい方はどうぞお好きなように。いちいち書いておかないとそこで文句言うのが出るから書いておくけど、確認できることを確認せず、読むべきものを読まずに文句言うのはほんと、やめて。時間の無駄以外の何ものでもないから。

このキャプチャは私が「はてな」にログインした状態でのもので、私以外の人がログインした状態や、そもそもログインをしていない状態とでは少しは表示が異なるが、根本的に重要な部分は万人に同じように見えているはずだ。つまり12人がブクマしているということ、「恋人」などという他人には意味不明のタグがつけられていること(これはid:fusanosuke_n氏とは別のユーザーによるものであるが、はてなブックマークのタグは基本的に本人が識別できるものであれば何でもいいので、他人には意味不明ということもあるだろう)。

次に、「ブクマコメント一覧」の画面。何も設定しなければ、次のように「ブクマコメント一覧」が表示されるが、ブクマされるサイトやブログのオーナーは、この「一覧」を表示させないように設定することができる。

「ブクマコメント一覧」が表示されている例(私がNAVERまとめを利用して作成したページの例)。ページ中ほどの「人気コメント」(はてなスターがたくさんついたコメント)、「新着コメント」、「すべてのブックマーク」のタブの切り替えで、表示させる内容を選ぶことができる。「すべてのブックマーク」を選ぶと、「コメント」欄に何も入力されていないもの(「無言ブクマ」と呼ばれるもの)も、タグだけのものも表示される:



このブログに関しては、この「一覧」を一般に表示させないよう、ブログ・オーナー(私)が設定している。その「一覧非表示」の理由については、非表示にしたときに説明のエントリを書いたし、それでもがたがたがたがたがたがたがたがたうるさいのが湧いてきてかなわないので、次のキャプチャ画像のような「お知らせ」をわざわざ書いて、ブログの記事上の部分に表示させている。それを見ていないのは、見ていない者の責任であり、私の責任ではない。(⇒スマフォでの画面をあんまりがちゃがちゃさせたくなかったのでこれまで入れてなかったけど、今、入れました。こういうのあると「いかにも荒れてる」ように見え、「揉め事」大好きな野次馬をひきつけるだけだからほんとはいやなんだけど。2015年9月22日、20時すぎ)



ここまでやっているのに、これすら読まずに、こういうことを言うのが現れ、私の時間を無駄遣いさせるのである。てか、あんた誰、っていう間柄でしかない人(つまり知らない人)が当方について勝手に発言していることによって、無駄に時間を吸い取られるいわれは当方にはまったくない。(今はファイルの処理待ちだからそこはやかましく言わない。)

知り合いでも何でもない人が、ある人の書いたものについて、「読むべきものを読まずに、公的な場で言いたいことだけ言う」という事態(さらに言えば、それらの「誰かが書いた適当なコメント」が「拡散」してしまうという事態)について、もともとの文を書いた人がどこまで対応すべきかという問題は、ネットではずっと以前からあったのだが、SNSが普及したあとは、それがほんとに日常的な問題になってきた。それに根気よく対応できる方もおられるだろうが、あいにく、私はそうではない。


海外ニュースの分析blogでブコメ非表示にしているところが実に罪深い。誤訳や誘導があってもBBCやガーディアンがそう報道してるんだなと誤解させるに十分。
http://b.hatena.ne.jp/fusanosuke_n/20150922#bookmark-266793621


だから、原文へのリンクを、しつこいほどはってるわけで(通例、初出箇所だけリンクすればいいんだけど、同一エントリ内で何箇所かにはってる)、確認したければそれを読めばいい。それも読めない・読まないのは読者の問題であって、私(ブログオーナー)の問題ではない。

原文チェックした上で何か指摘したいことがあれば、(ブログを持っていない場合、ブログは他人のブログのコメント欄に書き込むのと同じくらいの手間で開設できるのでブログを開設し、そこに言いたいことを書いた上で)トラバをご利用ください、というのは、当方の以前からの基本的ポリシーである。何年も前から(2008年から)ずーっとオープンにしてある当ブログにおけるコメント欄(2012年に全面的に閉鎖)&トラックバック・ポリシーは下記。(何年も前からずーっとサイドバーに表示させている。)
http://nofrills.seesaa.net/article/40419881.html

※コメント欄の閉鎖の理由までここで説明しなくてもいいと思うんですが、上のリンクに書いてありますので、気になる方はどうぞお読みください。端的にいえば、スパムの対応と、無関係な話題の投稿への対応に疲れたからです。復活させるつもりはありません。トラバは閉鎖するつもりはありません。

で、話を元に戻して、id:fusanosuke_n氏が「罪深い」と断罪してかかってくださっている当方のエントリのブクマコメント一覧について(←私がログインした状態じゃないと見れません)。

「はてなブックマーク」は、ユーザーが非公開で利用しているケースもある。その場合、「ブクマ総数」にカウントはされても、「一覧」には一切表示されない(ユーザー名も表示されない)。Twitterの「鍵つきアカウント」と同じようなものである。

で、このエントリをブクマしている12人のうち、4人はそういう「非公開」のユーザーで、私に確認できるユーザーは8人。そのキャプチャが下記(ただし容量をおさえるため白黒変換するなどしてある)。


※画像クリックで原寸。

※いずれもそれぞれのユーザーさんのページでは公開されていることなのでユーザー名をマスクする必要はないんだけど、そのかたがたには無関係な話なのでマスクしました。キャプチャ時刻などが気になる方は、via kwoutでご確認ください。

以上、「罪深い」私がお届けしました。

原文へのリンクをしていないとか、誤訳を理由なく放置しているなら「罪深い」と言われてもまだわかるけど(それでもこの宗教くさい用語はどうかと思うよ)、「誤訳しているかもしれないのにブクマ一覧が非表示だ」といって「罪深い」と言われるのは、到底納得できるものではないです。あと、そういうことを言いたいのなら、「〜しているといけないから」的にifの文でそういうことを書く前に、「実際に原文を参照し、実際に誤訳していないかどうかを確認する」のが筋ってもんじゃないですかね。

ちなみに、普通に誤訳を指摘する場合、具体的に「どの箇所がどうおかしい」ということを指摘するものであり(例えば「第二段落の1行目がほにゃららと訳出されていますが、原文ではso-and-soです」とか「原文の最後のパラグラフの出だしのcouldが、直説法として過去形で訳出されていますが、仮定法では」とか、「so-and-soの訳語としてほにゃららという用語が使われていますが、現在ではごにょごにょという用語に変わっています」、「バグダードとバグダッドが不統一で、バクダットという間違った表記も混在しています」のように)、「この文章は誤訳だらけだ」などと漠然としたことだけ書くのは、単に訳者の信用失墜を狙った誹謗中傷であることが多い……というのは、わりと広く共有されている認識だ。

余談として、当方の経験上、「誤訳の可能性が〜」と漠然としたことを言う輩に限って、英語が読めないということは珍しくない(今回当方を「罪深い」と断罪した人がそうだというのではなく一般論として)。翻訳をする人や、そのテーマについて知見のある人からの具体的な「誤訳の指摘」は大変にありがたいものだが、「中身を具体的に確認しもせずに誤訳の可能性があるかもしれないと述べること」は、それに対応するためのコストをかけるだけの意味があるかどうかもわからない。しかし、放置すれば「誤訳の可能性があるのに」云々という《漠然とした印象》だけが残されるわけで、めちゃくちゃコストが高い。

やっかいなことである。

しかし、企業のページや報道機関のページならまだわからんでもないけど、特に個人のブログのエントリについての「ブクマコメ一覧」って、全然重要なものじゃないですよね。「はてブで他人のコメント一覧を見ないと安心できない人たち」がいるんだろうけど、それをオープンにしておくことが当方のリスクであることは有名な「荒らし」に絡まれてることだけでもわかるだろうに、「ブクマコメ一覧」を表示させていないだけで、なぜ「信用できないブログだ」と断罪されたり、挙句の果てには「罪深い」などと言われなければならないのか。

こういうふうに、中身をろくに読みもしないで、言いたいことだけ言うような連中が周囲に貼りつくようになってきたから、SNSと少し距離を取ることにしたんですよ(なるべく表示させないようにしている)。私はアメリカ型の「言論の自由」をかなりの程度まで信奉しているけれど、それは「建設的な議論と意見共有」のためというのが前提であり、比喩的にいえば「『ばーか、ばーか』と罵倒したいだけのような連中」にまで発言の場を用意しておくいわれはないわけです。前にも書いたけど、「誰もが自由に発言できる場」の「終わった」感は、ブログのコメント欄を閉じるという判断をする直前のような感じなんです。

というわけで。




※この記事は

2015年09月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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