「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年09月20日

ピーター・ロビンソンがまた入院した。(翌日には退院)

5月におそらく心臓発作を起こして倒れ、ベルファストで一番設備の整った病院に搬送されて手術を受け、4日間入院していたピーター・ロビンソンが、土曜日(9月19日)、また病院に搬送され、日曜日(20日)は病院で過ごしているそうだ。

今度は「薬の副作用で、大事(だいじ)をとって入院」と病院は説明しているが、明日月曜日(21日)から国技「エクストリーム交渉」が始まるというときに、大丈夫なのだろうか(5月の入院もタイミング的に似ていたが)。

公にされている情報は、少ない。UTVもベルファスト・テレグラフもBBCも、情報としてはどこも同じである。














マーティン・マクギネスのお見舞いの言葉。




ジェリー・アダムズのお見舞いの言葉。




(・_・)

UUPのマイク・ネスビット党首もお見舞いのメッセージ。




5月に倒れたときは、ピーター・ロビンソンは「仕事の関係じゃなく、生活習慣(ライフスタイル)が最悪なんで」と理由を説明していた。いわく「朝の4時までメール書いてて、6時起きで7時から仕事で、まともな食事もできず、ファストフードの脂っこいものばかり食べてて運動もできてない」状態、のような感じ。でも、そんな不健康な生活を送らねばならない原因は、やっぱ仕事ですよね、っていう。

今回は、「(IRAがまだ存在していることに、なぜか今更端を発した)ストーモントの危機」と、「NAMA問題」がダブルで来ている。5月のとき以上の激務と心労が続いていたのではなかろうか。

ジェリー・アダムズやマーティン・マクギネスがTwitterでやたらと「山に行った」とか「犬連れて海岸に来た」とかいったトレッキング系の話をしているのは、第一にはナショナリストとしての「郷土愛」アピールなのだが、二義的には「健康」アピールの目的だと思う。(アダムズは2013年に渡米したときに前立腺の手術をしている。党は「ガンではない」と言っているが、この党はこれまで次のようなことを主張してきたことに留意が必要だ。すなわち、「IRAはもう消えた」とか「ジェリー・アダムズはこれまで一度もうわなにをするやめ・・・)



追記(21日):
土曜日(19日)に入院したピーター・ロビンソンは日曜日(20日)に退院し、月曜日(21日)の「交渉」には出席する。てゅりゃてゅりゃてゅりゃてゅりゃてゅりゃてゅりゃ〜♪

Peter Robinson leaves hospital for Stormont talks
By Nevin Farrell and Chris McCullough
Published 21/09/2015
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/politics/peter-robinson-leaves-hospital-for-stormont-talks-31544023.html




DUP MP Jeffrey Donaldson told the Belfast Telegraph "no one should underestimate" Mr Robinson's determination.

Mr Donaldson said: "Peter is planning to be with the delegation when we have the talks. We understand there was a problem with Peter's medication and hopefully that has been addressed. He is determined to lead our team in the talks that will take place this week, and he recognises the importance of the issues that need to be addressed. No one should under estimate his determination to have them resolved."


さすが、「エクストリーム交渉」にかける情熱は誰にも負けはしない。

2010年2月、「ヒルズバラ合意」のあとの会見で「交渉」にかける決意表明がなされている。3分50秒から参照。
https://youtu.be/acnIyzNFDdg?t=3m50s


※これの3分50秒から。

話は戻って、病院に運ばれたのが、単に「新しく処方された薬が合わなかった」といったことならいいんだけど(報道を見る限りではそういうようなことだったらしい)、実はしっかり休養してケアしたほうがよいような疾患を抱えているのなら、休養したほうがいいと思う。今年はDUPは党内のことだけでもいろいろあったわけで(エドウィン・プーツ、サミー・ウィルソン……)。

そういえば、この9月12日はイアン・ペイズリーの死から1年だったのだが、特に何も記事を見かけなかった。ストーモント危機の最中だったとはいえ、「あれから1年」くらいの記事は出てもよさそうだったが、何もなかった。北アイルランドで政治家の死についてそういう「回顧」の記事が出たことはほとんど記憶にないので(デイヴィッド・アーヴァインはあったと思う)、イアン・ペイズリーも普通の扱いなんだということかもしれないが、北アイルランド紛争期の影響力の大きさと声の大きさ(物理的にも、比喩的にも)からみれば、やはり、「時代が変わった」ということではないかとも思う。

※この記事は

2015年09月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼