「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年09月17日

2012年2月、「調停者」が、シリアでの暴力を止めようと尽力していた。

何か大きな出来事や深刻な事態について、協議や交渉が行なわれたとき、時間が経過して状況が落ち着いてから、関係者の誰かが「実はあのとき……」というように、裏話や「水面下での交渉」などについて公的に語ることがある。語る場はその人の回想録だったり、新聞のインタビューだったり、テレビのドキュメンタリーだったりする。

そういうことが、2012年のシリア和平交渉(の努力)について、行なわれるほど時間が経過したということなのか、時間はさほど経過していないが局面が変わってそのときのことが完全に「過去」になったということなのか、あるいはほかの背景・文脈があるのか、私にはとんと見当がつかないが、ナミビア、コソヴォなど数々の紛争・調停・交渉の場で活躍してきたマルッティ・アハティサーリさん(北アイルランド紛争の和平プロセスにも絡んでいて、IRAの武器のデコミッショニングの証人になっている)が、シリアについても「調停者」として活動していたことを、ガーディアンのインタビューで語った。

成功しなかったシリア和平の取り組みの一端を、「調停役」が語っている。
http://matome.naver.jp/odai/2144241769244366601


記事では、その活動の中でも最も「ネタ」になりやすいことに絞り込んでいるが、きっともっと多くが語られたのではないかという気がする。

最も「ネタ」になりやすいことというのは、国連安保理常任理事5ヶ国(米英仏中ロ)の間での話し合いをセッティングする中で、アハティサーリさんがロシア代表の口から、「バシャール・アサドを退陣させることを含む和平案(紛争解決案)」を聞いていた、ということである。

記事ではその「ロシア代表の案」について、英国の外交官と、欧州のどこかの外交官(って、P3の誰かだったら英国じゃなかったらフランスしかいないですよね)が「どのくらい真剣な案だったのかが疑わしい」という見方をしている、ということも書かれている。

一方、その記事が出たあと、ロシアからは「そんな案はなかった」(要旨)という反応が出ている(タス通信)。

……ということをざっと一覧できるようにしたのが上記の「まとめ」のページである。

2012年2月というと、まだ「内戦」という言葉は(公的には)用いられていなかったはずだ。

とても昔のことのように感じられる。

そのころはまだ、緑を目立つように配した「自由シリア」(反アサド政権の陣営)の旗がついている、映像・写真による現地報告(現地のメディア・アクティヴィストによるものであれ、外国のジャーナリストによるものであれ)について、「アサド政権が人を殺しているというのはでっちあげだ」、「政権による攻撃など行なわれていない」という情宣が、さかんに行なわれていたはずだ。

「政府対反政府なんていう、単純な構図じゃあ、ないんですよ」と訳知り顔で言う人は、日本語圏にも英語圏にも、2ちゃんねるで「情勢分析」などをしている人々の間にも、報道機関に発言の場を持っている人々の間にもいた。現地に入った人の報告の映像で「あらゆる武力行使に反対する人々」が丁寧に紹介されていて、それに心を動かされている人がいるときに、「これはアルカイダだ」と説明してみせる人がいた。アサド政権側の暴力を報告する英語の記事を紹介すると、そのソースがどこであれ、「CNNを鵜呑みにするバカ」と罵倒してくる人がいた。

そんなころの話だ。

その「暴力」は、その「殺戮」は、その「殺し合い」は、到底ストップしそうに見えなかった。でもきっとストップするだろう、そのために国連もできることをしている、と多くの人は思っていただろう(私もそう思っていた)。アハティサーリさんの今回のインタビューはそのことを語っているのだが、事実としては、その「暴力」は全然止まらなかった。それから今までに、何万人が死んだだろう。何十万人が家を破壊され、家を追われただろう――いや、その単位は「何十万人」では済まない。

アハティサーリさんのインタビューについてのガーディアン記事は、「難民問題」についてのアハティサーリさんの言葉で締めくくられている。









4140884320知の英断 (NHK出版新書 432)
ジミー・カーター フェルナンド・カルドーゾ グロ・ハーレム・ブルントラント メアリー・ロビンソン マルッティ・アハティサーリ リチャード・ブランソン 吉成 真由美
NHK出版 2014-04-09

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See also:










※この記事は

2015年09月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:45 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼