「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2015年09月11日

奇策・「歴史は繰り返す」(ただし変奏し、巻き込みながら)

Triple-Spiral-Symbol-heavystroked.pngケルトのぐるぐる渦巻き模様。どこから始まっていてどこで終わるのか、どうつながっているのか、確かめようとしてじっと見ると目が回る。

北アイルランドについてのニュースをネットでフォローするようになって約15年になる。当初は「さっぱりわからないのは、私に前提となる予備知識がないから」だったのだが、ある程度の予備知識が備わってくるうちに、知識があれば何が何なのかがわかる部分と、そうでない部分とがはっきり見えてくる。ほどなく、「これはあのぐるぐる模様みたいなものなんだ」という気持ちになる。そうすると、全体はよりはっきり見えてくる。

やや逆説的かもしれないが、そういうことはある。そしてそこでは、ぐるぐるは相互に影響しながらぐるぐるしている。

さっきまで、IRAについて用いられていたフレーズが、今はユニオニストについて用いられる。それで何の不思議もない。私が「これが人の世の営み、ザッツ・ライフ!」などとモニターの前でニヤニヤしているのは、アイルランド成分の大量補給のせいだ。

というわけで、「ストーモント危機」に対し、DUPが奇策を繰り出した。私はモニターの前で、「眉間にシワ」⇒「ハラハラ、ドキドキ」で見ていたのだが、最終的には大爆笑している。



ピーター・ロビンソン、この人はおもしろすぎる。いろいろ「黒い」部分もあるはずだけどね(特に不動産関連)。

というわけで、DUPが最後通牒をした翌日、9月10日の「ストーモントの危機」の大きな局面の顛末は、下記を参照。まさかのDUPの奇策でみなさん大爆笑(つっても北アイルランドなので、シニカルだよ)。

Northern Ireland: Stormont crisis, or is it circus?
http://chirpstory.com/li/284318


昨日までIRAについて用いられていた言葉が、するっと裏返すように、ほら。






9月10日、最終的にどうなったかというと:






もうちょっとちゃんと書きたいけど、「2時間しか寝てないわー」状態で風呂で寝落ちしていたほどなのに、無理やり起きていて、ハイになったところで "He hasn't gone away you know!" 的なことが起きてしまったので、わけわかんなくなってて今は無理。

Chirpstoryではジェイミー・ブライソンとTUVがおもしろいと思います(ほかのもおもしろいけど)。

これでストーモントは数日(1週間くらい)(←頭が寝てたのでDUPの閣僚の辞任が発効するまでの期間とごっちゃにしちゃいました。「6週間」の間違い)6週間は時間ができたことになるのだけれど、その後どうなるのかはまったくわからない状態。なので、grave situationであることには変わりはないです。



あと、この一連の「騒ぎ」で警察の「政治的な」態度など、いろいろ浮き彫りにもなって、それも味わい深いというか……。

この写真↓、ちょうおもしろい。マニエリスム。キアロスクーロ。




※エントリ冒頭の画像は、"Triple-Spiral-Symbol-heavystroked" by user:AnonMoos - Own work. Licensed under Public Domain via Wikimedia Commons.

※この記事は

2015年09月11日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 04:15 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼