「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年09月01日

なぜ今更、「タリバンとアルカイダの共闘」がニュースになりうるのか、さっぱりわからない件

※末尾に「ひょっとしてこの世界ではゼイン・マリクが1Dを脱退していないのでは」とドキドキしながら追記。


はてブでこんなのを見た。

【驚愕】打倒ISISでアルカイダとタリバンが共闘!?どこの少年漫画だよ!? - Togetterまとめ
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/868073




何が「驚愕」なのか……それが驚愕だ。だって約20年前からの話じゃないですかー(「共闘」の定義次第かもしれないけど)。(・_・)

1996年、ターリバーン政権はウサーマ・ビン=ラーディンとアルカーイダの幹部を客人としてアフガニスタンへの滞在を許した。アルカーイダは、「対米宣戦布告」を行うなどそれまで引き起こされていた数々の反米テロの黒幕と推定されており、またイスラム諸国からも異端視されていた組織であり、ターリバーンは周辺諸国から孤立し始めた。

……

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生すると、アメリカはこのテロの容疑者としてアルカーイダ関係者を引き渡すように要求した。しかしターリバーン政権はこれを拒否したため、アメリカと有志連合諸国は国際連合安全保障理事会決議1368による自衛権の発動として攻撃を開始し、北部同盟も進撃を開始した。11月までにターリバーンはカーブルとカンダハールを含むアフガニスタンの大半の領域を喪失した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3


でも今、「タリバン アルカイダ」で検索するとこんなふうになってる。



わけわかんない。(◎_◎) あるいはNW日本版は、「客人」だとかいう表現を真に受けていたのか?

……ということについて先ほど連続でツイートしたので、それをこっちにも転記しておく。
















ザワヒリがタリバンの新リーダーに忠誠を誓ったことは、AFPのようなメディアだけでなく日本語のメディアでもほうどうされてる。例えば:

アルカイダ:最高指導者のザワヒリ容疑者 タリバンに忠誠
毎日新聞 2015年08月15日 23時09分

 国際テロ組織アルカイダの最高指導者、ザワヒリ容疑者はインターネット上に音声メッセージを投稿し、アフガニスタンの旧支配勢力タリバンの新指導者、マンスール師に対して忠誠を表明した。ロイター通信などが13日報じた。タリバンは7月末、最高指導者オマル師の死亡に伴いマンスール師が後継者に選出されたと発表していた。

 ザワヒリ容疑者はアフガニスタンとパキスタンの国境地帯に潜伏しているとみられ、以前からオマル師に忠誠を誓っていた。後継者のマンスール師にも改めて忠誠を表明することで、タリバンとの関係を強調する狙いがあるとみられる。……

http://mainichi.jp/select/news/20150816k0000m030083000c.html
https://archive.is/B9rzH





そもそも「軍門にくだ」ったわけじゃないし。アルカイダとタリバンは相互に攻撃しあう関係だったことは基本的にないでしょ。

ぐんもんにくだる【軍門に降る】
戦いに敗れて,降参する。 「敵の−・る」
(三省堂、大辞林 第三版)

https://kotobank.jp/word/%E8%BB%8D%E9%96%80%E3%81%AB%E9%99%8D%E3%82%8B-487925





↑このNewsweekの記事、とても読みやすいしはっきりしているのでぜひ。

あんまり関係ないけど、アルカイダといえば、昨日だっけな、この写真についてこんなツイートを誰かがRTしてるのを見かけたんだ。(ツイート主はイラクの人で、たぶんシーア派の人。)






おまけ: 斬新なの見つけた。 (・_・)



nndt.png




※追記。ひょっとして、私、タリバンとアルカイダが戦火を交えているパラレルワールドに転送されたんでしょうか。コーンウォールで女の人がトイレに(で)テレポートされたそうですが、そういう感じで。












※この記事は

2015年09月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 19:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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