「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年08月31日

誰も驚いている様子のないニュース。フレデリック・フォーサイスがMI6のアセットだった件

こんなに「意外性」のないニュースも珍しい。ガーディアンなんか、記事出してすらいない。トピックの中心となる人名で検索し、日付順にソートをしてみたが、一番新しい記事はテレビドラマのレビューで、今年6月3日の記事だ(下図)。

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一方でガーディアンには、亡くなったギュンター・グラスの最後の著書(死後刊行)の紹介はがっつり記事に出ている。

Günter Grass criticises refugee treatment from beyond the grave
http://www.theguardian.com/books/2015/aug/31/gunter-grass-issues-warning-from-beyond-the-grave


というわけで、誰も驚いている様子がないのだが、フレデリック・フォーサイスがMI6のエージェントだった過去を告白した(きっと日本語圏では「カミングアウトした」と言うのだろう。このバカバカしい用語法、とっとと廃れてください)。

「誰も驚いている様子がない」とはいえ、ディテールは「ええっ」の連続、読み始めたら止まらない感たっぷりである。

「実は私はMI6に……」: 作家、フレデリック・フォーサイスの告白
http://matome.naver.jp/odai/2144094789883206301

※最初のほうに、ビアフラ戦争についての基本情報を、けっこうたっぷり書いて&引用してある。

フォーサイス作品を読んだことがないという方は、『戦争の犬たち』をぜひ。よく「スパイ小説作家」と説明されるが、これはそういうトピックではない。「戦争」、「介入」について新しい視点を与えてくれる小説だと思う。

戦争の犬たち (上) (角川文庫)戦争の犬たち (上) (角川文庫)
フレデリック・フォーサイス 篠原 慎

戦士たちの挽歌―Forsyth Collection〈1〉 (角川文庫) アヴェンジャー〈上〉 (角川文庫) アヴェンジャー〈下〉 (角川文庫) コブラ (上) (角川文庫) コブラ (下) (角川文庫)

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今回のこの「告白」がなされたのは、9月に刊行されるフォーサイス初の回想録、The Outsiderのプロモーションで、同書の一部抜粋が掲載された30日のThe Sunday Times上でのことだ。



※The Sunday TimesはThe Timesと共通だが、有料で定期購読しないと記事が読めない。

The Sunday Timesのジャーナリストで、アフガン戦争についての著書などもあるトビー・ハーンデンさんは、次のようなところで驚きを表明している。




フォーサイスの小説の原稿をMI6が読んで、文章に問題がないかどうかチェックしていたということだ。つまり、「MI6から教えてもらったことは小説に書いていいということだったけど、やばいところがないか、一応チェックは必要とされていた」ということだろう。

ジャーナリストではなく作家だから、問題にはされないということかもしれないが、それにしても、である。

また、「こんなこと書いちゃって大丈夫なのかな」と思わされるのが次の箇所(サンデー・タイムズを参照しているAFPの記事より)。

While working as a journalist in 1968, he was approached by an MI6 man called "Ronnie" who wanted "an asset deep inside the Biafran enclave" where there was a civil war between 1967 and 1970.

"When I left for the return to the rainforest, he had one," Forsyth wrote in his memoirs "The Outsider", extracts of which were published by The Sunday Times ahead of its publication next month.

While Forsyth was there, he reported on the military and humanitarian situation while keeping "Ronnie informed of things that could not, for various reasons, emerge in the media".

http://www.france24.com/en/20150830-author-frederick-forsyth-reveals-missions-britains-mi6


「冷戦」は過去のものになったとはいえ、現場の人がやってることは今も基本的に変わらないとすると、……。

ウィキリークスの活動がピークだったころに、何かというと「現場の工作員や協力者の生命を危険にさらす!!!!!!!」とヒステリックな(←あえて使う)わめき声を上げていた側の保守系メディアが、著書を宣伝するフォーサイスの発言となると喜んでこういうことを書き立てるのだから、よくわからない。これで間接的にでも危険にさらされることになるジャーナリストがいないことを祈りますよ、本当に。(ロシアや中国なんか本当にまずいでしょう。中国では、取材先の都市のホテルで記者が寝ているところに、治安当局が踏み込んでプレッシャーをかけたということも、数年前に実際に起きていた。)

で、フォーサイスといえばこの『戦争の犬たち』を書いたときに実際に赤道ギニアに介入してクーデターを起こそうとしたという逸話だが、その点は、現状、明らかになっていないようだ。知りたければ本を買えということだろう。

ビアフラについて、今回の「告白」記事で書かれているのは、英国政府(ウィルソン労働党政権下だった)は民間人がものすごくたくさん殺されているというビアフラからの話を「信用できないプロパガンダ」だと前提しており、本当はどうなのかを伝えるよう、当時ジャーナリストとしてビアフラ取材を行なっていたフレデリック・フォーサイスに依頼していたという。

イラク戦争の民間人死者数(最も衝撃的だったのが、学術的な雑誌、『ランセット』掲載論文の数値)についてもほとんど同じような態度が取られていたし、その前の経済制裁時の民間人の犠牲についての英国政府の態度なども思い出されて、本当にムカムカしてくる。

ビアフラ戦争は、昨年夏に東京都写真美術館で回顧展をやっていたフォトジャーナリスト、岡村昭彦も取材・撮影していて、回顧展の図録である岡村の写真集にも入っている。

4568104807岡村昭彦の写真 生きること死ぬことのすべて all about life and death
岡村昭彦
美術出版社 2014-07-30

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で、フォーサイスの「スパイ体験談」だが、彼がビアフラに行く前のドイツ(東ドイツ)時代の話が、本当に007めいている。「情報機関職員はジェイムズ・ボンドのような派手なことはせず、どちらかというとジョージ・スマイリー(ジョン・ル・カレの小説の登場人物)のように地味な机仕事をロンドンでしている」というイメージもあるが、現地で女性と深い仲になったが、その女性は実は……みたいなこともある。

現段階で明らかになっているそういった興味深い細部は、AFPの記事やデイリー・テレグラフの1ヶ月前の記事(先行記事)を「まとめ」のページに引用・リンクしてあるので、そちらをご参照のほど。テレグラフの記事は読むとおもしろいですよ。

0593075404The Outsider: My Life in Intrigue
Frederick Forsyth
Bantam Press 2015-09-10

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※この記事は

2015年08月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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