「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年08月31日

霧雨

朝方、霧雨が降っていた。

霧雨と朝顔と (Drizzle)

東京は、7月に梅雨が明けたとたんに「気温35度が当たり前」の暑さに見舞われ、それが8月半ばまで1ヶ月間続いた。

こんな感じ(8月13日の気象情報)。
http://www.tenki.jp/forecaster/diary/t_yoshida/2015/08/13/29711.html
明日は九州から東海は晴れ間が広がる見込みです。
関東は雲は多めながらも一時的に日も差し、うだるような暑さとなりそうです。
名古屋や東京の最高気温は34度まで上がるでしょう。
関東は引き続き大気の状態が不安定で、夕方以降は平野部も含めて、所々で雨や雷雨がありますのでご注意下さい。

土曜日はさらに気温の上がる所が多く、東京や名古屋でも再び35度以上の猛暑日になる見込みです。
熱中症には十分に注意しましょう。


このころは、「最新の1か月予報によりますと、8月後半から9月上旬にかけて全国的に気温は平年並みか高い予想です」と言われてうんざりしていたのだが、実際には:
東京は8月としては12年ぶりの低温
杉江勇次 | 気象解説者/気象予報士/ウェザーマップ所属
2015年8月29日 17時49分
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sugieyuji/20150829-00048949/

東京のきょう29日の最高気温は21.0℃(17時まで)となっており、これは平年より9.2℃も低く、10月中旬並みの肌寒さとなります。

これで今週はグラフにあるように最高気温25℃未満の日数が4日目となり、8月に25℃以上の夏日にすらならない日が4日以上もあるのは、冷夏となった2003年以来12年ぶりのことになります。


2003年は、お盆のさなかに気温が15℃とかで、「何食べる?」「おでん……」という、とてもお盆とは思えないような会話があったはずだ。今年はそこまでは寒くない。湿度が連日高くて、言うほど低温には感じられない。この湿度で気温が35℃だったら耐えられないだろうなとは思うが。

これで、この8月を「平均気温」で語られると実態とかけ離れるなあと思う。それに、気温がいきなり35℃以上から25℃以下になっただけではなく、昼間の日照時間が100から0になったような感じ。そういえば今年は4月もほとんどずっと雨だったが、直接的には野菜がとても高いし、質が悪い。7月から8月前半にかけてのように日照りばかりでも質が悪くなるそうだが、日照がなければそもそも育たない。

ただ、住宅街で植えられていたり、勝手に生えてきたりしている草花は、あんまりそういうの関係なさげだ(ただしひまわりを除く。ひまわりは、日照がないと、とてもかわいそうな風情になる)。

霧雨の降りだしたすぐ後の朝顔に、小さな水滴が散らばる。

霧雨と朝顔と (Drizzle)

こういう写真を撮ろうとピントを合わせている間に、手の甲を何箇所も蚊に食われる。

湿度が高い。

asagao.jpg

https://www.flickr.com/photos/nofrills/archives/date-taken/2015/08/30/


※この記事は

2015年08月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼