kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年08月05日

「原爆投下は必要なことだった」という一面的な《語り》の向こうに、「人の苦痛」を見るということ。

今から10年ほど前からだろうか、あるいはもっと新しい時代かもしれないが、東京大空襲や原爆投下について「サヨクは沈黙している」などという珍説にネットで接して、私は「?????」となっていた(「戦後民主主義ガー」とか「自虐史観!」という主張をする人から「お前のような左翼は原爆のことなどほっかむりだろう」などという言いがかりをつけられたことも実際にある)。子供のころ、学校での教育的に「平和教育」に熱心な環境にいたが、子供だから複雑怪奇な背景は何もわからなかったにせよ、「右翼」とは程遠いものだった。むしろ、当時、大人(親とか)の間では、原爆だとか戦争の被害や加害(戦争の「実相」)だとかいったことを話題にするのは「(政治的な意図のある)左翼」として煙たがられていたと思う。

しかし今では、東京大空襲にせよ原爆にせよ、「サヨク」を批判する立場の人(「右翼」と呼ぶと怒られるのでそうは言いません)が熱心で、数年前にBBCのくだらないクイズ番組が「奇跡体験アンビリーバボー」のノリで「二度、命拾いをした(=ラッキーな)男」として二重被爆者の山口さんを取り上げたときに大使館まで出てくる異様な騒ぎになった際には、「戦勝国のメディアがーーー」とかいう無根拠な罵声がいっぱい巻き起こり、BBCがこういうことを熱心にやってきたことなど知る由もない人々が、当該のクイズ番組が何を「ネタにしていた」のか(「日本の鉄道は原爆を落とされても動いていたのに、英国の鉄道はなんでもないことで止まる」ということである)を説明した私にも「BBCなんかの肩を持つのかーーーーっ」と挑みかかってきた。

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というわけで、原爆投下から70年、BBCの記者さんが広島を訪れて取材し、執筆した記事は、「戦勝国」の《語り(ナラティヴ)》――「戦争を終わらせた正しい判断」、「原爆を使っていなかったらもっと多く(のアメリカ人)が死んでいただろう」――に真正面から挑んでいて、感嘆した。

「原爆投下は必要なことだった」という一面的な《語り》を乗り越えようとするBBCの記事
http://matome.naver.jp/odai/2143877248936693801


アメリカでありがちな、「確かにひどいことだった、しかし……」の文体で、BBCのルパート・ウィングフィールド=ヘイズ記者は「確かに(原爆投下があったから戦争が終わったのだというのは)便利な語りである。しかしそれは、戦争が終わったあとにアメリカの指導者によって自分たちがなしたことを正当化するために構築された語りだ。そして、彼らがなしたことは、いかなる基準においても、おぞましい (horrendous)」とはっきり述べている。

原爆について、これほどまでに力強いレトリックに接することは、あまりないことである。

※この記事は

2015年08月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:28 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼