「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2015年07月27日

映画『シリアの花嫁』は、見るところがものすごくいっぱいある映画だ。初見のときは気づかなかったが。

「シリアの花嫁」という映画(→日本での配給会社による作品紹介)がある。2004年の作品で、私は2000年代に何度かやっていた国際交流基金のアラブ映画祭か、あるいは別の映画祭で見た記憶があるのだが、岩波ホールやイメージ・フォーラムでも上映していたので、そのときだったかもしれない。

日本ではDVD化されているが、すでに入手困難なので、オンライン・ストリームを利用するのが手軽でよいと思う(楽天のストリーム、SHOWTIMEってなかなか渋い作品が入ってますね。『シリアの花嫁』は、なんとなくどんな映画があるのかなと見て回っているときに、「この映画を買った人はこんなのも買っています」の欄に表示されていたので「おお!」と思ったのだけど)。

B002FWHFS6シリアの花嫁 [DVD]
CCRE 2009-10-02

by G-Tools


いずれにせよ。

映画はイスラエルが占領し、実効支配するゴラン高原のある村に暮らすドゥルーズの一家の人間模様を、娘のひとりが結婚して「境界」の向こう側に行く日の一日のお話として描き出した作品で、構成の緻密さやキャストのよさも含め、見ごたえのあるとてもよい映画だ。我が物顔で人々の暮らしに入り込み、人々の移動や集会に目を光らせ、それを制限するイスラエルの支配は、「空気」のように描かれているが、それゆえますます不条理に見える。

結婚式の今日は、花嫁モナにとって最高に幸福な日となるはずだ。

けれど、彼女も姉のアマルも、悲しげな顔をしている。なぜなら、一度“境界線”(現在の軍事境界線の意)を越えて花婿のいるシリア側へ行ってしまうと、二度と家族のもとへ帰れないのだから。

彼女たちをはじめ、家族もみな、国、宗教、伝統、しきたり…あちこちに引かれたあらゆる境界に翻弄され、もがきながら生きていた。モナは決意を胸に、家族とともに“境界線”へと向かうが、そこで待ち受けていたのは、通行手続きを巡る思わぬトラブルだった…。

http://www.bitters.co.jp/hanayome/intro.html




1時間40分弱、時間をかけて見る価値のある映画だ。ストリーミングで気軽にレンタルできることを素直に喜びたい。

モナ(主役というには影が薄い)には姉のアマル(強烈な存在感)のほか、2人の兄がいる。長兄は村のしきたりを破ったので親に勘当され村から追放されたが、モナの結婚式のために戻ってきた。次兄はイタリアで怪しげな商売をして羽振りがよいらしいが、「ステレオタイプのイタリア人のパロディ」になっている。

ステレオタイプなのは次兄だけではない。母親はどっしりとした「主婦」で「おかあちゃん」、父親は「気骨ある政治活動家」で、アマルの夫は「冴えないわりに横暴な保守的な男」だ。今回見直して、これはひとつの「寓話」だなあと強く感じたのは、登場人物たちが類型的だったせいかもしれない(「ゴラン高原って、こんなふうなのかあ」というのが印象的だった初見ではそうは感じなかったが)。

監督はイスラエルのエラン・リクリスで、出演者は、主要キャストはイスラエリ・アラブ(イスラエル国籍を持つパレスチナ人)で、IMDBを見ると、この映画(モントリオール国際映画祭グランプリ)のあと、ハリウッド映画やアメリカのTVドラマに出ている人もちらほら。。。

さて。

最初に見たときは、シリアにほぼ興味がなかったのと(「イラク戦争と、その後のセクタリアン紛争により、イラク人が亡命していく先だが、バアス党だ」と認識していた)、ストーリーの展開にぽわんとなって記憶から飛んでしまったようだが、映画の最初のほうで、2011年の「アラブの春」であちこちのデモ隊から聞こえてきたあのリズムのスローガンが聞こえる。

オープニング・シークエンスで、花嫁の支度をするため、坂の多い道を歩いて美容院へ向かうアマルとモナと、アマルの娘たちの場面で、町のあちこちに黒い旗が掲げられている。

それが「信仰」を表す旗だと教えられたのは、「アラブの春」でのことだった。最初に『シリアの花嫁』という映画をみたときは、気にもとめなかった。




「官僚主義的で融通がきかない」といういかにもな専制国家のありよう、「芸能人は、政治的なことはほっといて、芸を見せろ」とかいうムード。などなど。














2004年の映画。2006年のレバノン南部の攻撃もまだ行われていなかったころの。

※この記事は

2015年07月27日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 06:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。