「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年07月25日

映画『ウォリスとエドワード』(原題: W.E.)とエドワード8世のナチス支持についてのメモ

「82年ほど前、エリザベス2世が7歳のときに、母親とおじとともにナチス式敬礼をしていた」というThe Sunのスクープについて書いたときに言及した映画、『W.E.』楽天SHOWTIMEのレンタル(オンラインのストリーミング)で見た(レンタル期間7日間で、手軽に見られてとても便利)。何の思い入れもない私が見て、映画としておもしろかった。

でも邦題が映画の内容と全然違う。

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邦題は『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』にされているが、実際にはウォリス・シンプソン(W)とエドワード8世(E)の話は、現代のNYCに生きるウォリー(W)とエフゲニー(E)の物語の呼び水にすぎない。映画自体、ウォリスとウィンザー公(エドワード8世)の「世紀の恋」の話がメインではない(でも、その部分もとてもよかった。ディテールがすごいので)。

日本語版の予告編は、本編を見終わったあとで見ればよく出来ているが、これではやはり「ウォリスとエドワード8世」についての映画かと思ってしまうだろう。



ウォリス・シンプソンとエドワード8世(親しい人々からは「デイヴィッド」と呼ばれていた)が、自分たちの頭文字をつなぎ合わせて「W.E.」としていた、というのが原題の由来。

ドラマを進めるのは、現代のニューヨークに暮らし、その同じ頭文字を持つウォリー(ウォリス・シンプソンのファンだったという親がその名をつけたというが、これはシンプソン夫人が悪魔化されている英国ではとても考えられないことだ)という女性とエフゲニーという男性。映画は、ウォリーとエフゲニーの《物語》が、「過去の(歴史上の)話」であるウォリスとエドワードの「世紀の恋」と微妙なところで重なりあい、絡み合いながら、始まっていく過程を描いている。

といってもエフゲニーはエドワードとは異なり、「王子様」ではない。低所得者エリアに暮らす亡命者(の子として育った男性)で、元はインテリ階級だったが、今は警備員の仕事をしている。

ウォリーはセレブ御用達の精神科医の妻で、結婚するために自分のキャリア(サザビーズで美術・工芸品の専門家として仕事をしていた)をあきらめ、華やかなディナーやパーティを日常としている。しかし夫とはうまくいっていない。彼女は結婚のためにあきらめ、断念し、捨てたものがあるのに、結婚によって自分が望んでいたもの(子供)が手に入れられない。夫は彼女のことなど実は気にかけていない。

ウォリーとエフゲニーの二人が接点を得るのが、サザビーズでの「ウォリスとエドワードのゆかりの品のオークション」。競売の実施前に行われる展示会場で、元の職場に足を運んだウォリーが警備員のエフゲニーに出会う(ウォリーが手に取った品物の扱いにエフゲニーが注意を向ける)。その時点では何も《物語》は始まらず、ウォリーは元同僚とおしゃべりをし、映画はウォリス・シンプソンとエドワード8世の「歴史上の物語」を語る。

ウォリス・シンプソンがシンプソン氏と結婚する前の夫(一度目の結婚)は軍人で、妻を「もの」として扱っていた。その描写が非常に悲痛だが、そこを除けば「子供に見せられない」ような描写は特にない。

エドワード8世は即位前に何人かの人妻と浮名を流していたそうで、ウォリス・シンプソンを「お目付け役」としてしばらくアメリカに行ってしまう王子の愛人のテルマ(ウォリスと2人で話をする場面で、「離婚間近だが夫のある身」であることが示される)は、テルマ・ファーネスという人だそうだ。ウォリス・シンプソンを皇太子に紹介したのが彼女で、実際に「ウォリスとエドワード」の物語だけで映画を作るとしたら、彼女の役割は大きなものになるだろう。

《物語》が加速するのは、「歴史上の物語」がクライマックスを超えたあとである。

現実は「めでたしめでたし」で終わるおとぎ話ではない。

シンプソン氏を傷つけながら離婚し、退位して「ウィンザー公」となったエドワード8世と結婚したウォリスは、ウォリーの空想(彼女の思い描く世界は、とても自由で楽しい)の中で、その「リアル」を語る。

そういう「リアル」は、映像でもはっきり描かれている。ある場面で、ウォリスの真っ赤なマニキュアを施した爪は、先が少しだけ、剥げかけている。

私も、ベースコートやトップコートを塗らず、重ね塗りしなくても大丈夫なネイルカラーを施して丸一日をパソコンに向かって過ごすと、ああいう爪の先になっている。

もう一度、そういうディテールをよく見るために、見てみようかと思っている。

監督のマドンナのフェミニズムは一貫していてわかりやすいもので、こういう「おんなの生き方」(「女」ではなく「おんな」である)のドラマは「手慣れたもの」なのだろうなあという印象を受ける。

映画のウォリーとエフゲニーは「ハッピーエンド」なのだが(結局、彼は彼女にとって「王子様」なのだ。不遇の彼女を「ここではないどこか」へ連れ出してくれる「王子様」だ)、映画自体が「現実には、めでたしめでたしで終わる物語はない」というテーマであり、爽快な気分とかほんわかした気分になれるものではないので、その点は留意を。誰かと一緒に見る映画というより、1人で見るのに適した映画だと思う。

なお、ウィンザー公夫妻の「ナチス支持」は、無視はしていないものの、主人公(ウォリー)がそれを重視していないというか【ネタバレ回避】という設定になっており、うまくやり過ごしてるという印象。ウィンザー公自身の濃いナチス支持がはっきりと明らかになったのはこの映画(2011年)の脚本が書かれた後なのかもしれないが、その前でも「ナチス支持」のことははっきり知られていたわけで、その歴史的な事実が、この映画の《「おんな」の生き方の物語》を邪魔する可能性については、映画製作陣は脚本の段階でずいぶん考えたのではないかと思った。

ただし、そのくだりでnaive(「あまり物事を考えていなかった」)を「ピュア」と訳出している字幕には、全力でツッコミを入れたい。

あと、皇太子時代のエドワードとウォリス(まだ愛人関係になる前)のやり取りのシーン。これによって2人が「ソウルメイト」であることが描写されてるんですが:



このあと「ドイツが社会主義政権になった」というセリフがあって、つまりエドワード8世がナチス・ドイツに対して「困窮する民衆を救済する政治をする」という解釈・期待をしていたことが明示されてる。それが「ナチス支持」なのかどうかというのは、歴史学者の間でも激論になるようなこと。

以下、Twitterに連投したものより:









※そのシーン。プリンス・オヴ・ウェールズは、ウェールズの炭鉱の町にお運びになる。ウェールズ語で挨拶をする住民にウェールズ語で応じている。このシークエンスで描かれた「君臨すれども統治しないはずの王族が、下層階級の人々の実情に接して政治的な発言をした」ということは、実際にあった出来事。

Edward caused unease in government circles with actions that were interpreted as interference in political matters. His comment during a tour of depressed villages in South Wales that "something must be done" for the unemployed coal miners was seen as directly critical of the Government, though it has never been clear whether Edward had anything in particular in mind.

https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_VIII










B00CJ9411O英国王冠をかけた恋
渡邉 みどり
朝日新聞出版 2013-04-29

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1848858493London Was Ours: Diaries and Memoirs of the London Blitz (International Library of Twentieth Century History)
Amy Helen Bell
I. B. Tauris & Company 2011-06-15

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そういえばこのかわいい本もこの時代のもの。

416790280Xある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯 (文春文庫)
クレア キップス Clare Kipps
文藝春秋 2015-01-05

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二度目を見ながら追記:

この映画、終盤でモハメド・アルファイドが「手紙のコレクションの所有者」として出てくるのだが(冒頭でも、テレビ番組のナレーションで「ウォリスとエドワードが暮らしたパリの豪邸を現在所有している人物」として出てくる)、「現代」のパートは1998年に設定されている(携帯電話は、あるにはあったが、さほど普及していないころで、ポケベルが信頼された緊急連絡用のツールだった時代)。前年の8月31日、パリでダイアナさんが亡くなった

ダイアナさんもまた、こういっちゃ悪いが暑苦しいほど「おんな」の生き方を見せ付けていった人だ。貴族の家柄の出身のダイアナさんは、1981年、20歳でチャールズ皇太子(プリンス・オヴ・ウェールズ)と結婚し、男の子を2人も生んで育てて(王室としては自分で子育てをするのは異例)、まさに「御伽噺のお姫様」を地で行くような人だったが、夫が実は結婚前から年上の人妻と関係していて、夫婦仲は冷め切っていて、1992年に別居し(そのとき私はロンドンにいたが、街角で売ってるイヴニング・スタンダードの看板が大騒ぎだった。でも、私はまったく興味がなかったので、よく知らない)、やがて離婚。独り身になって対人地雷廃絶運動やエイズに関する運動などに身を投じた(その活動には個人的に敬意を持っている)。1997年の夏には、映画『炎のランナー』をプロデュースしたドディ・アルファイド(モハメド・アルファイドの息子。この人も興味深い人なんですけどね)と親密な関係にあったが、2人で滞在していたパリで8月31日に交通事故死した。

映画『W.E.』を監督したマドンナは1958年生まれだそうで、ダイアナさんより3歳年長だ。

↓↓↓以下、ネタバレにつき、一部の文字色を背景色とそろえておきます。

映画の冒頭で、ウォリーの夫の精神分析医に慈善団体から感謝が捧げられるディナーのシークエンスで、夫が浮気していることが示唆される。この場面が、夫を「プリンス」と呼ぶ人がいたり、相手と示唆される女性が明らかにカミラ・パーカー・ボウルズを意識した風貌だったりして、けっこう来るものがある。英国でこの映画が嫌われたのは、この安い「比喩」が原因かもしれない。

↑↑↑ネタバレ、ここまで。

このディナーのシークエンスの衣装(女性たちのイヴニング・ドレス)がかっこいい。この映画、米アカデミー賞(2012年)の衣装デザインにノミネートされているのだが、衣装は実に見ごたえがある。わかりやすいのは女性の衣装だが、ウィンザー公(エドワード8世)は「ウィンザー・ノット」を始めた人として知られる稀代のお洒落さんで(英王室には何人か、そういう男性がいる)、男性の衣装も見る人が見ればいろいろあるのだろう。シンプソン氏の衣装と、エドワード8世(皇太子)の衣装の違い、など。

ただ、「現代」のパートが黒ばっかりなのは、違和感を覚える人もいるかもしれない。実際、90年代後半ってあのくらい黒かったと思うけど……。

あと、精神科医の夫(ウィリアム)がウォリーに "Calm down" っていうシーン、ウォリーの反応が極めて抑制的なのが分厚いですね。「私はあなたの患者じゃない!」などと絶叫してもいい場面。

"Calm down" というとデイヴィッド・キャメロンの "Calm down, my dear" を思いだすんですよね。

それから、ウォリスの前に皇太子の愛人だった人妻のテルマが渡米して「アリ・カーン」なる「アラブ人」と恋に落ちているという話が出てくるのは、へえ、そんなことがあったんだーというか、やっぱこの映画、ダイアナさんの話を(非明示的に)してるんだ、と思った次第。だから英メディアの反応が悪かったんだろうね。しかも英国では「マドンナってバカだよね」という風評が根強いので(ガイ・リッチーと結婚して離婚したのがとどめ)、劇場でロードショーしても興行的には失敗する……。

数ヶ月前に、マドンナが英国の歌謡大賞みたいなのに出たときに舞台でコケて、Twitterが「ざまあみろ」系の盛り上がりで埋め尽くされて私なんぞ辟易したんですが(マドンナは特に好きじゃないけど、レスペクトはしてます。その後のポップスターとは歌も踊りも格が違うし)。

ウォリスがシンプソン氏と別居してエドワード皇太子と欧州で仲むつまじくすごしているときに、ポルトフィーノでのクルーズで読んでいる本は下記のシリーズの一冊、Lucia's Progress (1935) (published in the U.S. as The Worshipful Lucia).
https://en.wikipedia.org/wiki/Mapp_and_Lucia

サザビーズの競売会場でウォリーが空想する「ウォリスとエドワードのパーティ会場」。ステージに上げられる黒人女性は(英メディアはtribeswomanなどと書いていたようだが)ジョゼフィン・ベイカーのようなトップクラスの芸能人だろう。この場面で使われている曲はこれで、"And we don't care" でウォリーは一歩踏み出すことができたという、いきなりpunkだな、おい、という展開を見せてて、マドンナ姐さんってば…… (^^;)

↓↓↓以下、ネタバレにつき、一部の文字色を背景色とそろえておきます。

で、競売が始まって「あなたは何か買わないんですか」とエフゲニーに訊かれたウォリーが「夫がうるさいから」と説明する場面に顕著なのだけど、この「現代のWとEの物語」において、エフゲニーはエドワード皇太子のように贈り物を次々としてくれる「王子様」ではないけれど「私の話を何でも聞いてくれる人」として描かれている。それが現代の女性にとっての「王子様」という話だね、これ。というふうに見るとベタもベタで、そりゃ、安心してみていられる映画のはずだ、と。

↑↑↑ネタバレ、ここまで。

あと、【ネタバレ→】ウォリーがウォリス・シンプソンの手袋コレクションを落札してしまい、「無駄遣いをするな」と叱った精神分析医の夫ウィリアムとつかみ合いの大喧嘩になるシーンで【←ネタバレ】コーヒーテーブルの上にレニ・リーフェンシュタールの写真集がのってる。やっぱりこれ、脚本相当考えてるね。



で、エドワード8世の退位という「歴史上の物語」のクライマックスを迎えたころ、映画では【ネタバレ→】「王子様」のエフゲニーによって精神科医の夫の元からの脱出を実現させたウォリーは、エフゲニーの家に身を寄せて画廊で働き出すのだが、そのときにたまたま見かけた新聞記事で、ウィンザー公夫妻の暮らしていた家を所有しているモハメド・アルファイドが、ウィンザー公夫人(ウォリス・シンプソン)の手紙を持っていることを知り、サザビーズ時代の同僚に渡りをつけてもらってアルファイド氏に会うためにパリに行く。この時点でものすごい「おとぎばなし」なのだが気にしない。【←ネタバレ】

離婚して、「ミス・モンタギュー」と呼ばれるようになったウォリーは、【ネタバレ→】モハメド・アルファイドと面会する。ウィンザー公夫人の手紙について、アルファイドは「ドレスや食器のような物ならよいが、親密な内容の手紙は、人が読めば解釈が生じる」として公開しないという態度を表明する。これは、悲運の死を遂げたドディとダイアナの最後の日々へのオマージュだろう。そのモハメド・アルファイドを翻意させたのが、f[dot]hatena[dot]ne[dot]jp/nofrills/20150726044552 にあるウォリーの言葉だった。明らかに、「死んだ(元)王族」の立場ばかりで語られている「外国人」のドディへの言及だ。【←ネタバレ】

そしてそこでウォリス・シンプソン自身の言葉として立ち現れるのが:
http://f.hatena.ne.jp/nofrills/20150726044551

「狂気のヒトラーを支持しているといううわさ」。これがいつの言葉なのかは映画中には示されていない。いったい、彼女がこのような言葉を発したのが事実なのかどうかも、映画を見ている私にはわからない。

けれど、やはり思い出さねばならないのは、レニ・リーフェンシュタールでさえ「ナチス支持」を否定している、という事実だ。

4163459006回想〈上〉
レニ リーフェンシュタール 椛島 則子
文藝春秋 1991-11

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4163459103回想〈下〉
レニ リーフェンシュタール 椛島 則子
文藝春秋 1991-11

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ここまでくると、ジェリー・アダムズの例の「否定」みたいな話なんだけどね。

4004307929ナチ・ドイツと言語―ヒトラー演説から民衆の悪夢まで (岩波新書 新赤版 (792))
宮田 光雄
岩波書店 2002-07-19

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※この記事は

2015年07月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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