kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年07月21日

2015年の12thのパレードについて。

さて、前項の続き。11thのボンファイア(前夜祭)が11日(土)の夜に行なわれ、12日は日曜日で安息日、続く13日の月曜日に、毎年恒例の12thのパレードが行なわれた。

欧州の日付で13日は、ギリシャに対する金融支援についてEUで合意がみられたことや、任天堂の岩田社長の死去、そしてイラン核協議での合意とめまぐるしかった。そんな中、北アイルランドのパレードのニュースは、気をつけて見ている人でなければ目に止まらない程度だった。例年通り、「行きはよいよい、帰りは怖い」という展開だ。(「行き」=のぼり、「帰り」=くだり、というイメージで。)








こんなような感じで、ベルファストも13日の午前中はwithout incidentだった。










こういう「時代祭り」みたいな行事だったら、うまくやれば観光客も集められるだろう。問題は、北アイルランドのこのパレードは「宗教行事」であるということなのだが。(ドラムクリー紛争について参照。)

ちなみに、今はベルファスト以外では荒れないらしい。12thが今のように荒れるようになったのは1996年のドラムクリー紛争以降だそうだが、デリーなどでは「12thで荒れる」のは、ナショナリストのコミュニティの若いのが警察に対して火炎瓶を投げるなどすることがある、というもので、(ほんの数年前まで、ベルファストでも緑陣営が警察を相手に暴れるのが普通だったのだが)パレードをしているオレンジ・オーダー/ロイヤリストが暴れるというのはベルファスト特有で、ベルファスト市の市議会が「1年365日ユニオン・フラッグを掲揚するのをやめます」ということを決定した後に激化している(「体制 vs 俺たち」になっている)。






ベルファストだって、ピースフルはピースフルなのだ。




しかし……






ベルファストの荒れ始め。












水かけ祭り開始。









ここで警官8人負傷ですよ。今年は耳がもげそうになった警官がいる。




そして、群集の中にロイヤリストが運転する車がつっこんで、ものすごくひどいことになった。
















このあとで、ロイヤリストを乗せたバス(パレードの帰路)が襲撃されるということも。






車にひかれた女の子については、その後ニュースがないので、無事なのだろうと思う。当日のニュース。










ここらへんのニュースは、15日(日本時間)にざっとブクマしてある。
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/20150715

で、このへんのことを書こうと思ってはいたのだが、イランは動くし、FlashはFirefoxにブロックされるし(Flashがダメだと、BBCやUTV、BTの映像が見れない)……で全然書けていなかった。

しかも、これである。




全部吸い取られる。

※この記事は

2015年07月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼