「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年07月20日

2015年の7月11日(イレヴンス)のボンファイアについて。

july2015.jpg今年の7月のカレンダーはこうなっている(写真参照。これはうちの壁に貼ってあるみずほ銀行のカレンダーで、色が「レッド・ホワイト&ブルー」なのは偶然である)。11日が土曜日、12日が日曜日だ。プロテスタントの原理主義では日曜日は休まなければならない日(活動を禁止される日)で、北アイルランドで毎年7月12日に「トゥウェルフス 12th」のパレードを行なうオレンジのサッシュを着けた人たちも、日曜日は休む。7月12日が日曜日に重なった場合は、パレードは13日に行なう。(「イレヴンス 11th」のボンファイアは変更なし。)

今年は、かなり緊張感が高い感じがしていた。11thのボンファイアも12thのパレードも緊張感が高いのも、「毎年のこと」ではあるのだが、設営中のボンファイアが放火されたり、南部連合の旗だの、ナチス・ドイツのSSの旗だの、「北アイルランドのプロテスタンティズム」とは直接関係しない旗が掲揚されたり、カトリックに対する暴力を煽る言葉が交通量の多い道路脇に出現したりと、「緊張感が高い」というより「やばい」感じ、いやむしろ「ヤヴァイ」感じが、がんがん漂っていた。

で、どうなったかというと……というのが本エントリの主旨である。1週間も間があいてしまったが、書かないよりはましだろう(ほっとくとほんとに書かないからね……プリンス・オヴ・ウェールズとジェリー・アダムズの握手ですらスルーしているのが最近の私だ)。

今年は、12日の日曜日が「スレブレニツァの虐殺」から20年の式典で、12日は個人的にはそちらに意識を向け、時間を割いていたが、並行して11th/12thも見てはいた。

まず、11thは、年々巨大化するボンファイアがマジで危険(崩れたらその場にいる人たちには危険極まりないし、火の粉が飛んで大規模火災の原因になりかねない)という点が、今年は昨年までに比べてまじめに指摘・検討されつつあるような雰囲気はある。






しかし、ああいうのを「伝統」、「文化」と呼んで、それ自体最初から正当化されていると考える人々は、たぶん聞く耳など持っちゃいない。11thは、地域の10代から20代の若者たちを動員して、「アルスターのプロテスタントとしての誇り」を涵養するための社会装置で、それゆえに「法的規制」といったことが難しい(北アイルランドの、特にプロテスタントの側の言う「自由」は、libertyではなくfreedomで、欧州の極右政党がよく党名に戴いている「自由」である。アメウヨさんとは本当によく似ている)。




住宅街のど真ん中での巨大ボンファイアは、マジで火災の危険があるので、11日の夜は家々の窓を板でふさいで、住民は屋外に出るよう指示されていたという。








多くのボンファイアは巨大化し、巨大化しているものもしていないものも、シン・フェインやSDLPの政治家の選挙ポスターや、アイリッシュ・トリコロールの旗を一緒に燃やして「火あぶり」にする。




そういうことをしないものもあるのだが(というか、全土で見れば旗を燃やすなどしないもののほうが多いのかもしれない)。






今年は、アライアンスのナオミ・ロングさん(2005年の総選挙でピーター・ロビンソンからウエストミンスターの議席を奪った政治家)が「火あぶり」の被害にあっている。下記は彼女のツイートと、それに反応したカイル・ペイズリーさん(フリー・プレスビテリアン教会: 故イアン・ペイズリー・シニアの息子で、DUP所属の政治家であるイアン・ペイズリー・ジュニアとは双子の兄弟)、ニール・オドネルさん(シン・フェイン所属の政治家で、東ベルファストのショート・ストランドの人。元ベルファスト市のロード・メイヤー)の会話。最後に「ユーモア」で落としているのが、この人たちらしい。
















シン・フェインの政治家たちはこんな目にあわされている。ミシェル・ギルダニュー(今年の総選挙で落選したが、2010年はユニオニスト相手にほんの数票の差で当選していた)。トム・エリオット(UUP、というかオレンジ・オーダーと言うべきか)の発言もよく見ていただきたい。(こういう事実にも関わらず「英国ではヘイトスピーチは規制されている」とか言う人はいるんだよね。)








こういう疑問が出てくるのは当然だ。




もちろん、ミシェル・ギルダニューだけではない。






で、警察(PSNI)はこういうことを本気で「問題」だとは思っていない。今年は去年のようにカトリック教会からかっぱらってきた聖母の彫像を火にくべようとするなどということは起こらなかったが、政治家のポスター燃やしなどは近年エスカレートしていて、誰もコントロールできていないのに。








というか、実際には、こういうことを「問題である」と言うと、エクストリーム交渉がさらにエクストリームになることからもわかるように、ロイヤリスト/ユニオニスト/プロテスタントの反発がえらいことになるのだ(今年は同時期に米国の南部の白人優越主義者のことが少しは大きなニュースになっているので、「あれと同じようなものですよ」と言えば、少しは通じるのではないかと思う)。






でもまあ、今年は事前に懸念されていたようなひどいことは起こらなかった。




そんな中、北ベルファスト拠点のロイヤリストで、かつて覆面をしてUVFの一員としてメディアの取材に応じていた人で、現在はPUPの政治家というか政治活動家であるウィンストン・アーヴァインさんは、「過激」なことをせず、地域の楽しい集まりとして組織されたウッドヴェイルの11thのことを、次のように報告している。








しかし、このWoodvaleというのはですね……

wvbgs.jpg


2年前にあの写真が撮影されたのがウッドヴェイルですよ……



……というわけで、12thのパレード(今年は13日開催)についても一緒のエントリにしたかったのだが、もう既に十分に長いのでパレードについては次項に。

ボンファイアが済んだ翌朝の様子。あの「住宅街の中の巨大ボンファイア」のところ(東ベルファスト)では、板張りを取り外す作業。






AnPにこんなのがある。


※この記事は

2015年07月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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