「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年07月18日

80年前の映像とナチ式敬礼と英王室

全然まったく望んでいるわけではないし、変なふうに絡んでこないでほしいのだが、ナチス・ドイツについての話題が多い。

北アイルランドで気になることが続いているので、TwitterのTrendsを(いつものUKではなく)Belfastで表示させるようにしているのだが、そんなときに "Edward VIII" というワードがTrendsに入ってきた。エドワード8世についてのドキュメンタリーでもやっているのかと思ってクリックした瞬間、

O_O


な顔になってしまった。その件:

「えっ、エリザベス女王がナチ式敬礼?」――英王室とナチスの隠された歴史から現れた一本の映像
http://matome.naver.jp/odai/2143721098320291001


いやぁ、The Sunって、すごいことやりますね。




個人的にはこれはnon storyだろうと思うのだが、興味深くないわけではない。最も「ん?」と思わされたのはクイーンマザーだ。2002年に101歳で亡くなったとき、高齢であったことも作用していただろうが、「国民の敬愛を一心に集めて」いた。比喩ではなく、まさに言うにふさわしい雰囲気だったことが自分の中にはかなり鮮烈な印象を残しているのだが、第二次大戦が始まる前の「対独宥和」支持以上に、何かドイツへの態度のようなものはあったのだろうか。

今回のThe Sunの報道後にざっと見られる範囲で見たところ、「そういう話(ナチ支持者だったとかいう話)は聞いたことがない」ということばばかりなので、私が知らないだけではないのだろう。

にしても、当時7歳の子供が大人の真似をしている映像を取り上げて、大人が何をしているのかをほとんど問わずに「将来女王になる人がこのようなことを」とセンセーショナルに騒いでみせるThe Sunは、何がしたいのだろう。

(大人が何をしているのかについては、中の記事には一応書いてはある。つまり、エドワード8世がナチス・ドイツのシンパというか支持者だったこと。ヒトラーの計画通りに進んでいた場合、エドワード8世がドイツ支配下の英国王になっていたはずだ。)

……ということも含め、書くべきことはNAVERのページに書いてある

あ、あと今検索してみたら、エドワード8世とウォリス・シンプソンの「世紀の恋」を題材にマドンナが作った映画、『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』がオンラインで見られることがわかったので、あとで見てみようかなと思っている。ウォリス役の女優さん(アンドレア・ライズボロー)は、『シャドー・ダンサー』の主演。


※この記事は

2015年07月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:00 | TrackBack(1) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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映画『ウォリスとエドワード』(原題: W.E.)とエドワード8世のナチス支持についてのメモ
Excerpt: 「82年ほど前、エリザベス2世が7歳のときに、母親とおじとともにナチス式敬礼をしていた」というThe Sunのスクープについて書いたときに言及した映画、『W.E.』を楽天SHOWTIMEのレンタル(オ..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-07-25 23:34

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼