「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年07月09日

【おことわり&お願い】当方は「阿修羅掲示板」とは無関係です。当ブログの全文転載はおやめください。

当方は「陰謀論」拡散のダシにされることを好みませんし望みません。

私が「陰謀論」についてどう考えているかは以前ブログに書きました。

  「陰謀論」と、「陰謀」について。
  そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。
  http://nofrills.seesaa.net/article/409380676.html


このブログ記事の最後に、私は「陰謀論者が集まる掲示板に私のブログがコピペされ…」で始まるパラグラフを置いています。

その「掲示板」とは、はっきり言いますが、「阿修羅掲示板」です。

改めて強調しておきますが、私はあの掲示板とは無関係です。

「阿修羅掲示板」のサイト内検索で、私のハンドルを入れるとかなりの数がヒットします。検索結果のほとんどが私のブログの文章です。

それらは私の知らない誰かが、私のブログやツイートを無断でコピペしているだけです。ここ数年は数が減っていますが、10年ほど前はしょっちゅうコピペされていました。

「阿修羅掲示板」に転載されているのは、このブログだけではありません。イラク戦争に関してやっていた翻訳ブログの記事もあります。

かつてはどんなのが無断で持ってかれてるかチェックするために訪問はしていたのですが、めんどくさくなってそれもやめました。

当方は「阿修羅」のユーザーではありません。

ただし一度、10年以上前に、イラク戦争に関してデイリー・テレグラフの記事を読めないという人がいたので(確か当時は、無料ユーザー登録しないと読めないようになっていたはず)、掲示板のユーザーとして、テレグラフ記事の内容をかいつまんで投稿したことはあると思います。「阿修羅」に投稿したのはそれっきりだと思いますが、一度あったことは事実です。

でもブログ全文のコピペは、私の管理外でのことです。

「ネットにあるもののコピペなんて誰にも止められない」と思ってきたし、今もそう思ってます。つまり、「全文コピペなんかしやがって、訴えてやる」ということをしようというのではありません。でも……

「阿修羅掲示板」ユーザーさんにお願いします。

もう、私のブログの「阿修羅」への(「引用」として認められる範囲を超えての)転載は、しないでもらえませんか。

私はあなた方の多くとは考え方が違うし、転載している方も「違い」はわかってくれてると思うのですが、私のブログなどが「阿修羅」に掲載されているので、「仲間」だと思って話しかけてくる人に無駄に時間とエネルギーを吸い取られることが何度か起き、参っています。

URLを貼ることや「引用」の範囲での引用は誰にも止められるものではなく、そこまでは私もどうこう言うつもりはありません。

しかし、全文のコピペはおやめください。私のブログは、あなたが好きなようにできるあなたの持ち物ではありません。

よろしくお願いします。

2015年7月9日
nofrills拝



以上、下記の連続投稿をベースに改稿した。
https://twitter.com/nofrills/status/619015778088562689
https://twitter.com/nofrills/status/619016365882519552
https://twitter.com/nofrills/status/619019023414497280
https://twitter.com/nofrills/status/619020286504009728
https://twitter.com/nofrills/status/619026450306306048
https://twitter.com/nofrills/status/619026917023309824

※この記事は

2015年07月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 16:17 | TrackBack(0) | 事務的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼