Was (※内容がデタラメです):
Now (※検証してくださる方、主要なソースはこちらです):
あと、1セクション足しました。この映画はこういう解説がないと「わからない」ようなので。
例えば第一次ハンスト後に「平服」を着てもよいとされたが、それが「自分の服」ではなく「刑務所支給の服」だということでサンズが暴れたところなど、映像をまじめに見てれば彼が「これじゃない」感に包まれているということがわかるはずなんですが、英語圏なら「そういえばあの場面はなんだろう」と思ったときにウェブ検索すれば資料がどかどか出てくるものの、日本語圏は非常に残念なので、こういう「説明」が必要なようです。
つか、本を読みましょう。鈴木良平先生のと堀越智先生のを(公共図書館にあります)。
![]() | IRA(アイルランド共和国軍)―アイルランドのナショナリズム 鈴木 良平 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() by G-Tools |
![]() | 北アイルランド紛争の歴史 堀越 智 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() by G-Tools |
以下、作業についてのあれこれ。ウィキペディアがどんだけめんどくさいか。特に、英語版と日本語版を行ったりきたりするのは、めっちゃ手間がかかります。誰もやりたくないだろうと思います。私もやりたくない。
『映画Hunger (ハンガー/静かなる抵抗)がオンライン配信でみられる。』tnfuk [today's news…|http://t.co/gLhZpcWgXi
— nofrills (@nofrills) July 5, 2015
このブログ・エントリ↑↑を書いたあと、ウィキペディアの「履歴表示」で、問題の記述(デタラメな「あらすじ」)がいつからあるのかを調べてみたところ、何と、項目が立てられたときからのものだと判明。(以下、ツイート内の htn.to のURLは←このURLです。)
うーーーーーーーーーーーーーーーん、最初っから、アレだったのか。どうしてブランケット・プロテストの概要も把握していない人があの作品の「あらすじ」を書こうと思ったのだろう。 / “ハンガー (2008年の映画) - Wikipedia” http://t.co/uDC2SHMqCB
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
最初は「ブランケット・プロテストの説明がむちゃくちゃ」という点や、「同情的な看守がIRAに殺されたので、サンズはこれではいけないと思い、非暴力闘争にめざめたのでした。まる。。。じゃねーよ」という点で「デタラメだから修正しなければ」と思ったんですが、いざ、テクストと向かい合うと、そのレベルじゃなかった……。
http://t.co/uDC2SHMqCB "マーガレット・サッチャーは、1977年に制定された北アイルランド紛争関連の囚人たちから政治犯の権利を剥奪する方針を支持すると表明し" って単に日本語としてダメじゃんね。あと、「政治犯の権利」が1977年っての、どこソースよ。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
「1977年に…剥奪する方針」という読みもできるし、きっとそのつもりなのでしょうが、「方針」を「制定」はしないし、1977年ってのは出てこないと思うんですよ(キャラハン内閣成立の76年ですよね)。
http://t.co/uDC2SHMqCB ロングケッシュのspecial category statusは1972年だ。 https://t.co/srwfmjMH8K 「政治犯の権利」というのは、これのこととしか考えられない。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
ジェリー・アダムズがIRAのほにゃららであるということを言うときに、必ず言及されますよね、1972年のホワイトロー(保守党のテッド・ヒース政権の北アイルランド担当大臣)主催の極秘会談。
これがそれなんですよ。
In July 1972, William Whitelaw, the British government's Secretary of State for Northern Ireland, granted Special Category Status (SCS) to all prisoners convicted of Troubles-related offences. This had been one of the conditions set by the Provisional IRA when they negotiated a meeting with the British Government to discuss a truce, another being the release of Gerry Adams from internment.
https://en.wikipedia.org/wiki/Special_Category_Status
※英語版ウィキペディアには細かく「ソース」がついてますから、誰でも即座に検証可能です。
ほんで、テッド・ヒース政権での交渉(ホワイトローとIRAとは接触していた)で「リパブリカンの囚人は政治犯待遇」という「特別カテゴリー」が設けられたのだが、その後、1974年の総選挙で政権が労働党(ハロルド・ウィルソン)に交代すると、「政治犯じゃなくて普通の刑法犯」という方針(criminalisationの方針)になり、1976年に(辞任したウィルソンのあとに党首に選ばれ労働党を率い、首相となった)ジェイムズ・キャラハンの内閣でそれが固まった。
ちょうどその時期、元々古い軍施設だったロングケッシュ(メイズ)は、軍施設時代のカマボコ(ニッセンハット)ではなく、鉄筋コンクリートの新しい刑務所棟を建てた。それが形状から「Hブロック」と呼ばれた。カマボコ時代は、刑務所当局からのいやがらせなどはあったけれどもかなり自由に行動できていたが(「刑務所」というより「収容所」の性格もあった)、Hブロックはガチ本物の刑務所で、中に入れられれば「犯罪者」扱いされる。リパブリカンで武装闘争をしている人たちは「これは戦争だ」と思ってるし、「自分たちは戦争捕虜にはなるが、犯罪者にはならない」と思ってるので、そんなの我慢ならない。
それが、1981年のボビー・サンズのハンストへとつながっていく「抵抗」の始まり。
……っていうところから始めなきゃならないんですか、と、こちとらもう (@▽@;) ですがな。元のテクストがなければ「あらすじ」でそんな突っ込んだ話はする必要があるとは思わなかったはず(映画で言及されてないし)。しかし元のテクストに中途半端に、しかも間違って、思い切りはしょった形で書かれてる……。
http://t.co/uDC2SHMqCB で、この「あらすじ」はデタラメなのだが、どこをどう書き直せばいいのだろう。全部新規で書いたほうが早い。だからウィキペディアは知識のある人は「参加」しづらい。先行テクストはできるかぎり尊重すべきという原則が自分の中にあればなおさら。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
http://t.co/uDC2SHMqCB それと「政治犯の権利」の剥奪は1981年(サッチャー政権)ではない。75年1月のガーディナー委員会勧告を受け76年3月1日にリーズ北アイルランド担当大臣がSCSの段階的廃止を打ち出した。 https://t.co/srwfmjMH8K
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
http://t.co/uDC2SHMqCB リーズNI担当大臣(1974〜76年)は労働党だ(ウィルソン、キャラハン内閣)。在任中UVFの非合法組織指定を解除してUVFとの政治対話を目指そうとするなど。 https://t.co/a7CZ37YPZU
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
http://t.co/uDC2SHMqCB 1976年9月にリーズに代わりロイ・メイソン https://t.co/UDhJccUQr1 がNI担当大臣になる(労働党キャラハン内閣)。その直後に初めて「ロングケッシュで囚人服を着せられるアイリッシュ・リパブリカンの囚人」が出た。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
http://t.co/uDC2SHMqCB その囚人 https://t.co/pEAfHWbfqF は、ロングケッシュ(メイズ)のケージの経験者だが、1976年9月に有罪判決を受けてロングケッシュに送られた。彼が「囚人服の着用」を拒否したのがブランケット・プロテストの始まり。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
http://t.co/uDC2SHMqCB "「囚人服なら裸で毛布かぶっているほうがまし」と1976年9月に開始された「ブランケット・プロテスト」…78年3月には房を出ると看守に殴られたりするためシャワー・トイレに行かず排泄物は壁に塗りたくるという「ダーティ・プロテスト」開始"
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
http://t.co/uDC2SHMqCB そういう過程があったことの、いったいどこの何が、https://t.co/02xqxWoTlG のような記述に決着するのだろう。まったく理解不能だ。いずれにせよこういう「デタラメ」の修正には非常に手間がかかる。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
……こういったことの検討から、最終的に「あらすじ」のほかに「当時の状況」というセクションを設けることにした。
本当はこんなところに長々と書かず、the 1981 Irish hunger strikeに対応する日本語のウィキペディアのエントリーを立ててそっちにリンクするのが筋なのだが、それ、正直、仕事でもないのにできる作業じゃないですから。。。ウィキペディアなんかどんなに苦労して書いたって、「どうせウィキペディアでしょ」程度にしか見られないし。
なので当座しのぎのようなことだが、ここにセクションを設けて書いておくことにした。が、ウィキペディアンの偉い人が「だめ」と思ったら消されちゃうだろう。
まだ推敲が足りていないし、ウィキペディアで一番めんどくさい「リンク」の作業が適当だが、現状、こういう感じ。
当時の状況
1960年代末に始まった北アイルランド紛争は、70年代を通じて激化していた。北アイルランドは1920年に成立して以来、英国内で自治を行なってきたが、1972年1月30日の血の日曜日事件後に自治は停止され、英国政府の直轄統治とされていた。当時のテッド・ヒース政権 (保守党) のもと紛争状態の解決が模索され、英国政府とIRA暫定派側との交渉の結果、北アイルランド紛争における武装組織の活動に関して逮捕・起訴され有罪となった者には、「特別カテゴリー」 (en:Special Category Status) が認められていた。これは、ロングケッシュ刑務所などに入れられていたリパブリカンの囚人を事実上の戦争捕虜として扱う措置で、囚人たちは刑務所の支給する囚人服を着用する必要はなく、刑務所の労務も行なう必要はなく、同じ組織に属する者たちが一緒に収監されて交流もでき、刑務所外からの訪問や食べ物の小包の差し入れなども、通常の刑法犯とは異なる扱いを受けていた。
1974年、英国の総選挙で労働党のハロルド・ウィルソンが政権を獲得した (2期目) 後、形状から「Hブロック」と呼ばれる新しい棟がメイズ刑務所内に建設されるのに伴い、この「特別カテゴリー」は段階的に廃止されることとなった。そして1976年、ウィルソンの辞任で新たに労働党トップとなったジェームズ・キャラハンの政権が発足してから、実際に「特別カテゴリー」の適用を受けず、囚人服を着用させられる囚人が出た。彼、キーラン・ニュージェント (en:Kieran Nugent) は「囚人服を着せられるなら、裸に毛布をかぶっていた方がましだ」とこれを拒否した。これが既に収監されていた囚人たちの間にも広まったのが、「ブランケット・プロテスト」 (en:Blanket protest) である。
その後も英国政府の態度は軟化することはなく、またメイズ刑務所での看守による囚人への暴行がやむこともなく、囚人たちは次なる抵抗として「ダーティ・プロテスト」 (en:Dirty protest) に打って出た。1978年3月から始まったこの獄中抗議行動は、シャワーやトイレに行くと看守に暴行されることから始まった。囚人たちは房内にシャワーを設置するよう要求したがこれが認められず、抗議行動は次第にエスカレートしていった。房内の壁は囚人たちの排泄物が塗りたくられ、衛生状態は最悪だった。
1979年5月、保守党のマーガレット・サッチャーが政権を取った。1980年1月、囚人たちは「5つの要求」[1]として知られる声明を出した。内容は、「囚人服を着ない権利」、「刑務所作業を行なわない権利」、「他の囚人たちと自由に交流し、教育・娯楽のための活動を組織する権利」、「1週間に1度の面会・手紙・小包の権利」、「抗議行動を通じて失われた刑期短縮の完全回復」である。同年10月、この5点を要求して、ブレンダン・ヒューズ (en:Brendan Hughes) ら7人が一斉にハンスト入りした。これは「第一次ハンスト」(en:1981 Irish hunger strike#First hunger strike)、または「1980年のハンスト」と呼ばれる。同年12月、英国政府からの提案をまとめた文書が作成されたのを受けてこのハンストは打ち切られた。そのときには、「5つの要求」が受け入れられたかに見えたからである。
しかし実際にはそうではなかった。1981年3月、同じ要求を掲げた新たなハンストが、ボビー・サンズ(英語: Bobby Sands)をリーダーとして決行された。
本作は、この時期に実際に起きたことを描いた映画である。
http://t.co/uDC2SHMqCB 他にもこのページは滅茶苦茶で、「サンズのハンガー・ストライキは60日間にわたりサンズの死亡で終了するが、他にも彼に同調して9名の囚人が死に至るハンストを行い」って、「同調」じゃねぇよ、サンズの後に続くのがリパブリカンの作戦だったんだよ
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
http://t.co/uDC2SHMqCB 前年の同じ「5つの要求」を掲げたハンストが、「何人もまとめて一斉にハンストに入った」ために英国に騙されて反撃できなかった(映画Hungerの中で獄中でサンズが机を投げたりするくだり)のを教訓として、1人ずつ連続してやることにしたんだよ
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
「第一次ハンスト」(1980年)のリーダーはブレンダン・ヒューズで、7人が一斉に絶食したんだけど、それはあくまで「交渉」、「譲歩」を実現させるためであって死ぬためではなく、ハンスト参加者の1人が体力的に本当にやばいことになっていく中でのぎりぎりの戦いだったということは、ヒューズ(2008年没)をはじめ、このハンストの参加者が語っているものがある。が、このブレンダン・ヒューズという人が、晩年、ジェリー・アダムズと対立し、アダムズが望まないこと(アダムズにとっていろいろと不利なこと)を語り残していったこともあって「歴史」から消されつつあるのが現状で、ああ北アイルランドこわいこわい。
https://en.wikipedia.org/wiki/1981_Irish_hunger_strike#First_hunger_strike
ほんと、マジでこわいですよ。
http://t.co/uDC2SHMqCB 前年、80年のハンストについては既に書いたものがある。
http://t.co/Uh6MntPWRw
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
で、その「第一次ハンスト」が目標を達成できなかったことから、ボビー・サンズが指揮をとって計画された「第二次ハンスト」(つまり1981年3月1日からの)は、「一気に全員が絶食開始」ではなく、「さみだれ式にひとり、またひとりと絶食する」ことにして、抗議行動の持続性を持たせようとしたわけです。ハンストという形式の抗議行動において最大の阻害要因は「塀の外の家族の介入」で、英国政府が歩み寄る前に家族が介入して絶食を中断させてしまうと、何も達成できない。そこでハンガーストライカーA氏の家族が介入してA氏がハンストを離脱しても、そのあとにすぐにB氏が入れるようにしたりとかも。
なので1981年のハンストは、死んだ10人と死んでない参加者13人の合計23人の体制での大規模抗議行動となり、「塀の外」は「彼らを死なせるな」という声がものすごい盛り上がった。
https://en.wikipedia.org/wiki/1981_Irish_hunger_strike#Other_participants_in_the_hunger_strike
ボビー・サンズの「議員当選」はそういう文脈での出来事。この映画には出てこないから(サンズについて語る作品では必ず「議員当選」のくだりは出てくるのだけど、この映画は本当に独特)ウィキペディアには書いてないけど。
というわけで、映画本編については次のように書いた。主要なソースは英語版のテクスト。冒頭の1段落(色を薄く表示させてある)は私のテクストではなく、元々項目の冒頭に(不自然にも)置かれていたものを移動させた(が、「要出典」だ)。
あらすじ
タイトルの「ハンガー」は「ハンガー・ストライキ」を指しているが、当時のイギリス政府の強硬方針によって政治犯の認定を廃止されたリパブリカン収容者たちが自身のプライドと人権を取り戻そうとする「渇望」をも示す[要出典]。
1981年3月からのリパブリカンのハンスト (en: 1981 Irish hunger strike) を主題とし、このハンストのリーダー、ボビー・サンズ (マイケル・ファスベンダー) を主人公に、看守、新入りの囚人、新人の機動隊員という複数の視点も加えて事態を描写していく本作は、ほとんど台詞がない。
「政治的殺人、政治的爆破事件、政治的暴力などというものは存在しません。存在するのは犯罪としての殺人、犯罪としての爆破事件、犯罪としての暴力です。わが政府はこの点では一切の妥協はいたしません。政治囚として扱うことなど、ありえません」という冒頭に流れるマーガレット・サッチャーの演説は、サンズのハンスト開始の数日後にラジオで行なわれたものである[2]。
素裸に毛布のメイズ刑務所の囚人たちは「5つの要求」を掲げて獄中で抗議行動を行なっていた。「ダーティ・プロテスト」のため房内の衛生状態は最悪で、時おり高圧洗浄機で壁の清掃がされたり、囚人たちは押さえつけられて無理やり髪を切られ、伸びたひげを刈られたりしている。
刑務所の看守のレイモンド・ローハン(作中では名前は出てこない)は囚人を殴りつける毎日を過ごしている。刑務所職員はIRAに狙われているので、車の下に爆発物が仕掛けられていないかどうかのチェックも欠かさず行なっている。
新たにデイヴィ・ギレンという若者が収監される。囚人服の着用を拒否した彼は、その場で「ブランケット・プロテスト」、「ダーティ・プロテスト」の参加者となった。彼と同じ房のジェリーは、房内の壁に排泄物を塗りたくっている。二人は意気投合するが、房内はハエやウジばかりで最悪の衛生環境だ。ある日面会に訪れたジェリーのガールフレンドがひそかに身体に隠して持ち込んだラジオが、外界との接点だ。
ボビー・サンズが看守によって房から引きずり出されていく。無理やり押さえつけられ、乱暴に髪を切られたサンズは看守のローハンにつばを吐きかける。ローハンはサンズの顔を殴りつける。そしてサンズをバスタブに放り込んで、デッキブラシで身体をこする。サンズがうめき声を上げる。中庭で一服するローハンの血のにじんだこぶしに、雪が降りかかる。
やがて、囚人たちに刑務所から「囚人服ではない普通の服」が支給される(上述した1980年のハンストの結末)。「自分の服」を着る権利は認められておらず、怒った囚人たちが暴れだす。
刑務所当局は機動隊の出動を要請する。現場に急行した中に、現場は初めてのような若い人員がいる。機動隊の一員として楯を警棒で叩いて打ち鳴らすという威嚇をし、同僚たちが暴力を振るう中、彼は怯えている。
暴動の後、囚人たちはさらにひどい目にあわされる。ゴム手袋をした看守たちは囚人たちの身体の穴という穴に指を突っ込んで検査をする。ラジオなどを隠し持っている者がいないかどうかをチェックするためだ。抵抗する者は容赦なくぶちのめされる。
ある日、看守のローハンはケアホームにいる母親を訪問する。そして、そこに突然やってきた男に後頭部を撃たれ、ものの見分けもおぼつかない様子の母親のひざの上に、ローハンは崩れ落ちる。
ボビー・サンズはドミニク・モーラン神父の訪問を受ける。面会室で2人が議論を戦わせるシーンは、本作で唯一セリフらしいセリフのある場面である。このときには既にサンズはハンスト決行の意志を固めており、何とかそれを思いとどまらせようとする神父の言葉は届かない。
こうして1981年3月1日 (1976年に労働党政権が「特別カテゴリー」を段階的に廃止すると発表した日付) に、サンズは絶食を開始する。
66日後、やせ衰え、身体のあちこちに床ずれのできたサンズは、息を引き取る。彼が子供のころに参加したクロスカントリーの大会の回想の場面で、本作で唯一の音楽が流れる。
……とまあ、これで約3時間。推敲やリンクの確認のようなこともあるから、3時間では済まないだろう。
なぜそんなに時間がかかるのかというと、「ウィキペディアだから」だ。あの独特の「記法」や「テンプレート」に、誰もが習熟しているわけではない。しかも、ヘルプが膨大でとても見づらい。「記法」はエディターに埋め込まれているボタンが使えるが、「テンプレート」はそうではない。私はいちいち「ウィキペディア 英語 リンク テンプレート」などのキーワードでウェブ検索して参照している。覚えてしまえばよいのだろうが、数が多い上に複雑だし、そうしょっちゅう使うものではないし、習熟したところで、申し訳ないけど何の得にもならないのだから覚えようとするモチベーションがない。
http://t.co/uDC2SHMqCB しかもウィキペディアってのはその独特の「記法」などがあり、ソースの明示などで非常に手間がかかる。まともにやると本文を5分で書いても、ソースを書くのに10分かかるレベル。だからウィキペディアに関わろうとしない人がいても不思議ではない。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
http://t.co/uDC2SHMqCB これから書き換えるよ。出発点は: http://t.co/26RfO6TZTh
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
http://t.co/uDC2SHMqCB うわぁ、いきなりめんどくさ…「1960年代末に始まった北アイルランド紛争」と書き「北アイルランド紛争」にリンクしようとしたら、単独の項目(それがあるかないかも調べる作業が必要)がなく小見出しだよ。小見出しってどうやってリンクするんだ。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
http://t.co/uDC2SHMqCB 「北アイルランド問題」(えっ?)の「北アイルランド紛争」の項目のURL https://t.co/kOoQpPCLuH を編集画面の「ハイパーリンク」に入れても「無効」と言われる。 pic.twitter.com/RBArJ6U0h1
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
http://t.co/uDC2SHMqCB というわけで、いきなりやる気ゼロ。そもそも、「北アイルランド問題」じゃなくて「アイルランド問題 the Irish quesiton」の中の「北アイルランド紛争 the Troubles」ですよね。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
北アイルランド関連のウィキペディアは、めちゃくちゃすぎて手がつけられないですね……。二度目の挫折は目前。項目の偏重は慣れてるけど、そんな語られ方、してましたっけ? というのがてんこ盛りなのと、訳語が「え?」っていうのが多くて……。用語がアレだと「事典」にならないんですよね。。。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
いや、ほんと、どうして「北アイルランド問題」なんて項目で百科事典に載ってるんですかね……「アイルランド問題」、「北アイルランド紛争」という基本的な用語になじんでない人が項目を立てて、それの上にいろいろ積み重ねられてるから、もう本当に手がつけられなくなってる。
![]() | アイルランド問題とは何か―イギリスとの闘争、そして和平へ (丸善ライブラリー) 鈴木 良平 ![]() ![]() ![]() by G-Tools |
それはそれとして、ウィキペディアの書き方の問題。「小見出しへのリンク」。
http://t.co/uDC2SHMqCB これかよ。 https://t.co/epGjru4dlK
"[[a#b|c]] c ページaのセクションb リンク名はc"
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
http://t.co/uDC2SHMqCB よし、ようやくここまで書いた。21文字だ。21文字を書くためにこのくらいの時間をかけている。これがウィキペディアの編集だ。誰だってやりたくないよ。 pic.twitter.com/wJC3Foq3QO
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
https://t.co/zi7RUBf9lf で作業を始めてから、https://t.co/eam1ygq3vR で21字を書き終えるまでに、16分かかっている。ツイートしたりしているヒマを抜いて10分として、「1960年代に始まった北アイルランド紛争」と書くのに10分だよ。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
この調子で書いて、「あらすじ」とそこから派生させた「当時の状況」を何とか仕上げたのだが、このページ、修正すべきはそこだけではないということに気づいた。というか、最初に見たときに「ブランケット・プロテスト」のトンデモ定義と、「いい看守が殺されたので、ボビーは考えを改めました。まる」みたいな、どこをどう見たらそういう解釈が可能なんだと小一時間問い詰めたくなるあらすじに気をとられて気づいていなかったのだが、あっちもこっちもダメだ。
https://t.co/siM1WWLh1D 映画『ハンガー』について、アップしたけど、これ、全面的にダメじゃん。スティーヴ・マックイーンは「アフリカ系」じゃなくて「カリブ系」ですけど??? 誰が書いたの、ほんとこれ。ひどすぎる。 pic.twitter.com/pKZIx7QfNN
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
こんなん、プロフィールに書いてあるでしょう。ウィキペディアにだって書いてある。
https://en.wikipedia.org/wiki/Steve_McQueen_%28director%29
McQueen was born in London and is of Grenadian and Trinidadian descent.
統計的な文脈や、新聞記事などで「アフロ・カリビアン」と言うことはよくあったが、私の知る限り、ロンドンでは「アフリカン」と「カリビアン」はかなり厳密に区別されていた。「カリビアン・フード・マーケット」に「アフリカン」な何かを求めていくことはない、という感じ。住宅街でも、「あそこはカリビアンの通り、こっちはアフリカン」という区別が(実は)あった。当人が「どっちでもいい」と言わない限りは、わかっている事実に忠実に使い分けた方がよい。
そもそも、いちいち「○○系」とか言わないんですが、英国では。「黒人」と言いたいときは「ブラック」か、「アフロ・カリビアン」。「アフリカン・アメリカン」で「黒人」を表す米語とは違うんです。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
あと、Hungerが「IRA暫定派の囚人」の話だとウィキペディア日本語版は書いてるけど、あのハンストはIRAだけではなくINLAも合同で行なったもので、「リパブリカン」です。ほんとに頭が痛い。。。修正してますよ。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
そしてGraham(グレイアム、グレアム)を「グラハム」と読むバカがまだいるという問題(元は「グレーム」ですからね https://t.co/VbLRxcyrxF )。これは、確認したところデータベースでそうなってるのでしょうがない。 http://t.co/lm0cMEjuT3
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
そして「マイケル・ファスベンダーはドイツ人だが」って書いてあって……殴るよ、ほんとに。ドイツ生まれでお父さんがドイツ人、お母さんがアイリッシュで母方を少しさかのぼるとマイケル・コリンズだよ。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
ファスベンダーがアイリッシュであることについては、また改めて書きたいのだけど、チャラい女性誌が「きゃ〜、イケメン」と騒ぐときに(それ自体はいいと思う)「英国男子」扱いするのは、ほんとにやめれ。ファスベンダーは今は拠点はロンドンだが、「英国の俳優」では断じてない。「アイルランドの俳優」だ。キリアン・マーフィーもそうだし、リーアム・ニーソンもそうだ(というと「だって北アイルランドは英国ですよね」というめんどくさい話になるのだが、それは自己決定権に関わる問題である。ゴルフのロリー・マキロイに聞いてみ)。コリン・ファレルなんて、アイリッシュ以外の何者でもない(名前も、ルックスも)。
「ボビー・サンズはハンスト中に自身のメッセージをより強く訴えるために下院議員選挙に出馬し」……違うよ、全然違うよ。https://t.co/siM1WWLh1D
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
でももう限界だよ。もう人が(いい加減に、ソースもなく)書いたものを修正するのはくたびれたよ。3時間かかったよ。 http://t.co/K0AZGX1FxN
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
あと、Hungerのウィキペディアで一番変なところ。
"日本では「サンズは…サッチャーから登院を拒否されたためにハンストを起こして自殺した」という極端な誤解をされる傾向があり、たびたび書籍などにその間違いが散見される"ってあるんだけど、そんなバカな本、私は見たことないよ。 https://t.co/siM1WWLh1D
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
で、私は北アイルランド紛争に関する日本語の本はわりと読んでる方だと思うよ。リパブリカン武装組織やナショナリストのコミュニティについては鈴木良平先生、堀越智先生、佐藤亨先生のお仕事が誰でも読める(購入資金がなければ、公共図書館にあるはず)。そういう本を読まずにどんな本読んでんの。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
まともな文献・資料に当たって書いたものじゃなく、(どうせまたスコットランドとアイルランドの区別もついていない○○氏のような「聞きかじり」がベースなのだろうけど)「サンズは…サッチャーから登院を拒否されたためにハンストを起こして自殺した」とかいう「書籍」が横行してるのが日本語圏。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
![]() | 異邦のふるさと「アイルランド」―国境を越えて 佐藤 亨 新評論 2005-07 by G-Tools |
でさ、今3時間もかけて修正したようなことの大半は、既に2008年には私、オンラインで誰でも読める(検索にもひっかかる)ように書いてるのね。09年にもそれを整理して再アップしてる。 http://t.co/Uh6MntPWRw
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
でさ、今後もこういう賽の河原に石を積むようなことが続くと思うと、心底うんざりなんですよ。Hungerについての日本語版ウィキペディアを今まで見なかったのも、とっくの昔にそういうふうにうんざりしてて、日本語圏の情報は見てなかったからなんですけどね。
— nofrills (@nofrills) July 6, 2015
とりあえずこんなところでね。
おお、なんかすばらしい論文見つけた。
‘The system will break before we will’: Irish republican prisoners' blanket and no-wash protests against criminalisation
Rosa Gilbert
Dissertation submitted in partial fulfillment of the requirements for the degree of Master of Arts in Historical Research at Birkbeck, University of London 2012
http://www.academia.edu/6006199/_The_system_will_break_before_we_will_Irish_republican_prisoners_blanket_and_no-wash_protests_against_criminalisation
This paper is a study of the blanket and no-wash protests in the Maze/Long Kesh and Armagh prisons, undertaken by Irish republican prisoners from the 1st March 1976 until the end of the hunger strike in October 1981. Using Michel Foucault’s work on liberal governmentality and biopolitics, it frames the protests in terms of the power relationship between the British government and the republican prisoners, engaging with the debate over who was responsible for the protests and their escalation. In doing so it covers three key areas: the criminalisation policy, how the protests were deeply linked to this policy but also resisted it, and the use of language and imagery by both sides in framing the protests. This contributes towards the argument that the prison protests represent a microcosm of the conflict in Northern Ireland, and became the battleground through which the British government and republican movement invested their ideological positions...
※この記事は
2015年07月06日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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