kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2015年06月22日

日本語圏で追跡調査や訂正報道があったのかどうか知らないけど、「スノーデン文書をロシアと中国が解読」との先週の報道は限りなく疑わしい。

表題の件、全部ここに書いた↓↓↓

スパイ小説か!サンデー・タイムズの雑な独占報道によると露中がスノーデン文書を解読したらしい。だが……
http://matome.naver.jp/odai/2143426325651603601


6月14日付の英サンデー・タイムズが、「ロシアと中国がスノーデン文書を解読した(と、英国の首相官邸筋が述べた)」、「そのせいで英国の諜報機関が人員を引き上げざるを得なくなった(というわりに、なぜか外務省が出てこない状態)」という記事を出したのだが、何しろ「匿名の情報源」による「裏が取れない話」であるばかりか、記事自体が事実関係の間違いだらけで、エドワード・スノーデンの動きを正確に追うことすらできていない(当時、報道を見てた人なら誰でも指摘できるレベルの事実誤認が含まれている)状態。

で、サンデー・タイムズは日曜しか出ない新聞なので(タイムズとは編集部もウェブサイトも別)、1週間、追加の報道を待ってたけど、いくつかあった事実誤認のうち1件がひっそりと「訂正欄」に出たほかは、特にありませんでした、というお話。





で、このサンデー・タイムズのいいかげんな記事に乗っかって、特にアメリカの「スノーデン嫌い」の人々がいろいろ言ってたんだけど、その人たちも別に訂正とかはしてないみたい。

「諜報の現場を知らない奴に限って、スノーデンを英雄視したがる」とか言ってたアカウント、どうしてるのかな。。。「スノーデンを否定するか、英雄視するかのどちらか」ではないはずなのにね。

こうやって印象操作されてるんですよ。

ちなみに14日のサンデー・タイムズの記事の記述は、「ハウツー印象操作」という感じの教科書的なサンプルになると私は思います。事実関係がぐだぐだなので広めたくないけれども。

※事実関係のぐだぐだの指摘は下記(ジョウゼフ・コックスさんの連続ツイート)に。
http://matome.naver.jp/odai/2143426325651603601?page=3

ちなみに、「スノーデンの暴露」後の最新の動きとして、今日はこんなニュースが。




21日はスノーデン氏、32回目のお誕生日だったそうです。





※この記事は

2015年06月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:00 | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼