「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2015年05月28日

北アイルランド自治議会が、機能不全を起こしている。「またか」と言うなかれ。今回は深刻だ。

人間が考えるたいがいのシステムは、いつかは古くなって、実用に耐えなくなるか、実態にそぐわなくなるのが当たり前かもしれない。何らかの問題を解消・解決するために、いろいろな要素がある中で何かを優先して考案されるシステムは、時代の流れ、状況・環境の変化、人々の考え方の変化によって、だんだん齟齬が生じてくるものだろう。

1998年のグッドフライデー合意 (GFA) でスタートした現在の北アイルランドの「自治」は、通常の「与党と野党」というシステムではなく、「パワー・シェアリング(権限の分担) power sharing」という形で機能するシステムだ。通常は議会で過半数を持った政党が組閣するが、北アイルランドでは獲得議席数に応じて閣僚ポストが各政党に割り当てられている。なので北アイルランドには「与党」もなければ「野党」もない。

しかしGFAでの自治議会は、2002年の「スパイ騒動」(その事実はなかったことがあとで確定されたが)でサスペンドされてしまった。さらに2003年の自治議会選挙でGFAに反対していたDUPが最大政党となった。どうすれば北アイルランド自治議会を機能させることができるかが模索され、交渉交渉また交渉の末、シン・フェインによる警察の支持という歴史的な転換点を経てDUPの支持を取り付けることで実現されたのが、2006年のセント・アンドルーズ合意に基づく現在の自治政府だ。これにより、ユニオニスト側のDUP、ナショナリスト側のシン・フェインをそれぞれ最大政党とし、両党から正副ファースト・ミニスターを出し、UUPとSDLPとアライアンスも閣僚を出すという形が実現された。この合意で、司法 (justice) の権限が英国の直轄統治から北アイルランドの自治に戻されることとなり(具体的に実現したのはさらにその数年後だったが)、ストーモントの自治議会は2007年5月8日に心あたたまるようなセレモニーで再起動された。現在の自治議会はそのときに再起動された自治議会である。
https://en.wikipedia.org/wiki/Northern_Ireland_Assembly#Current_assembly_and_suspensions

……というわけで、(DUPは全力で否定するが)元々は1998年のGFAで形になった自治議会のシステムが、そのときそのときに修正されつつ、何年もかけてまともに機能するようになって今日がある……というだけなら美しいのだが、これが機能しない。

システムの(今から見れば)原型といえるものが作られた1998年までの時点では、解決・解消されるべき問題は「宗派間対立」だった。というか、より正確には「50%以上の "プロテスタント" が、50%未満の "カトリック" を二級市民扱いしてきたことから、武力紛争になった」ということを踏まえ、(大まかに政治的に「ユニオニスト」と「ナショナリスト」に対応する)これら2つの宗派の一方だけに偏って有利な政治を行わないようにしなければならないということが、「ポスト紛争」のシステムの最優先事項だった。「クロス・コミュニティな/双方のコミュニティ間で隔たりなく cross-community」という形容詞が、とても重要なキーワードだった。

しかし、である。

With the first minister Peter Robinson in hospital recovering from a heart attack and unable to take part in the debate, his DUP attempted to introduce a bill that would have led to reforms of the benefits system locally and manage redundancies in the civil service.

But Sinn Féin and the SDLP exercised a veto known as the “petition of concern” where bills can be defeated if one side of the sectarian/political divide claims there is insufficient cross-community support for the law.

--- Northern Ireland power sharing in crisis as welfare bill fails
Tuesday 26 May 2015 22.54 BST
http://www.theguardian.com/politics/2015/may/26/northern-ireland-power-sharing-in-crisis-as-welfare-bill-fails


阻止された法案はウエストミンスターの緊縮財政方針にともなう福祉削減に関するもので、2014年12月のストーモント・ハウス合意(「エクストリーム交渉」の末、結ばれた合意)に含まれていたのだが、この3月、突然シン・フェインが支持を撤回した(「エクストリームUターン」)。既にEUの予算もとりつけていたメイズ/ロングケッシュ刑務所跡地再開発計画への支持を、DUPがいきなり撤回したことを思わせるようなUターンだった(あのころから、「ピース・プロセス」の行き詰まり感ははっきりとわかるほどになった)。

ここでシン・フェインとSDLP(ナショナリスト/カトリックの側)が、「福祉の削減」というクロス・コミュニティ云々(つまりセクタリアン・ディヴァイド……今はこの言葉はあまり使うべきではないのだが)の問題ではないものについて「一方の側での説明・議論・理解・支持が不十分な場合の拒否権」を使うのは、「法案成立を阻止するために、使えるものは何でも使っている」状態だろう。

しかし、これは本質的にとても危ういことだ。この法案は、「ナショナリスト/カトリックは承服できないが、ユニオニスト/プロテスタントは支持している」などというものではないからだ。

実際、ユニオニストの側からこんな声が上がっている。








また、例の「ウエスト・ロジアン問題」のロジックを思わせる指摘としてはこういうのがある。




このように、北アイルランドのWelfare Reformの問題は、セクタリアン・ラインに沿って人々の意見が分かれているわけではないということが、リアルに示されている。こういうとき、デイヴィッド・アーヴァインの早すぎた死が惜しまれてならない。

実際、北アイルランド紛争のごく初期の段階では、「労働者の連帯」の理念が現場にあった。セクタリアニズムより階級闘争、という考え方はあったのだ。

18世紀のユナイテッド・アイリッシュメンだって「ベルファストのプロテスタント」が主導した運動だった。だからアイルランドの三色旗には、「プロテスタントの色」であるオレンジ色(オレンジ公ウィリアムの色)が入っている。

けれども、その「労働者の連帯」はすぐに分断され、北アイルランドの人々は「宗派間暴力」の中に置かれてしまった。その過程は、ロイヤリストの左翼の人々(PUPは「プログレッシヴ」な政党だ)の口から語られているものをいくつか読んだことがある。

そして紛争による暴力と破壊のあと、「ポスト紛争」の社会を築く理念の柱のひとつとして「クロス・コミュニティな」が出てきた。宗派による住み分け(この通りはプロテスタント、この一角はカトリック……のような)が普通になっていた1990年代の北アイルランドでは、それが何より優先されることのひとつだった。

しかし、そのころの制度ではうまく対応できないことが、そろそろ出てきているのではないか。

DUPは「パワー・シェアリング」という形ではなく、明確な「与党、野党」の構造で自治政府・議会を運営していくべきと考えている。そうすることで、「交渉交渉また交渉で落としどころが見つかった……かと思えばUターン」のようなことがなくなるという考えには、一理ある。

しかしそうすれば、また元の木阿弥になるという可能性もまた無視できない。選挙区分も、「プロテスタント」の側がずっと議会の多数派でいられるような境界設定(ゲリマンダリンク)が行われるだろう。「カトリック」は少数派のままにされ、その意見は無視されるか軽視され、「二級市民」の扱いすら復活するかもしれない。

「紛争解決」にせよ「紛争転換」にせよ、「ポスト紛争」の社会は、「紛争末期」に考案したシステムが機能不全を起こしたときにどう対処するか、ということも考えていかねばならない。そういう隙間に、武装勢力の再伸張ということも起こりうるし(近年の東ベルファストのように)。







What is a petition of concern?

The measure was designed as a way to safeguard minority rights in Stormont's power-sharing assembly.

If a petition of concern is presented to the assembly speaker, any motion or amendment will need cross-community support.

In such cases, a vote on proposed legislation will only pass if supported by a weighted majority (60%) of members voting, including at least 40% of each of the nationalist and unionist designations present and voting.

Effectively this means that, provided enough MLAs from a particular community agree, that community can exercise a veto over the assembly's decisions.
http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-32894371







And then...

Northern Ireland welfare dispute: Westminster could take over powers
http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-32896244

The secretary of state has said she cannot rule out Westminster legislating on welfare matters in Northern Ireland.

Theresa Villiers is meeting the NI parties following Tuesday night's rejection of the Welfare Reform Bill.

... On Wednesday, the secretary of state said: "In this situation it means looking at a range of options, some of which are certainly options we wouldn't want to choose in the best of circumstances.

"But I think I can't rule out action on this at Westminster, but we're some way away from that as we speak, there is still more that can be done to try and reach a resolution through the devolved institutions."


キャメロンの発言ではなくNI担当大臣の発言だけど、これがウエストミンスターの意思。

※この記事は

2015年05月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:00 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。