「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年05月25日

北アイルランド自治政府ファーストミニスター、ピーター・ロビンソンが倒れた。

アイルランド島で立て続けにあれこれ起こりすぎていて全然追いつけないのだが、北アイルランドでファースト・ミニスター(自治政府首相)のピーター・ロビンソン(66歳)が倒れた。月曜の朝、自宅で具合が悪くなって病院に搬送され、さらにベルファストで最も設備の整った病院(ロイヤル・ヴィクトリア病院: RVH)に移って検査を受けているとの由。おそらく心臓発作。



報道関係のツイートや政界からのお見舞いの言葉は下記にアーカイヴした。

#NorthernIreland: First Minister Peter Robinson hospitalised (25 May 2015)
http://chirpstory.com/li/268239


5年前の激動の中で「政治的ゾンビ」と呼ばれたこの人について、個人的に思いついたことを書くと、単にほんとに「不謹慎」になってしまうので控える。(←あんまり控えてない。)

なお、現地では「不謹慎ジョーク」が飛び交っているようだが、それらは上記のアーカイヴ(Chirpstory)には入れていない。いちいち探すのがたるいから。

それでも、フォローしたりリストに入れていたりする人の誰かがRTしていたりするので、見たものはある。

そのうちのひとつが、基本的に「反ダブリン」の宗教保守(福音主義、プロテスタント根本主義、原理主義)政党であるDUPの党首が倒れたことと、彼自身のつい最近の発言と、「ダブリン(アイルランド共和国)で決まったこと」を華麗に結んだもので、これは「政敵」から聞こえてくるのではなく(そもそも北アイルランドの今の政治体制では「政敵」はおらず、「パートナー」、「交渉相手」がいるだけ、というのが表向きのことだ。わざわざ発言するような「政敵」は、いるとしたら、党内にいる)、「一般市民」から聞こえてくるものだ。

政治家たちは、DUPの人もUUPの人も、SDLPの人もアライアンスの人もお見舞いの言葉をツイートしている。シン・フェインの副ファースト・ミニスターのマーティン・マクギネス(SFはあとはアダムズがツイートしているけれど、ほかは……):




同じDUPのイアン・ペイズリー・ジュニアは、さほどツイッターを使ってる風は元々なかったんだけど、今のところツイートなし。最新のツイートが5月22日。
https://twitter.com/ianpaisleymp

双子の兄弟で政治家ではなく宗教家のカイル・ペイズリーさん:



ちょうど今日、この人の発言の記事が出てるんですよね……しかしなぜここでルース・ダドリー・エドワーズが出てくるのかはなぞ。



それと、今週はストーモントが「山場」だったはずで……





心臓なら、ピーター・ロビンソンはしばらく静養するだろうから、火曜日に出てくるのはアーリーン・フォスターか誰かだろうと思う。

※この記事は

2015年05月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:46 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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