「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年05月08日

「ウエストミンスター型政治システム」の終わりのはずが、「現行の投票前世論調査のやり方」の終わりに?

投票前は「2010年に続き、どこも過半数を制さないhung parliamentになる見込み」だとか、「保守党と労働党の支持率はほぼ拮抗」だとか言われ、いわゆる「ウエストミンスター型の政治」(二大政党制: 二大政党の間で政権交替が行われる政治形態)の「終焉」が語られたりしていたが、実際にフタをあけてみれば保守党の(「ランドスライド」とまでは行かなかったが)「楽勝」だった。

私自身も事前調査についての報道を読みながら、「スコットランドの議席が半分以上はSNPに行くことが確実なときに、ほんとにここまで接戦になるのかなあ」と思いつつ、実績のある調査会社がそう分析しているのだから、さほど現実からかけ離れてはいないのだろうという程度に、分析の内容を信じていた(自分が考えるときの前提としていた)のだが、実際には大きく違う結果が出た。

というより、実際に出た結果より前に、投票所が締め切られた瞬間に報道された出口調査の結果(←これ、いかにも「日本だけが特殊」なように言う人たちがいるけれど、そうじゃないので)で、既に調査会社の分析は大きく外れていたことがわかった。

投票前の調査会社の分析のまとめ:


投票締め切り(日本時間8日午前6時)直後に出た出口調査の分析(BBCをはじめ、英国の報道機関の合同調査):



「もしこの出口調査が正しかったら、一番の負けは調査会社だ」という声(多数あり):


英国の報道機関とはまったく分析結果が、アメリカのNate Silver(2012年の米大統領選挙で、大手の分析とは異なる予測をして見事的中させて「ヒーロー」扱いされた人)から:

……ええっと。
ええっと。
北アイルランド諸政党どこー (・_・)

いや、まじめな話、上記の一覧表の合計は北アイルランドの議席数を引いたものになってるんで、一応は、問題ないんすけどね。一応は。

ま、それは便宜上おいといて。

また、Nateと同じような感じの予想は、昨年9月のスコットランド独立可否レファレンダムのときに「Yesが52%」という結果を唯一出した調査会社、YouGovも出していた(出口調査と、投票直前の世論調査分析とが一致していたようだ)。

YouGovによる直前の分析。タイトルは "FINAL CALL: Conservatives and Labour tied":


YouGovによる出口調査分析:


Nate Silverのところの数値も、YouGovの数値も、「単独過半数のないhung parliament」という結果を示しており、議席数のバランスも、事前の世論調査を踏まえていれば納得のいくものだった(これでも保守党とLDの現連立政権の数が上回るので、労働党を中心とする連立政権は成立しえない、というのは重要なポイントとして指摘されていたが)。

だが実際には、Nate Silverの予想も、YouGovの予想も、開票結果からまったくかけ離れていた。というか、開票結果は、BBCなどの出口調査の分析がほぼ的中していた。

まだ1議席が確定していないのだが、実際の開票結果 via BBC(画像クリックで原寸):


保守党: 330
労働党: 232
SNP: 56
LD: 8 (!!!!!)
DUP: 8
その他: 15

たぶん、LDの溶けっぷりがあまりにすさまじかったということだろう。何しろ、「48議席減」である。ありえない減らしっぷり。それも、前回、2010年の総選挙の投票前に「第三極」として注目されていたというところから考えれば、本当に「考えられないほど」だ。

(でも2010年も、実際には、注目はされていたけれど議席数は前より減らしていたし、確か得票数も減らしてたはず。2000年代の「イラク戦争」の時代にLabourを見捨ててLD支持になった人々が、2010年のLDは支持できなくなっていたりした)

LDがどういうふうに議席を減らしたかは詳細な分析が待たれるが、重要なのは、保守党との連立政権で閣僚になっていた人々は、ニック・クレッグ党首(副首相)とスコットランド担当大臣(スコットランドのヘブリディーズ諸島が選挙区)を除いて、全員落選したことだ。大物も若手も。つまり、連立政権でLDがやったことへの有権者の失望が、LDという政党を溶かしたのだ。それに巻き込まれたのが、ロンドンのバーモンジーの選挙区で30年も議員をやってきたサイモン・ヒューズだ(難民問題などで非常に重要な仕事をしてきた)。



そんな状況で、Nate Silverが自分の足元を見つめつつ、ある意味ボヤいている。


事前の世論調査・分析が実際とはかけ離れていたのは、Nate Silverを有名にした2012年の米大統領選挙(オバマ対ロムニーの接戦が予想されていたが、実際にはオバマの圧勝だった)以降、(単純な選挙制度を有する)「西側先進国」で何度か連続している。Nate自身、「米中間選挙、スコットランドのレファレンダム、イスラエルの選挙」を挙げている(が、スコットランドのは、「Yesが52%」なんていう数値を出したのは、複数ある機関のうち1つだけだったし、「52%」のショックで、当日までどっちに投票するか決めてなかった人が「No」を選んだということは決して軽視できない)。



ここで、まったく英国と関係ないところで場外乱闘も始まっている様子。





データって何だろうと思う。

10年くらい前、『テロの経済学』っていうアメリカの経済学者の「テロリスト」の背景分析の本がめっちゃ話題になったことがあった。でも、そこで扱われている「テロリスト」の範囲があまりにひどいので、私は寝転んでナナメ読みしただけだった。だってさ、IRAなど北アイルランドのテロ集団のことを「特殊だ」などと呼んで、分析の対象にしてなかったんだから。そして導き出した結論が、「政治家などは、貧困がテロを生じさせるといい、テロ対策は貧困対策をすることでできるというが、実はそうではなく、貧困とテロとは無関係だ」、「テロは思想だ」というものだった。大筋は、合ってるのかもしれない。OBLは親の金で何でもやりたいことができたおぼっちゃんだし、9-11の攻撃の実行者らは教育水準も高いミドルクラスの人々だった。

だが、この本の著者が「特殊」として切り捨てたIRAは、それとは異なるバックグラウンドで、構造として「テロリズム」を内面化していた北アイルランドという場所を中心に、世界的に――主要な資金源はアメリカだった――支持と居場所を広げていた。つまり「差別される側の屈辱」、「貧困」、「絶望」だ。(北アイルランドでは、長い時間をかけてそういう「問題」を改善しつつ、彼らの「思想」を語りなおし、紡ぎなおしていくことで、「テロ」という《手段》がとられないようになってきた。)

北アイルランドと同じようなかたちで「テロリズム」が存在するところは、ほかにもあるだろう。

『テロの経済学』はそういうのは全部見ないことにしている。端的にいえば、あれはアメリカの中だけで通用すればよいような、アメリカのポリシーメイカーに向けた本だ、ということかもしれないが、そういう枠組みの中でデータをさわっていれば、いくらそのデータがよくても、分析者が優秀であっても、「世界の実際のところ」とはかけ離れた結論を導き出してしまうんではないか。

今は、まあちょっとこの結果は私もショックなんで、うまく書けない。それに、やっべー、2時間しか寝てないわー。

※この記事は

2015年05月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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