「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2015年05月07日

英総選挙当日、ガーディアンを「UK版」にして見る方法。

先日、レイアウトを最新の流儀・流行に合わせてリニューアルしたガーディアンのサイトが、その後、International Edition(国際版)を立ち上げた(現在はまだベータ版)。トップページに並ぶニュースが、これまであったUK版、US版、オーストラリア版のいずれとも異なる。

UK国内ニュースについては、UK版(英国版)で見るのが最もよいことは言うまでもないだろう。特に今日は総選挙なので、注目しておきたい。が、日本から普通にアクセスすると、「国際版」で表示されてしまう。

本稿では以下、その切り替え方と、内容の違いについてメモする。


日本から普通にガーディアンにアクセスすると、右肩のロゴのところが次のようになっているはずである。これが「国際版」の表示である。



この "International beta" の右側に表示されている「▼」のマークをクリックすると、そのほかの版へのリンクがドロップダウン・メニューで表示される。



ここで見たい版を選択すればよい。「UK版」を見たいときには、"UK edition" を選択する。そうすると次の図のようになる。



……ということをせず、単に http://www.theguardian.com/uk とアドレスバーに打ち込んでもよいのだが、版 (edition) を選択しておくと、cookieが記憶しててくれるので(cookieを無効にしたりブロックしたりしていない限り)、いったんブラウザを閉じるなどしたあとに再アクセスしたときにいちいち選択しなくてもよくて便利だ。

「国際版」と「UK版」の違いは下記の通り。同じ長さ(ピクセル数)で切り抜いてみた。

国際版(→ヘッドラインの文字が読める、フルサイズのキャプチャ。画像はここから流用されないように加工済):


UK版(→ヘッドラインの文字が読める、フルサイズのキャプチャ。画像はここから流用されないように加工済):


国際版、UK版とも、今日はメインの記事(英国の選挙)に添えられている大きな写真は、スライドショーになっている。本稿で使っている日本時間で16時台(現地朝8時台)のキャプチャだと、ちょうど投票所がオープン(午前7時)した直後の写真が表示されていた(「投票所」の案内板を出す各地の投票所の写真や、労働党のエド・ミリバンドとエドが労働党党首になってから正式に結婚した長年のパートナーのジャスティーンさんが投票所から出てくるところ、スコットランドのSNPのニコラ・スタージョン夫妻が投票所に入るところなど)。

現代イギリス政治現代イギリス政治
梅川 正美 力久 昌幸 阪野 智一

イギリス現代政治史 ウェストミンスター・モデルの変容 日本政治の「英国化」を問い直す (立命館大学法学叢書) イギリス政治の変容と現在 イギリス近代史講義 (講談社現代新書) 福祉国家と新自由主義 イギリス現代国家の構造とその再編

by G-Tools


※この記事は

2015年05月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 17:00 | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。