「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年04月30日

《The + 比較級 …, the + 比較級 〜》の構文のバリエーションで、最上級が用いられている実例(補記:「私はオレンジジュース」式の文について)

こういうものは、「実際にこういう実例がある」ということを知らなければ、そういう例があるのかどうかを探すこともできないし、「こういう実例がある」ということを記録しておかなければ、大量の現物にまぎれて探せなくなってしまうのでメモ。

《The + 比較級 …, the + 比較級 〜》で「…すればするほど〜」という構文は、普通に教育課程で英語を履修していれば、高校で誰でも習っているはずだ(ただし2013年以降の日本の高校英語のことはわからん)。私は高校時代に下記の例文で覚えた。

The more you have, the more you want.
(持っているものが多いほど、ますますほしくなる)

この前半が、比較級ではなく最上級になるパターン。めったに見ないが、ないわけではない。その実例を今読んでたBBC記事から:
We continue to appeal to anyone who may have knowledge of people with similar intentions. The earliest we can intervene to prevent terrorism the better.
http://www.bbc.com/news/uk-32521780


記事の内容は、「学習障害のある少年を標的に定め、友人として近づいた上でそそのかしてテロ行為を行わせようとした18歳男子に有罪判決」というもので、それはそれで別途見ておく必要があると思うが、ここでは英語の例文だけ。

引用したのは警察の人のコメントで、「(有罪になった被告と)同様の意図を持っている人のことを知っている方がいらしたら、ご一報いただきたい。われわれ(警察の対テロ専門部門)が(可能な限り)最も早く介入することができれば、より状況はよくなる」という意味。

"The earlier we can intervene ..." としても、たぶん《意味》は同じだが、この文例での "The earliest" という最上級には、込められている感情がある。ただしこれ、文法としては「間違っている」と扱われる(「間違っている」という扱いの例)。スタンダードな英文法では、この構文は「間違っている」ので、「通例、言わない」とされているはずだ。

同じように、「間違っている」とされているものに、「わたしはオレンジジュースです I am orange juice」がある。言語学ではこういう文を「うなぎ文」と呼ぶ(「ぼくが注文するのはうなぎです」を「ぼくはうなぎだ」と言うことから)。それについて、過日、非常に有益なページを見たので、それについてもついでにメモしておきたい。

そのページは、高田大介さんという小説家・言語学者のブログで、日本語圏で普通に見られる「ウナギ文」の実例を集めたエントリへの補遺として、まさに「ウナギ文」という概念の主である奥津敬一郎さん(言語学者、日本語学者)が、2007年に行なった講演会の報告と、講演原稿を元にまとめられたものである。

奥津さんの著書といえば:

4865040854「ボクハウナギダ」の文法
奥津 敬一郎
くろしお出版 1978-03-15

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高田さんのブログから。今年サントリーのキャンペーンの「春はあげもの」で改めて存在感を示した、1000年も昔の日本語の文、「春はあけぼの」も考えてみれば「ウナギ文」だというのは、確かにそうだ。私は無意識に、「春はあけぼの」=「春といえばあけぼの」と展開していたのだが、純粋に文法として見れば、「私はオレンジジュース」と類似している。(なお、「うなぎ文」は「ぼくはうなぎだ」という料理の注文でありがちな実例が元になっているが、個人的にうなぎが苦手なので「オレンジジュース」に置き換えさせてもらう。「うなぎ」と聞くだけでごってりとした脂がイメージされてどうにも……)

これが、「日本語だけで起こる特有のもの」だというのが通説になっている。私もそう思ってきたし、私の知る人々でこの話題について話したことがある人々も、一人残らずその見解だった。

しかし、奥津さんの講演によるとそうではないというのが、高田さんのブログだ。
この I am coffee 型の文について追ってみよう。

この類は世界中に見られる。定式化すれば : I am coffee / Je suis café / Ich bin Kaffee/ lo sono caffè のごとくであるが、このコピュラ入りの表現が正用とされるか否かは諸論ある。だいたいインフォーマント(あるいは語学の先生)に尋ねると「言わない、言っても相当ブロークンな表現」といった具合に応じられるものである。このばあい問題は「相当ブロークンな表現」であっても、「現に言う」ということが肝心なのだが、インフォーマント(および教師)は規範文法的なバイアスがかかって、つい「言わない、不適」と証言するのである。思えば日本語の「僕はうなぎだ」だって自然ではあっても「ちょっと奇妙な例」、百歩譲っても「滑稽な曖昧さ」を含んでいる。

管見では「うなぎ文」は世界共通、ほとんど普遍的な言語現象ではないだろうか。ただそこには文法学者や教師が「ぱっと認めたくないイロジックな感じ」がある、そこがしばしば用例を否定される原因になっているのである。


そして、高田さんのブログで参照されているのが、フランス語の産業翻訳者である中井秀明さんのページに引用されている池上嘉彦さんの著書の一節だ。

たとえば池上嘉彦『「日本語論」への招待』に、こんな例が紹介されている。

池上氏が、ロンドン大学の食堂でグリーンバウムという偉い学者と同席した折の話である。料理を運んで来たウェイトレスが、どちらが何を注文したのか忘れて迷っているとき、この偉い学者の口をついて出た言葉が「I'm fish」だというのだ。池上氏がそのことを指摘すると、グリーンバウム氏は、照れくさそうに「あれはsloppyな(だらしない)言い方なのだ」と答えたそうである。


なお、中井さんはこの文章でフランス語での "Je suis cafe'" のような実例(複数)について検討しておられるが、フランス語では「名詞が形容詞化されている」という要因があるとのこと。名詞の形容詞化は、英語でもフランス語以上にあるけれど、グリーンバウム先生の "I'm fish" のfishは、そのような「形容詞化された名詞」とは考えられなかろう。

「日本語論」への招待 (Kodansha philosophia)「日本語論」への招待 (Kodansha philosophia)
池上 嘉彦

日本語と日本語論 (ちくま学芸文庫) 英語の感覚・日本語の感覚―“ことばの意味”のしくみ (NHKブックス) 日本語の論理 (中公文庫) 「する」と「なる」の言語学―言語と文化のタイポロジーへの試論 (日本語叢書) わかる!! 日本語教師のための応用認知言語学

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日々日本語で生活していて「うなぎ文」を使わない日はたぶんないだろう。居酒屋に行けば
「ご注文はお決まりですか?」
「俺はねぇ……生中。はい、生中の人、手挙げて。あと枝豆。みんな食うでしょ? 3つくらい頼んどく? じゃ、枝豆3つお願いします」
「はい、では生ビール中ジョッキが5名さまと、枝豆が3つですね」
「あと、こっち、ウーロンハイ3つお願いします。それと、ユキちゃんは梅酒だよね?」
「ウーロンハイ3つと、梅酒……ロックでよろしいですか?」
「ソーダ割りで」
……といった会話がある。

「みんな、大笑いした」を「みんな、大笑いだった」などと表すこともある。

「うちは猫ではなく犬を飼っている」を、「うちは犬」と言うこともある。

何かが「正しい」文であることは、別の何かを「正しくない」文だとして排除することには直結しない。

それでも、「言わない」文というのがあって、それは「通じない」(話者の言いたいことを他者に伝えない、あるいは誤ったふうに伝える)から「誤り」とされるのだ。

Practical English UsagePractical English Usage
Michael Swan

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※この記事は

2015年04月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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