kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年04月28日

歴史と伝統の英国のトレンドから、今日は「エド・ボールズの日」なので、政治家とITについて振り返ってみよう。

エイプリル・フールはもう古い。Twitter時代は「エド・ボールズの日」で決まり!



というわけで、今のUKのTrendsのトップ項目は、当然、「エド・ボールズの日」!



ただし今年は、総選挙直前(あと10日ほど)ということで、例年より控えめなお祝いとの現地報告。 (・_・)



※以下、解説。

エド・ボールズ。英国の政治家。労働党。一昔前の労働党で「ブレア派か、ブラウン派か」(なお、当時「オールド・レイバー」は、実際には完全にカヤの外であったことは強調しておかねばならない)でドロドロとした政界ドラマが取りざたされていた時代の「ブラウン派」の筆頭(ゴードン・ブラウンの側近中の側近)。妻のイヴェット・クーパーも労働党の政治家で、一時は夫婦そろって英国の閣僚になっていた(前代未聞)。1967年、イングランドのノリッチ生まれで、親は学者。全寮制の私立学校からオクスフォード大学へというハイソなバックグラウンドの人である。大学時代から政治への関心が高く、労働党に加わっていながら、主要3政党すべての学生団体に登録して、講演会を聞き歩いていたという(この世代なら、大学生のときはサッチャー政権だ)。現在は「影の内閣」の財務大臣。つまり今度の総選挙で労働党(が主導する連立)政権が成立したら、ほぼ確実に財務大臣になる人だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ed_Balls

1行で言うなら、「英国ではだいたい誰でも顔と名前が一致する政治家のひとり」である。

歴史と伝統の英国では、なぜか、その彼を記念する日が昔からあり、それが4月28日なのである。

(・_・)

……なわけないじゃん。

(・_・)

以下、まじめに。より正確に表現するなら、私は「まじめに」書くけど、書く内容は、基本的にふざけている。

1960年代生まれの英国の政治家は、世間の流行に飛びついてきゃぴきゃぴしてみせる人がけっこう多い。これがけっこうなコントの様相で、ほんのちょっとだけ(←Britishのよく使う婉曲語)ニヤニヤさせてくれる。

たとえばデイヴィッド・キャメロンは「学生時代はThe Smithsが好きでよく聞いていた」などと発言してジョニー・マーからTwitterで「禁止」を言い渡されたし(このコントに乗っかってきたモリッシーもおもしろかった)、本物のハイソなおぼっちゃまなので縁がなかったはずの庶民のスポーツ、フットボール(サッカー)にも関心が高い「実は案外庶民的な私」を演出しようとしてきて、つい先日は盛大に墓穴を掘ってみせてくれた

ブレア政権、ブラウン政権で閣僚を歴任し、現在は政界を引退して国際的人道支援組織のトップをつとめているデイヴィッド・ミリバンド(エド・ミリバンド労働党党首の兄)は、環境大臣をつとめていた2006年に英国の閣僚として初めてブログを開設して、当時「先進的」な取り組みをしていたメディア(当時はまだまだ「紙対ネット」の対立構造があった)で持ち上げられた。環境大臣時代に、「オープン・ガバメント」の取り組みとしてWiki(←「ウィキペディア」ではない)を使ったページを開設したが、それがひどく荒らされて「チャラチャラと最先端に飛びついてばかりいるから」的な冷笑を「紙」のメディアから浴びせられるなどしていたが、10年ほど経過してみれば、この人が先鞭をつけた「ネットの活用」は、英国のオフィシャルな政治・行政に完全に組み込まれている(たとえば「英外務省のソーシャル・ネット活用」などはかなりすごいものがある。各国にいる英国大使が個人の発言をどんどんしているし……レバノン大使おもしろいですよ)。

デイヴィッド・キャメロンは1966年生まれ、デイヴィッド・ミリバンドは1965年生まれで、Windows 95が出たときにだいたい30歳くらい。この年代の人は、学生時代はほぼ「紙」だけで、「コンピューターのないオフィス」も実地で知っている。一方で、「コンピューターという新しいもの」も拒否感なく「自分が使う道具」として接してきている。

1967年生まれのエド・ボールズも、ほぼ同じ世代に属している。ウィキペディアを参照すると、ボールズは大学を出たあとすぐにフィナンシャル・タイムズで書く仕事についているが(1990年)、このときにはコンピューターはオフィスのデスクには存在せず、あったのは電卓とタイプライターだっただろう。(日本ではワープロ専用機が使われていた時代だ。)

そんなふうに「最先端のテクノロジー」と接してきた彼らは、個人的には特に「先進的」なスタンスでなかったとしても、2009年にイランの動乱でTwitterの有用性がしきりに検討されたときなどは特に注目はしていただろう。(あのころは何しろ、大手メディアがこぞってTwitter, Twitterと飛びついていたのだ。「140字」というフォーマットを受け入れるためには、メディアの中の人たち自身に、日本語のスラングでいう「意識革命」が必要だったので、その分よけいに「大騒ぎ」していたのだろう。)

英国で政治家たちが個人でTwitterアカウントを開設するのが目立つようになったのは、確か2010年だったと思う。

ちなみに英国は首相官邸は早くからTwitterを使っていた。私がTwitterに登録したとき(2008年)にはすでにアカウントを持っていて(当時はゴードン・ブラウン首相)、首相の個人的なメッセージ(「ヒンズー教徒のみなさん、新年おめでとうございます」のような)もツイートしていたと記憶しているが(間違ってるかも)、その「首相官邸アカウント」とは別にデイヴィッド・キャメロンが個人アカウントを開設したのは2012年10月だ

われらがエド・ボールズは2008年10月にはすでにアカウントを開設している。



が、「最初のツイート」で見つかるのは2009年6月18日のものなので、しばらくは自分の発言には使っていなかったのかもしれない。
https://discover.twitter.com/first-tweet#edballsmp

その彼が歴史に名を刻んだのが、2011年4月28日だった。現在の「エド・ボールズの日」はそれを記念するものである。なお、時差(英国の夏時間で、8時間)があるため、日本のタイムゾーンでは「4月29日未明」でタイムスタンプが表示されているが、現地時間では28日の夜である。



労働党のイベントに参加すると、この記念すべき発言の色紙がもらえるようだ(サイン入り)。




歴史と伝統の英国のソーシャル・メディアでは、この発言を讃える詩もいくつも書かれている。現代を代表する英国の詩人、ブライアン・ビルストンは、このような美しい詩で人々を感動させまくっている。





「エド・ボールズの日」のお祝いは、今では完全に、英国の人々の生活の中に定着している。やがては親と子が、この日の思い出を語り合うのだろう。 (・_・)



















だが、時代が進むにつれて、家族が集まって祝う日はどんどん商業化されている。クリスマスと同じように、やがてはその精神をどこか見失い、形骸化してしまうのか。 (・_・)













由来に諸説あるのも、歴史と伝統の英国ではよくあることだ。 (・_・)



その起源について、うがった見方が横行するのも「言論の自由」が保証されている歴史と伝統の英国であればこそ、である。誰だ、「ハイハイ、陰謀論陰謀論」なんていっているのは。 (・_・)





確かに、一方にのみ利する、という側面はあるかもしれない。だが、この日の意義を語り、伝えることを、やめてはならないのだ。 (・_・)



しかし今年は、総選挙の投票日間際だ。血なまぐさいことにならなければよいのだが……。人類の叡智を総結集させねばならない。





昨年(2014年)は、この日を記念するライヴ・ブログも行われた。



今年(2015年)は前夜祭のお祝いもあったようだ。



アルジャジーラ・イングリッシュのニュースキャスター、サンタマリアさん(ニュージーランド出身)もワクテカして待つレベルのこのイベント、遅かれ早かれきっと国際化する。 (・_・)



すでにシンガポールには広まっている。



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選挙で政権交替が起きたら、英国でも必ずや……。



われらがエド・ボールズを始祖とする風習はすでに広まり定着しつつある。









UsVsTh3m(デイリー・ミラー)は、「ライヴ・ブログは今年もやるよ」と言っている。



ハフポUKもビッグウェーヴに乗っている。



過去、ビッグウェーヴに乗っかった中にはこの人もいる。




しかし「労働党といえば」のガーディアンさんが、なぜかぼーっとしている。







そしてその日を迎えたロンドンでは…… (・_・)



BuzzFeedのベン、ロンドンに来てるのか。カッコを使って英綴を披露。 (・_・)



ねこのラリーさんの口から発せられる「ただのミームじゃない、実在する人なんだ」という言葉が重い。そもそもの発端が「口から発せられた言葉」ではなく「指先でキーボード(あるいはタッチスクリーン)で打ち込んだ言葉」であった点を考えればなおさら、だ。



そして生身の人間のエド・ボールズは2014年に「エド・ボールズの日」がネットでライヴ・ブログされるほどの騒ぎになると……








BBCも好きねぇ・・・





というわけで英国の伝統芸「ナンセンス」(『不思議の国のアリス』もビートルズの歌詞も「ナンセンス」)は、「エド・ボールズの日」が4年目となる2015年も健在。

完訳 ナンセンスの絵本 (岩波文庫)完訳 ナンセンスの絵本 (岩波文庫)
エドワード・リア Edward Lear

おぞましい二人 リアさんって人、とっても愉快!―エドワード・リア ナンセンス詩(ソング)の世界 輝ける鼻のどんぐ The Complete Nonsense of Edward Lear (Dover Humor) Joyland (Hard Case Crime)

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マザーグースの塗り絵―ウォルター・クレインのアンティーク絵本よりマザーグースの塗り絵―ウォルター・クレインのアンティーク絵本より
ウォルター クレイン Walter Crane

シェイクスピアの花園 Language of Flowers (From Stencils and Notepaper to Flowers and Napkin Folding) ハメルンの笛ふき Kate Greenaway's Mother Goose (Huntington Library Children's Classics) 金のがちょうのほん―四つのむかしばなし (福音館世界傑作童話シリーズ)

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しかし下記のこの「ナンセンス」は、ちょっとすごいな。かなりラディカルに「話者の意味」をそぎ落としている。一瞬のひらめきじゃないとこういう「意味」のないことはできないだろう。めっちゃ感動した。(;▽;)



See also:


※この記事は

2015年04月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:00 | TrackBack(1) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

「エド・ボールズ・デー」は何のためなのか。
Excerpt: 昨年書いたのだが、4月28日は歴史と伝統の英国においては「エド・ボールズ・デー」と呼ばれる日である。 これは、2011年4月28日に、労働党の要職者でもあるエド・ボールズ下院議員が自身のアカウントか..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2016-04-29 01:02





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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