「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2007年05月14日

お祝いに訪れた珍客か?

30年以上にわたって互いを敵として憎悪しあってきた人たちが仲良くなったことで宇宙人も北アイルランドにお祝いに訪れたらしい。

Residents spot strange UFO lights
Last Updated: Sunday, 13 May 2007, 09:58 GMT 10:58 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6651121.stm

何でも、土曜日の晩に、カウンティ・ダウンの住民たちが、バンゴーの上空に一連のオレンジ色の光(緑色じゃないのね)を見たらしい。ベルファスト国際空港の管制塔では、そういう光を見たという報告は受けたが(コーストガードからのものを含め)、そのときに飛行している航空機の記録はない、とのこと。

目撃者証言:
Clifford Rossbottom from Bangor told the BBC: "There were three orange globes - nearly in a straight line - they were an absolutely fascinating sight.

"I watched them for five minutes, and then very slowly, they just disappeared.

"The only thing I thought it could have been was three high-flying aircraft.

"If that is not the case, then I have no idea, and the only other thing I can think of is in fact that they were UFOs."

つまり3つのオレンジ色の球体が、まっすぐ一列になって上空にいた。5分ほどじっと見つめていたところ、消えてしまった。目撃者はおそらく上空高くを飛行している航空機だろうと思っていたが、そうでないとしたら何なのだろうか、UFOでなければ何なのだろう、と語っている。

・・・矢追さん、出番のようです。

(ベルファストの管制塔でも存在を明らかにできない某国の拷問フライトなんじゃないのー、と思ったあなたはひねくれすぎです。夢を持ちましょうよ、夢を。)

※この記事は

2007年05月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 19:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/about blair | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。