kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年03月29日

例の「一部非公開裁判」の判決が出たけど、まだ「非公開」なので何が何なのかさっぱり

2014年6月、なんだか奇妙な「非公開裁判」のニュースがあった。2013年10月に逮捕されたときは、その逮捕(「テロ法」によるもの)が大きく報じられた容疑者2人が起訴され裁判という段になって、検察が「すべて非公開ですべき」と主張し、裁判所が「コアの部分は非公開にすべき」と判断し、「公開裁判」が原則のイングランドで審理の大方が非公開・報道禁止となったのだ。

その裁判の判決が、2015年3月に出た。















いや、本当に何も報道されてないので、何が何なのか、さっぱり。

……というわけで:

Old Bailey must lift secrecy around Erol Incedal case, say media lawyers
Ian Cobain
Friday 27 March 2015 18.43 GMT
http://www.theguardian.com/law/2015/mar/27/old-bailey-erol-incedal-lawyers-uk-media-anthony-hudson

As a consequence of unprecedented arrangements imposed by the court of appeal, a small number of reporters were allowed to attend secret hearings during the two trials, but have been banned from reporting the evidence they heard. Their notebooks are currently locked in a safe inside the court.

As a result, they cannot report on Incedal’s defence, nor explain why it was accepted by the jury.


不条理劇みたい。

※この記事は

2015年03月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼