「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年03月28日

「診断書」= sick note(s) ということについての実例のメモ

ジャーマンウィングス9525便の意図的墜落について、現地(ドイツ)のタブロイド報道を元に、なかなか刺激的な話が飛び交っている。BBCでも記事にしているが、飛行機を故意に墜落させたと判断されている副操縦士の元彼女(付き合っているうちにだんだんついていけなくなって別れたという)の(おそらくは「今思えば……」という)話を聞いたドイツのタブロイドBild紙だけをソースにしているもので、それなりに慎重に接したほうがよいのかもしれない。私はドイツ語もできないし、ドイツの報道事情もよく知らないので、さじ加減的なものもなにもわからないのだが、BBCがBildだけを典拠としているのは、少なくとも「急いで出している記事」という印象を受ける。

(なお、Bildのようなタブロイドの「独占取材」自体は珍しいものではない。タブロイドはよく「日本でいうと東スポ」などと言われるが、日刊であるという形態は別としてメディアとしての存在感は、「東スポ」というより「週刊文春」、「週刊新潮」などの週刊誌に近いと思う。)

さて、ドイツではその副操縦士の家に当局が入っていろいろと証拠を集めているが、そこで「引きちぎられた診断書」が出てきたというのが大ニュースになっている。この「診断書」が、英語でmedical certificateではなくsick noteとあらわされていることを、実例として書き留めておくのが本稿の目的である。



まず日本語の報道。



一例として、一番上にある毎日新聞の記事より:


デュッセルドルフの検察当局は27日、家宅捜索で押収した資料について「墜落当日直前に医師から出された複数の診断書があった。上司にはこの事実を黙っていたと思われる」と発表した。

※太字強調は引用者による。以下同

日本語の報道記事は、おそらく現地のドイツ語の報道から直接日本語にしていると思われる(それが常なので)。

一方、同じく、ドイツ語の報道から直接英語にしていると思われる英語記事では、まずReuters/PAでクレジットされているアイリッシュ・タイムズの記事:


英BBCの記事:

Torn-up sick notes were found in the homes of Andreas Lubitz, they say, including one for the day of the crash, which killed 150 passengers and crew.


ここで得られた用語でGoogleでニュース検索をすると:


つまり、日本語圏の報道機関で「診断書」とされているものが、英語ではいくつもの大手報道機関によって "sick note" とあらわされていることが確認できる。

一方で、「和英辞典」で「診断書」を確認すると……:





……こんな感じで和英辞典では「診断書」にはmedical certificateの訳語しか与えていない。

が、実際に現場では "sick note" という表現が用いられている。こういう場合に何が起こりうるかというと、「1通の診断書」を "a sick note" と訳出すると、「辞書に載っていないから」という理由で "a medical certificate" に修正されるということがありうる(なお、「起こる」ではなく「起こりうる」、「ある」ではなく「ありうる」と書いているのを正確に読んでください)。

修正ならまだしも、「辞書に載っていないので誤訳」とされることすらあるかもしれない。

が、実際には "sick note" という表現が用いられているし、それのことを日本語圏では「診断書」と呼んでいるということも、今回、報道機関の用語で確認することができたのである。

「どうでもいい」と思う人が大半だろう。しかし(広くコンセンサスの取れた用語法に基づいて)言葉を扱う者にとっては、こういうのは「どうでもいい」ことでは全然ない。

それから、むろん、"medical certificate" の用語も用いられていることは、言を俟たない。

As legal experts warned that the airline’s parent company, Lufthansa, could face compensation claims for hundreds of millions of dollars, Düsseldorf prosecutors said they had found the torn-up doctor’s note covering the day of the disaster – Tuesday 24 March.

Medical documents were found that indicate an ongoing illness and appropriate medical treatment,” the statement said. “The circumstance that torn-up current medical certificates – also pertaining to the day of the act – were found, supports, after preliminary examination, the assumption that the deceased hid his illness from his employer and his professional circles.”

http://www.theguardian.com/world/2015/mar/27/germanwings-co-pilot-andreas-lubitzs-background-under-scrutiny




なお、"sick note" を単にウェブ検索すると、英国のNHSのこんなページが出てきた。



つまり、"sick note" という「ネガティヴ」な表現をやめて、"fit note" という言い回しにしようと英国のお役所は考えたようだ。

やめとけやめとけ、定着しないから。。。と思うだろう。実際に、"fit note" で検索してもお役所系のサイトしかヒットしない。

いつ「改称」されたのかなと思ってさらに調べてみると:
http://www.healthyworkinglives.com/advice/Legislation-and-policy/work-related-illness-injury/sick-note-to-fit-note
On 6 April 2010 the sick note changed to become a fit note. This page provides information, advice and direction for employers who may have staff presenting with a fit note and for employees who are issued with a fit note by their GP.


5年近く経過したのに、BBCを含む英国の報道機関がこの副操縦士のケースで "sick note" を使っているということは、本当に "fit note" は定着していないのだろう。

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※この記事は

2015年03月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼