kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年03月26日

ロンドン、イーストエンドの再開発について読んでいるうちに、100年以上前の犬の写真をたっぷり鑑賞していた。

ロンドンのイーストエンド、というよりシティのすぐ東側に、スピタルフィールズ (Spitalfields) という地域がある。シティの外側に位置するこの地域は、17世紀にはフランスから逃れてきたユグノーの移民街で、シティのギルドの制約のないところで絹織物産業が営まれた。その後、アイルランドでのアイリッシュ・リネンの産業の後退で職にあぶれたアイリッシュが移住してくるようになったが、19世紀、ヴィクトリア朝が始まるころにはこの絹産業も下降線の一途をたどっていた。スピタルフィールズやその近隣地域で救貧活動が盛んに行なわれたのことにはそのような背景があり、19世紀のロンドンのイーストエンドの暗い雰囲気(切り裂きジャックなど)もそういう流れに位置する。

スピタルフィールズはそのころの重くて湿ったような雰囲気を漂わせながら、80年代、90年代以降は、シティとは毛色の違う「オルタナティヴ」な運動の拠点として流行ったし、今もそういう場所だ。場所がよいので再開発の計画も何度か持ち上がってきたし周辺域はずいぶん手が入れられてしまったようだが……というところで、Norton Folgate(通りの名)のあたりがまた危機にさらされていると知った。




その流れでスピタルフィールズの各種運動系のアカウントなどを見て回っていたら、次のようなすばらしい記事に遭遇した。




以下はその話。

紹介されているのは、2012年8月のSpitalfields Lifeのブログ記事だ。
http://spitalfieldslife.com/2012/08/14/libby-hall-collector-of-dog-photography/

ブログは、クラプトン(Clapton: 以下、地名が分からない方はGoogle mapでも見ながらお願いします)に住んでいるリビー・ホール(Libby Hall)さんという女性が集めた古写真のコレクションを紹介する。

リビー・ホールさんは元々は米ニューヨークのマンハッタン、アッパー・イースト・サイドの出身。1967年に、新聞の風刺画家をしていた夫のトニーさんと一緒に今住んでいるクラプトンの家に引っ越してきた。

そして、キングズランド・ロードの露天市、通称「キングズランド・ウェイスト Kingsland Waste」マーケットで、大量の古写真を手に入れた。

といっても「買った」わけではない。あの露天市を知ってる人なら分かると思うが、何が捨てられてて何が売られているのか区別がつきがたいあそこで、彼女は、売り手が捨てようとしていた古写真をレスキューしたのだった。なんでも、アルバムを売りものにしていた露天商が、貼り付けられていた写真は捨てていたそうだ。

たぶん、ウエストエンドのおハイソで博物趣味というか収集趣味のあるところでは、こういう露天市は、少なくとも20世紀終わりにはありえなかっただろう。

そうやってレスキューした写真のうち、犬を中心にまとめたものが、ブログで紹介されている写真コレクションの元になった。
http://spitalfieldslife.com/2012/08/14/libby-hall-collector-of-dog-photography/

My husband Tony and I used to go to Kingsland Waste, where we had a friend who did house clearances, and in those days they sold old photo albums and threw away the pictures. So I used to rescue them and I began sorting out the dogs – because I always liked dogs – and it became a collection. Then I started collecting properly, looking for them at car boot sales and auctions.


彼女が集めた写真のことを知った出版社が出版企画(2000年に出版)をもちかけたことが発端で、彼女はコレクションを何冊かの本にまとめているという。本の収入が入るたびに、そのお金で写真のコレクションを充実させているそうだ。

一例がこの本でしょうね。

0747573298Postcard Dogs
Libby Hall
Bloomsbury Publishing PLC 2004-11-01

by G-Tools


【アップデート】版元にリンク。村上リコさんからご教示いただきました。(ありがとうございます。)



※上記、Postcard Dogsという本は、書影を入れるためにamazonにリンクしていますが、版元に直接オーダーもできます。

彼女の最初の本が出たあとで「動物の映った古写真」は突然注目されて値段が急騰、しかしそのころには彼女は既に5,000〜6,000点のコレクションを有していた。

リビーさんは大変な犬好きで、幼いころからずっと犬と一緒に暮らしてきたという。ただ、このブログが取材に訪れたときには、長く一緒に過ごしてきたペンバリー(Pembury)を数週間前に看取ったばかりで、犬はいなかった。コメント欄にリビーさんが投稿しているが、その後、保護施設からPipという犬(ネグレクトされていて、筋肉がまるでついていなかったという)を引き取ったようだ。

彼女の写真コレクションには、ヴィクトリア女王やチャールズ・ディケンズのような、教科書に名前と顔写真が出てくるような人のものもあれば、どこの誰ということもわからない一般の人の写真もあるし、犬や猫だけのものもある。(猫と遊んでいる犬の写真もある。)

19世紀末の象徴主義芸術の画家たちのモデルとしても知られている女優のエレン・テリーもいれば、きっちりとしたスーツを着て胸にポケットチーフをさしたアフリカンの青年(少年かも)もいる。(英国への黒人の移民の歴史は、第二次大戦後の「ウィンドラッシュ号」を起点として説明されることがままあるが、その前は「英国に黒人がいなかった」わけではない。極右は、英国でも日本でもそういうところをごまかして語っているので注意。)

写真が今のようにありふれたものではなく、写真技師さんに来てもらうか、写真館に行かないと撮れないような「とても特別なもの」だった時代から、犬はカメラ目線で「いいお顔」をしてみせていたということだけでも、楽しいコレクションだ。

一点拝借しよう。

Perfect-S.jpg

とにかく全部を見ていただきたい。

Spitalfields Lifeのこのブログのコメント欄より:

Hari from Canada
August 14, 2012

Very positive article – thank you for sharing Libby’s life, I am richer because of this.




本稿で最初に引用しているツイート(再開発についての話題)のリプライ先のツイート:




この教会が、拙著で書いた「鐘の音」の教会だ。まさにこの通りを歩いているときに、突然鳴り響いて、レンガの壁に反響して回ってくるあの「音」は、東京でスピーカー経由の攻撃的な音(駅のホームの発車間際の暑苦しい「音楽」を模した音や、新宿や渋谷などの街で店頭のスピーカーががなりたてる割れてるだけの「音楽」)に慣れきっていた耳には、革命的に響いた。人が歩いたり車が走ったりする上に付け加えられる「町の音」は、こういうものであったはずだし、こういうものであってほしいという音だった。

それと、上記の写真の右手にある木、これが切られそうになっていたのが住民の抵抗で止められた、という話題もある。




最近、こういう話が日本で通じなくなってきた。「日本はすばらしい」ので、そもそも「日本以外のこと」に聞く耳を持つ人が極めて少ない。何が話題になるにしても結論が「日本はすばらしい」でないとウケない。

なんと貧しい、殺伐とした光景であることか。

※この記事は

2015年03月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼