「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年03月21日

ガーディアンの次の編集長は女性だ。

2010年の「ウィキリークス」の報道以後、日本語圏でも「名称を言うだけで新聞だと通じる」機会が増えてきたような気がする英国拠点の新聞、ガーディアンは、元々は1821年にマンチェスターで始められた非体制的な(ノン・コンフォーミストの)実業家たちの新聞だった。創刊から数年後に「マンチェスター・ガーディアン」の名称となり、1959年に「マンチェスター」を取ってただの「ガーディアン」となり、1964年に本拠をロンドンに移した。

この194年の歴史を通じて、「ガーディアン」の編集長は10人しかいない。ウィキペディアからコピーすると:
John Edward Taylor (1821–1844)
Jeremiah Garnett (1844–1861) (jointly with Russell Scott Taylor in 1847–1848)
Edward Taylor (1861–1872)
Charles Prestwich Scott (1872–1929)
Ted Scott (1929–1932)
William Percival Crozier (1932–1944)
Alfred Powell Wadsworth (1944–1956)
Alastair Hetherington (1956–1975)
Peter Preston (1975–1995)
Alan Rusbridger (1995–present)

……と、大雑把に第二次世界大戦後は、編集長が20年に一度交代していることが確認できる。というか、一度編集長になったら20年。現在のアラン・ラスブリジャー編集長(ルパート・マードックに「何だあのハリー・ポッターは」と言われたことでも知られる)も、20年目となる今年の夏に退任するということが2014年の暮れに発表されていた。その後任が、全スタッフの投票と経営陣(スコット・トラスト)の選考を通じて決定されたというのが3月20日のニュース。194年の歴史を通じて初めての女性編集長だ。

Guardian appoints Katharine Viner as editor-in-chief
http://www.theguardian.com/media/2015/mar/20/guardian-appoints-katharine-viner-new-editor-in-chief








スタッフの投票では、3月5日に、964人の有権者のうち53%の得票で、ヴァイナーさんが最終候補者(うち3人が女性)のトップに立っていた。



その後、経営母体であるスコット・トラストが選考を行なったのだが、その経緯は(ガーディアンより)NYTの記事のほうが読みやすいのでそちらでどうぞ。

Guardian Names Katharine Viner as New Editor
By STEPHEN CASTLE and RAVI SOMAIYAMARCH 20, 2015
http://www.nytimes.com/2015/03/21/business/media/guardian-names-katharine-viner-as-new-editor.html?_r=0

最終的には、イアン・カッツさん(元副編集長。ウィキリークスのときに目立ってた人。現在はBBCのNewsnightで仕事をしている)か、キャサリン・ヴァイナーさんかの選択になったらしい。

で、ヴァイナーさん、「女性」であるだけでなく「庶民の教育を受けた人」(パブリック・スクールではなく、ステート・スクールの出)としてもガーディアン編集長としては初だそう。




それから、これがおもしろい。ヴィクラム・ドッド記者の発言。




「バリアが破られた」といって、はいはい、女性編集長ですよねーと思っていると、「マンチェスター・ガーディアンの194年の歴史で初めて、ヨークシャーの人が編集長に」。

そりゃ一大事だ(笑)。

※この記事は

2015年03月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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