kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年03月16日

「みんな」なんて、信じていない。



BBC Newsの今のトップニュースになっているこの話で、脳髄の芯が冷たい怒りに満たされていて、何ら文章らしい文章が書けないので貼るだけ。1つ前のエントリの件。



これ↑のThunderclap(一種のtweet storm. 発起人はFIDHで、HRWやAmnesty Intなどが呼びかけ人的な立場)が、15日 18:30 CET (日本時間で16日 02:30) に流れる。あと1時間ほどだ。

私も支持・参加表明してあるので私のTwitterアカウントからも流れる(そしてそういうのが流れるとフォロー外されるんだよね)。(これが流れてから、本稿に少し書き足すかもしれない。)

賛同者は、200人が閾値だったところ、私で196人目とかそんな感じだったが、その後もほとんど増加していない。



Thunderclapのaboutのところにあるプロモ・ビデオのユートピア感というか多幸感というかそういうものは、完全に「過去のもの」になっていると実感される(私個人はそもそも、ああいうユートピア的な「みんな」論は話半分というか、どこかの誰かのセールストークだと思っていた。そうではなく、Twitterのような新しい発言のツールは、「どこかの誰かが "自分たちの状況" を密室化させない」ためのものだと思ってきた)。

5年前に「みんながつぶやけば世の中が変わる」的なことを言っていた人たちは、「アラブの春」と呼ばれたあれがぐだぐだになったあとの「みんな」の冷めかたを、どう見ているのだろう。

ともあれ、4年が過ぎて5年目に入る段階で出されているシグナルは、アメリカが「2011年に "Assad must go" とか言って、さーせんした」っつってペコリと頭を下げる、的な方向に向かっているということだろう(むろん、本当に「頭を下げる」ことにはならないだろうが)。

さっきの記事にも貼ったけど、この記事、読んだほうがいいですよ。

Syria's beleaguered opposition-in-exile is about to collapse
Isabel Hunter March 13, 2015 04:03
http://www.globalpost.com/dispatch/news/regions/middle-east/syria/150312/syrias-beleaguered-opposition-exile-the-brink-collaps

この記事で存在が語られてすらいないプレイヤーの存在を思い起こしながらね。(当初、FSAに武器支援をしようとしていたのは誰だったか、シリアに対しリビアと同様の軍事介入をしようとしていたのは誰だったか、その可能性をちらつかせるだけちらつかせて、シリア国内での反体制派の弾圧の激化とコミュニティの分断を促進させるとわかってて可能性だけをちらつかせて、何もしなかったのは誰だったか。)

私にとってシリアは、2000年代半ば、イラク戦争後の「Web 2.0」の時代、ブログというツールと文字コードの問題の解消にともない大勢出てきた「中東の物言う市民たち」の緩やかなネットワークの中で、主にイラクのセクタリアン暴力から脱出した人たちの居場所というつながりで知るようになった国だ(あと中東の現代についての調べものなどで避けて通れない「バアス党」のこととかもある)。

FDIHのキャンペーンにあるビデオに名前が出てくる人たちが、その接点にいたのだ。
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=DPH3DbB2p8w






時間が来て、流れてきた。




Reported.lyのマラキ・ブラウンさんからも。







最終的にはThunderclapの数値はこう。



このSocial Reachというのは、賛同者のTwitterフォロワー数などの単純な合計なのでまず当てにならない(声の届く可能性がある範囲の最大値にすぎない)。そもそも「数」さえあれば、という考え方ではどうにもならんのよ、というのが一連の「アラブの春」(特にエジプトの大統領選挙結果と、モルシ政権の転覆)で世界の「民主主義」の陣営に突きつけられたんじゃなかったかな、と思うのだが。アメリカ型の単純な、「多数決」めいた「民主主義」をベースにした発想の限界点っていうか。







Today marks the fourth anniversary of an anti-government uprising in #Syria. More than 215,000 people have been killed as a result of the fighting, a third of them civilians, including more than 10,000 children. 13,000 people have been tortured to death in government custody since the start of the uprising. 60 percent of the population is now living in poverty, 7.5 million people have been internally displaced and 3.9 million Syrians have fled to neighbouring countries. The UN Security Council has shown to be a complete failure as it was unable to protect civilians.

https://www.facebook.com/meforumd/photos/a.518642171567415.1073741828.512346422196990/751579234940373/?type=1&fref=nf


サマンサ・パワーのことは、昔は「筋金入り」だと思ってました。

4623055884集団人間破壊の時代―平和維持活動の現実と市民の役割
サマンサ パワー Samantha Power
ミネルヴァ書房 2010-01

by G-Tools

※この記事は

2015年03月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 02:00 | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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#withSyria 5年目を迎えたウェブ上の光景を少し。
Excerpt: 1つ前のエントリで、「シリアの『革命/蜂起』」と#Mar15というハッシュタグについて少し振り返った。日本では東日本大震災(2011年3月11日)の直後で、中東の「アラブの春」に関心を向けていた人はご..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2016-03-16 07:01





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼