kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年03月15日

「アレッポは、97%の明かりが消えてしまった」……シリア、「革命/蜂起」の開始から4年

2011年3月15日。東京ではまだけっこうな余震が続いている中で、#Mar15 #Syriaのハッシュタグが流れてきてから4年である。




本文が書けずにいるうちに日付が変わりそうなので、とりあえずこれだけ。

あれから4年、今のシリアは「明かりが消えた国」。 #WithSyria #FailingSyria
http://matome.naver.jp/odai/2142615428998791101





映像は「2011年、シリア」で始まる。以下、字幕の日本語訳。
(父親が「カリド」と呼びかけて)「まだ起きているのか。本を読むなら明日にしなさい」
息子が「やだ。本は持ったままで寝る」
父親が「ぐっすりおやすみ」と言い、立ち上がってドアの脇で
「何も怖がることはないよ、大丈夫だから」

画面、切り替わって「2015年、シリア」。
砲弾か何かの轟音や銃撃音が響く中。
破壊された家屋の中を懐中電灯で見て回っている子供が、
布団か何かの下にもぐりこんでいる幼い子供を見つける。
声変わりした少年の声が
「何も怖がることはないよ、怖がらないで、大丈夫だから」と語りかける。

最後に「シリア全土で83パーセントの明かりが消えました」という言葉が英語、アラビア語、フランス語の字幕で表示され、「元のように明かりをともすため、ご支援ください」。



当初、「アサド政権の退陣後を任せる政権」となると思われた亡命政府(在トルコ)は、ついにすべての支援を失ったようだ。2014年8月にISISに斬首されたフリーランス・ジャーナリスト、ジェイムズ・フォーリーさんが書いていたメディア、グローバル・ポストのトルコからの報告。カタールまで手を引いたということがはっきり書かれている。




※この記事は

2015年03月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:42 | TrackBack(2) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

「みんな」なんて、信じていない。
Excerpt: BBC News - Home via kwout BBC Newsの今のトップニュースになっているこの話で、脳髄の芯が冷たい怒りに満たされていて、何ら文章らしい文章が書けないので貼るだけ。1つ前の..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-03-16 02:02

#withSyria 5年目を迎えたウェブ上の光景を少し。
Excerpt: 1つ前のエントリで、「シリアの『革命/蜂起』」と#Mar15というハッシュタグについて少し振り返った。日本では東日本大震災(2011年3月11日)の直後で、中東の「アラブの春」に関心を向けていた人はご..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2016-03-16 07:01





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼