「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2015年03月12日

歯止めなき「ついうっかり」

「アイルランドさんなら、やってくれると思ってました」というコメント(超訳)も出ているが、アイルランド共和国が、「それは断固として非合法にしておかないとダメでしょう」というものを、ついうっかり合法化してしまったそうだ。「合法化」というより「違法ではない」状態といったほうが正確かもしれない。




以下、ショーン・ライダーさんの革命的歌唱を聞きながらどうぞ。



いわく、英国の制度でいうところの「クラスA」にカテゴライズされるものを含む薬物が、アイルランドで「ついうっかり」合法な存在になってしまった。原因は法律の穴(ループホール)。

火曜日に、アイルランドの「1977年制定薬物乱用法」が違憲であるとの判断(より正確には、同法の付帯事項が憲法15条違反と判断)が控訴院で下されたことにより、この法律で禁止されている薬物が非合法ではなくなるということになった。

ただし、即座に緊急立法が予定されており、この「うっかり合法」の状態は一日だけだと報道されている(が、アイルランドではもっと長引くかもという報道もある。おまえら、おもしろがってるだろ……と思うんだけど)。緊急立法が通っても法律の発効には数日かかるので最速で木曜日だそうだ。

BBCは、この「うっかり合法化」に対するアイルランド共和国政府の迅速な対応を説明している。火曜日に控訴院で件の法的判断が示されたあと、下院で保健大臣が緊急法案を提出、その日のうちに下院は通過し、続いて上院……という手続きへ。
http://www.bbc.com/news/world-europe-31830124
Within hours of the court ruling, the Irish Minister for Health Leo Varadkar had introduced an emergency bill to reinstate the ban.

It was passed by the Irish Parliament (Dáil) on Tuesday night.


アイリッシュ・タイムズ見ると、このドタバタの背景がぐだぐだだったこと、どのような影響がありうるのかが具体的にわかる。それらの薬物の所持での起訴が無効になると、影響は大きい。
http://www.irishtimes.com/news/crime-and-law/drugs-ruling-will-impact-on-pending-cases-says-expert-1.2134365

なお、この一連の騒動では、ヘロインやコカインのようなものは影響は受けていない(それらは何があっても違法)という。

※この記事は

2015年03月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 06:00 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼