「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年03月12日

4年前の今ごろ、英語圏で流れていた「デマ」を振り返る。

私は「デマ」という言葉が嫌いだ。より正確に言えば、「デマ」という言葉のゆる〜い使用が嫌いだ。それゆえ私は意図的に「誤情報」という表現を用いている。

「デマ」は「デマゴギー」、つまり「政治的な目的で、意図的に流す扇動的かつ虚偽の情報」という意味に限定して使うべきと私は考えている。しかし、現代の日本語の「デマ」という言葉に、「事実に反するうわさ。流言飛語」という意味があることも知っている。だが後者ならば、「噂」、「流言飛語」、「根拠のない説」、「不正確な情報」などと表現すればよいのであり、その場合に「デマ」という言葉を使うことは、「政治的な目的で意図的に流す煽動的かつ虚偽の情報」という本来の意味を無化する取り組みにほかならないと思っている。その誤った情報・無根拠な話が「政治的な目的で……」なのかどうかがわからないときは、単に「誤情報」と言うべきであると考えている。

その上で、本稿ではあえて「デマ」という表現を使う。なぜなら、まさにその表現が用いられてきたことについて書くからだ。(本稿表題の「デマ」は、普段なら「誤情報」と書いているようなものだ。)

4年前、2011年3月11日、時差7〜9時間の欧州が朝の活動時間帯に入ったころ、日本時間で14時46分にあの大地震が発生した。



東京の私の家でも棚の物や本が落ちてきたり、デスク脇のレターケースの引き出しが飛び出してきて文具類がそこらじゅうに散らばったりして、台所は棚の上にあった小型のフライパンが落下して、流しにあった食器類のいくつかを粉砕していたが、食器棚は無事だったし、ほかも棚そのものが倒れたりはしていなかった。当時はMENA情勢を追うのでアルジャジーラのオンライン・ストリームを流しっぱなしに近い状態にしていたので、この日もアルジャジーラを見ていた。まだ大きな余震が続く中、地震発生から1時間もしないうちに、画面にはヘリから撮影された津波の来襲の光景が映し出されていた。そのときはただ「え? え? え?」という反応しかできなかった。

被害が大きかった東北地方で、英語圏(第一言語に限らず)で最も名前が知られていたのは仙台で、仙台は空港が津波に襲われていたので特に注目されていたと思う。下記は2011年4月に公開された海上保安庁撮影の映像。



この地震と津波が、英語圏の初期報道では、「日本で大地震」=「東京で大地震」と伝えられ、「東京が壊滅した」と報じられた。

むろん、「デマ」である。

しかしそれをでかでかと報じたメディアがあったことは事実だ。

そういうのが、震災発生から少しあとに、Wall of Shameとして指摘されたのだが(ちなみにWall of Shameとは、Hall of Shameのもじりで、「ダメなものを壁に掲示して広く告知する」形式のことを言う)、そのころには福島第一原発のメルトダウン(という表現を使うと怒られるのが日本語圏だった)が発生していて、日本語圏の「デマ」という言葉それ自体がめちゃくちゃゆがんだものになっていた。善意からとはいえ、ひどい有様だったと思う。

なので見返しておこう。あのときの「デマ」というのは、こういうののことだった、ということを、改めて。




The Sunは、現在は有料登録していないと記事が閲覧できなくなっているが、2011年はまだそうではなかった(普通に閲覧できていた)。

keelyfujiyama.png

この記事については:
http://www.jpquake.info/home/sun-the
The Sunは記事の日付がわからない形式だが(「4年前」と書かれても……)、3月17日付だそうだ。

The Sunは、キーリー・フジヤマという東京在住の英国人女性が電話で「東京がゴーストタウン化している」と伝えてきた、と主張しているが、仮に本当に「東京の街路には人がいない」云々という報告をした東京在住の英国人女性がいたとしても、「トーキョーがツナミで壊滅している」(こういうカタカナの使い方はいいんですよね?)云々というのはまったく事実に反した「デマ」であり、おそらくは編集部が何も調べずにセンセーショナルに書きたてただけ(日本でもオヤヂ系週刊誌が「ロンドンの繁華街のパブ」で、「セクシーな服装をした女の人が隣に座って水割りを作ってくれる店」だと決め付けて書きたてているだけという事例があったが、同質のことだ)。

(なお、Wall of shameの「デマをデマと指摘するページ」で、3月17日のこのThe Sunの記事について「店には食料品がなくなっている」というのは「デマ」だと書いているが、17日だと、東京は物流が絶たれていたので、店によっては棚が空だったはず。私は近くの大型スーパーで、唐辛子やベーキング・パウダーのようなものしか棚になかったのを見ている。生鮮食品、日配品、お菓子や麺類、米はもちろん、海苔・わかめやマヨネーズのようなものも完全に払底していた)

しかし、当時はこういう「英語圏での報道」があった。そして、それに対して「ひどい報道だ」という指摘があった。既に福島第一原発が事故っていると明らかになった段階で、英国やフランスを含む各国大使館から在日の自国民に対する関東地方(東京を含む)からの引き上げの手配が行なわれるなどして、日本人(日本語話者)の日本での報道への信頼がガクっと下がっていたとき、「英語圏の報道だからといって、信頼しちゃいけない」と言われていたのは、このThe Sunの記事のような「英語圏での報道」だった。(ザ・サンを「報道」と扱う人がそもそもいるのかどうかは別問題だが。)

しかしこの「東京壊滅説」のような、ただ単に、「事実を確認していない、デタラメのセンセーショナリズム」の影響力は、現地(欧州)が3月12日になったころにはもうかなりおさまってきていたのではないかと思う(日本語圏でだって、例えばニューヨークでガス爆発で建物が倒壊したのを、原因がガス爆発とわかるまでは「テロじゃないか」とパニくって扱う、という現象はある。どこをどう見たって「テロ」の標的になりそうにもない物件であってもニューヨークというだけで「テロ」だと見ることに、合理的な説明はつかないはずだ)。TwitterやFacebookなどで東京在住者が「壊滅していない」ということを伝えていたし(私もうちの近所の被害はこんな感じという写真をアップした。つまり、いくつかの割れた植木鉢の写真を)、英語圏の人々が普通に信頼している報道機関(CNNとかBBCとか)も、壊滅したのは東京ではない、日本全体がめちゃくちゃになったのではない、ということを伝えていた。

デタラメだったのはもちろんThe Sunだけではない。同様のセンセーショナリズムの媒体、The Daily Mailもぶっ飛ばしていたことが記録されている(しかし、津波被災の写真を大きく見せるというメイルのサイトは、日本人がこぞって見に行っていたし、高く評価もしていたようで、なんだかなー、と私は思っていた)。メイルの場合は「福島第一原発の放射能で人が死ぬ」というセンセーショナリズムを率先して煽っていたのでめちゃくちゃたちが悪いのだが。
http://www.jpquake.info/home/daily-mail-03-13

あと、英語圏で忘れちゃいけないのは「フライジン」がある。「フクシマ」(←意味があってカタカナで書いてますからね)の放射能災害でパニクった「ガイジン」(在日の、特に英語圏出身者は、自分たちのことをやや自嘲的に「ガイジン」と呼ぶことがよくある。が、うちら日本人が積極的に彼らをそう呼ぶべきではないと思うが)が、こぞって日本から脱出しているという話を、「ガイジン」をもじった「フライジン」なる表現であらわした言葉。「フライ」は「空路、脱出する」、「どこかに飛び去る」の意味 (fly) だが、そもそもそんな表現、聞いたことないよ、という意見が噴出した。(が、今「フライジン」でウェブ検索すると、「そういう言い方があった」ということが前提の書き物ばかりが上がってくるね。)

うちのエリアに、中国から人が来てやってる中華料理の店があって、そこはすばやく店を閉めていた。2ヶ月くらいは休んでいたんじゃなかったか。一方で、同じエリアにあるインドの人がやってるカレー屋さんは通常営業だったと思う。

ともあれ、少し時間が経過するうちに、「パニック」を作り出しているのは「海外メディア」である(「海外メディア」を読んでいる奴はバカ)、みたいな空気感すら漂うようになり、そういうことが「冷静」であるかどうかの試金石みたいになってて(その前提として「冷静」であることが至上の価値とされていた)、いろいろめんどくさいので発言をやめた部分もあった。

地震に慣れていない人が、日本語でないと情報が取れないのがデフォという中で、東京で打ち続いていた余震や、福島第一原発をめぐる混乱した情報や不安のスパイラルから距離をとることを選ぶのは、それができるのなら賢明なことだと思ったし、そもそも(おそらく「不安を煽る」つもりなど一切なく)「首都直下型地震に備えなくては」と強調していたのは、日本語のメディアだ。そういうのを見たら、「地震に慣れていない外国人」(それはそれでステレオタイプなのだが)が不安を掻き立てられないはずがない。あの日の東京の揺れ以上のものが来て、テレビ画面の中の東北の津波被災地の光景がここ東京でも現実となったら、と考えるだろうし、それにとても対処できそうにないと思ったら、離れたいと思う人は思うだろう。うちらは、日本列島はだいたいどこに行っても同じ、ということを知ってるけれど、理屈では分かってても体がパニクる人は、東京から離れて落ち着くのなら離れるという選択肢はあるんじゃないか。

……てなことは、当時、顔を合わせた人とは直接話しているはずだ。

いずれにせよ、パニックが発生しているときに、パニックが発生しているという事実を認めることは必要だし、それをして「パニックを煽っている」とか「デマを拡散している」とかいう非難を受けるのは理不尽だし無駄なことだ(が、実際にそういうことは発生した。ソーシャルネットという場で)。

本当に指摘すべき「デマ」や誤情報は、「デマ」という抽象的な存在として扱うのではなく、「○月○日付けの○○新聞の記事」など具体的に扱うべきで、漠然と「海外メディアの報道」などと呼ぶべきではない。(と、「べきではない」という文体を使うとまた怒られるんだよなあ……shouldですよ、っつっても通じないんだけど)

自分は自分にできることしかできないし、それを淡々とやってくよりない。下図は2011年3月14日の都内のコンビニの写真。

"Sorry for the inconvenience" poster at a convenience store




































※この記事は

2015年03月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 03:01 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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