「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年03月10日

「わたしは人間を、固く信頼している」と危機のときに。

「エクストリームUターン」から、着地する間もなく華麗に毎年恒例のセント・パトリックス・デイの対米外交ツアー開始と、あまりに目まぐるしい北アイルランド。

BBCも "The Northern Ireland Assembly is in crisis following the decision." と述べているように、えらいこっちゃ、である。

そんなときに、どう反応していいのやら……ということが。


前置き。故イアン・ペイズリー(イアン・カイル・ペイズリー)には確か5人の子供がいて、そのうちの2人が双子の男の子で(「子」といっても40代後半)、新規で教会を立ち上げた宗教家で政治家であった父親のあとを引き継ぐように、1人が政治家になり、1人が宗教家になっている。政治家をやっているのがイアン・ペイズリー・ジュニア(英国下院議員、所属政党はDUP)、宗教家がカイル・ペイズリーだ。

イアン・ペイズリーの始めた「フリー・プレスビテリアン教会」はキリスト教根本主義(原理主義)のがちがちな教会で、政治家としてもイアン・ペイズリーはものすごかったのだが、子供のイアンとカイルは、ネットで発言を見る限りは、さほど過激ではない。比較対象がものすごすぎて正常に見ることができないのかもしれないが……。

特に、カイル・ペイズリーはTwitterで「箴言」っぽい言葉をつづっており、一度、この人はおもしろいことをいうなあと思ったのをきっかけに私もフォローしている。

というわけで先ほど、Twitter.comの画面を見たらこんなふうな並びになってて:
10mtw.png

これだけでもツボるんですが、カイル・ペイズリーさんのツイートの……




リンク先をクリックしたら……
http://www.brainyquote.com/quotes/quotes/a/abrahamlin118732.html



こういう「楽観」を根底に持ち続けているということは、とても強いことだと思う。


※この記事は

2015年03月10日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼