「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年03月08日

「追悼」と、対立と。

2009年の3月7日の夜(現地時間)、アントリムにある英軍基地、マセリーン・バラックスに宅配ピザが配達され、受け取りに出てきた兵士2人が何者かの銃撃を受けて殺された。ピザの配達の人も重傷を負った。ほどなくReal IRAが犯行声明を出し、すぐに何人かが逮捕され、うち2人が起訴されたがどちらも銃撃の実行者ではなく、最終的には誰も有罪にならず(1人は一度有罪になったが、その判決が上級審で覆された)、つまり事件は「未解決」の状態になっている。



「例のアメリカ人の口出し」とは、ニューヨークの偉いカトリックの聖職者が数日前に「IRAはカトリックを利用した暴力集団であり、ISISと本質的に変わらない」という非常に粗雑な発言をしていることを指す。それに便乗して、北アイルランドの政界はつつかれた蜂の巣かという状態でとげとげしい発言がわさっと出てきていて、「ああ、選挙前ですね」という気がする。

ともあれ、そんなこんなで、去年まで3月7日にDUP関係者が何か発言していたことがあったかと検索していたら、何のはずみでか、1981年の写真に行き当たった。ゲッティ・イメージズのアーカイヴ写真だ。銃を持った英兵に子供たちが群がっている。「プロテスタント」の子供たちだ。

しかし、この写真、キャプションの意味がわからない。



NORTHERN IRELAND - MAY 1981: Children crowd around to pose with Bobby sands in May of 1981 on the streets in Northern Ireland. Bobby Sands, an active member of the Irish Republican Army and leader of the 1981 Irish hunger strike, was regarded as a martyr who stood against the British. Ian Paisley, the Unionist leader, led a memorial commemorating the death of Sands and the other members of the hunger strike. Sands' death sparked political activity in Northern Ireland pushing unionists and nationalist to extremes leading to the 'Troubles'--a period of violent, politically driven terrorism in Northern Ireland. (Photo by Joe McNally/Getty Images)

http://www.gettyimages.co.jp/galleries/personality?personality=%E3%83%9C%E3%83%93%E3%83%BC%20%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BA


引用に強調を加えた部分の記述がめちゃくちゃだ。

1981年5月、ボビー・サンズのハンストは大ニュースだった。何週間もかけて、ゆっくりゆっくりと死んでいく彼を、自国政府が見殺しにするのを、英国の人々は見ていた。何とかしてそれを合理化する人もいれば、政府(サッチャー政権)に対して激しく抗議する人もいた。

新聞は「サンズの死が迫っている」という見出しを立てて状況を詳しく報じた。そしてサンズが息を引き取ると、ますます大きく報じた。

そのことに、ユニオニストは危機感というか、猛烈な反感を抱いた。なぜならばボビー・サンズは「英雄」ではなく、「テロリスト」だからだ。彼の所属する組織はIRAというテロ組織だし、何より彼自身、非軍事標的へのボム攻撃に関連して逮捕され、有罪になっているのだ。

そういう人間の死が大きく扱われていることに、北アイルランドの「IRAの犠牲者」の側は納得いくはずもなく、当時、めっちゃ過激で強烈だったイアン・ペイズリーは、シティ・ホールのところで「サンズの所属するIRAに殺された犠牲者のための追悼の礼拝」を、サンズの死への関心が最高レベルにあったときに、行なったのである。

ペイズリーは、ゲッティのキャプションが言うように、「サンズやほかのハンガーストライカーのために」祈ったのではないし、そもそもこの時点では「ほかのハンガーストライカー」は誰も死んでない(1981年のハンストは10人の死者を出したが、最初に死んだのがサンズだ)。

ウィキペディアには次のように記載されている。ソースはTIMEの記事だ。

On the day of Sands's funeral, Unionist leader Ian Paisley held a memorial service outside of Belfast city hall to commemorate the victims of the IRA

http://en.wikipedia.org/wiki/Bobby_Sands


このキャプションの間違いについては、ゲッティのサイトの下部にある「お問い合わせ」から、一応送信しておいた(気力がなくて、日本語の窓口にしかたどり着けなかったのだが、探せば英語の窓口も見つかっただろう)。対応されることを切に願う。

ところで金・土とシン・フェインの党大会だったので、こういう心が荒む光景が見られたことも追記しておこう。



あたかも、ロイヤリストや警察や英軍に殺されたナショナリストの一般市民たちや武装組織のメンバーがみな、「日記をつけるチャンス」があったかのような歪んだ認識。

こういう認知のゆがみが、この人だけの問題であるのなら別に何とも思わないが、残念ながらある程度は集合的なものだ。これが「紛争のメンタリティ」、まともに考えようとせず、とにかく「相手」を攻撃できればよいということで言葉が吐き出される。

※この記事は

2015年03月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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