「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年03月07日

「あの連中」を「人間」として見つめなおすこと……北アイルランド、デリーで進む和解と赦し

今週末はシン・フェインの党大会が開催されている(→マーティン・マクギネスのスピーチが金曜日に行なわれた)。場所はデリーだ。シン・フェインの党大会が北部6州(北アイルランド)で開催されるのは、2011年のベルファストに続き、まだ2度目である

英国の総選挙直前&アイルランド共和国の総選挙の1年前(&1916記念行事の1年前)というタイミングでの党大会に、シン・フェインは「(かつての)対立の向こう側」の人々を招き、招かれた側もそれに応じている。






毎年夏のパレードでおなじみのロイヤリストの楽団(鼓笛隊)の組織も、フリンジ・イベントに参加し、ワーキングクラスのプロテスタントの人々の教育に関する問題(北アイルランドの労働者階級プロテスタントの特に男子は、全英で突出して教育程度が低いということが統計でわかっている)について発言する。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/northern-ireland/loyalists-to-join-sinn-fein-event-31034217.html

The Loyalist Londonderry Bands Forum is to make a presentation during a fringe event at the annual conference in the city this weekend.

Derek Moore, forum co-ordinator, said: "We are taking the opportunity to speak for ourselves and to raise issues that are important to bands.

"We are not sure whether or not anybody will turn up to hear us."

... The bandsmen are expected to highlight the educational underachievement among young working-class protestant men.

The decision to participate in the Ard Fheis was taken after two months of deliberation and separate meetings with Education Minister John O'Dowd as well as Culture Minister Caral Ni Chuilin.

Mr Moore added: "We are speaking at one of the eight fringe events so we are not addressing the main conference. It is not the parting of the Red Sea.

"We will be speaking about the educational under-achievements of young protestants. Only 20% of them are leaving school with enough qualifications to get an interview. It is a big issue."


ここ数年、夏のパレードの際に「暴動」の状態になっているベルファストをよそに、デリーは「何事もなく行事が終了する」ということが普通になっていて、Twitterなどでは「デリーの上から目線がすごい」と感じられるようなこともあったのだが、実際、デリーは2013年のCity of Cultureの行事で確実にまた一歩進んだように見受けられる。この前進の端緒となったのは、2010年のサヴィル報告書の公表と、「彼らは無実だった」という事実の認定と、英国政府からの謝罪の言葉だった。あれで明確に、「区切り」がついたのだと思う。いろんな意味で。

だからといって、「過去を水に流した」わけではない。「過去」は「水に流せる」ものではない。どこかに去っていくことはなく、その町に、その町の人々の中に、ずっと残る。1月最後の日曜日に最も近い週末には、デリーでは1972年1月30日を振り返り、それに関連する社会構造について検討するレクチャーが開催される。(2011年まで行なわれていた「あの日のデモ行進の再現」はサヴィル報告書を区切りとして行なわれなくなり、記念碑のところでの集会へと形を変えて続けられている。)

今年、2015年のデリーのブラッディ・サンデーのメモリアル・レクチャーを行なったのは、英国が国家として制度的に行なってきた拷問について調査した著作のあるガーディアンのイアン・コベイン記者だった。



そのコベイン記者の名前で3月4日に出たガーディアンの記事が、誰か映画化決定してほしいレベルである。




With handshakes, smiles and four civil words, a small group of men came together in Northern Ireland last month in an attempt to overcome a formidable barrier that remains long after the decades of conflict came to an end.

“Do you take milk?” asked one. And with the tea dispensed, four former members of the British army and four former members of the Irish Republican Army commenced a meeting that was intended to start a process of reconciliation among men who had once been the most implacable of enemies.

In an encounter that was both undramatic but remarkable nonetheless, the men talked about the reasons they had taken up arms, the consequences of their decisions and their hopes of making a contribution to a lasting peace.

【要旨】握手と笑顔と、4つの単語から成る社交辞令 (Nice to meet youか) を交わし、先月、北アイルランドで少人数の男性たちが集まった。数十年間続いた紛争が終わった後になっても長く残っている、手ごわい障壁を克服したいという試みだ。

「ミルクは入れますか?」とひとりが尋ねる。お茶を配りながら、4人の元英軍人と、4人の元IRAメンバーが会合を開始する。かつて不倶戴天の敵同士であった者たちの間での和解のプロセスが、ここから始まろうとしている。

劇的なところはないが、それでも注目すべき対面において、男たちはなぜ自分は武器を手にしたか、自分の決断がどのような結果を生じせしめたかを語り、そして末永く続く平和に貢献したいという希望を話した。


ガーディアンの記事を見たとき、ここまでで既に号泣モードになっていた。記事は続く。「IRAの元メンバーたちは、和平プロセスの一環として元警官や元看守とは会っているし、リパブリカンとロイヤリスト双方の元武装勢力メンバーも互いに手を差し伸べあっているが、1998年のグッドブライデー合意以降、IRAと英軍の元メンバーたちが相まみえることはほとんどなかった」。

英国では90年代以降、「修復的司法 restorative justice」が実践されてきた。ケン・ローチの映画『天使の分け前』の最初のほうで、主人公が通りで暴れて怪我をさせた人の家族と対面する場面があるが、あれがその「修復的司法」の一例(をフィクションとして描いたもの)である。

その例のような、わりと単純な刑法犯罪(どちらが「加害者」でどちらが「被害者」かがはっきりしているもの)だけでなく、立場によって「加害者」と「被害者」が常に入れ替わる「紛争」という文脈(それゆえに、これは「戦争」と扱われねばならないという主張もある)で、相互の武装勢力同士の対面と対話と和解ということを行なうには、単に「司法の場」であるだけでは十分ではなく、いろいろな条件が整っていなければならないし、そもそも「司法の場」であってはならない場合もある。(どちらの側も、そこで語られたことによって刑事訴追されない、という条件がなければならない場合もある。)

2000年代中ごろ、インターネットの高速回線(ADSL)が普及し、映像がウェブ・コンテンツとして一般化したころに、北アイルランドの「和平プロセス」の「対面、対話」の試みの映像がずいぶんたくさん、BBCなどで紹介されていた。そのころから、ゆっくりと時間が流れてきたのだなあと思う。

ガーディアンの記事には、冒頭に映像がエンベッドされている。そこで語っている「IRA側の人」は、今回の対面と対話には参加せず、全体の調整役をつとめたSeanna Walshである。彼は2005年7月の「IRAの武装活動停止宣言」をビデオカメラの前で読み上げていた「元プリズナー」だ。

記事には、この取り組みに参加している「元IRAメンバー」が誰かという情報はない。その情報と、会合の場所が具体的にどこなのかを明かさないという条件で密着取材している。「デリーはブラッディ・サンデー事件が起きた町であり、この取り組みに参加し、元英兵とお茶を飲むことに同意したリパブリカンは、ディシデント・リパブリカンを含め、地域の人々から激しい批判にさらされることになる」

英軍の側は、Veterans for Peace UKの人たちだ。11月の戦没者追悼のときに使う赤いポピー(在郷軍人会の資金源)を「戦争の美化」として拒否し、平和を誓う白いポピーを掲げる平和主義者になった元軍人たち。活動を開始したベン・グリフィンさんは元SASで、「違法なことが現場で行なわれているだけでなく、開戦そのものが国際法に照らして違法であった」イラク戦争従軍を拒否し、当時大きなニュースになった人だ。彼は軍法会議にかけられるところだったが、上官の弁護を得て除隊し、その後は元軍人の立場から反戦活動を行なっている。1977年生まれの彼が最初にパラシュート連隊の一員として軍務についたのが、(紛争末期の)北アイルランドだったという。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ben_Griffin_%28British_Army_soldier%29

ガーディアン記事から:
Both sides agreed that such face-to-face encounters remained an important part of a peace process that is ongoing; that it was important that they should “rehumanise” the people who had once been their enemies.

かつて自分たちの敵だった人々を「再び人間化する」ことが重要である――戦争においては、殺すことになる相手を「非人間化する dehumanise」することは必ず必要になるという。そこからの回復だ。

4480088598戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)
デーヴ グロスマン Dave Grossman
筑摩書房 2004-05

by G-Tools


それは、相手に対するものではなく、兵士/戦闘員だった当人の内面の問題だろう。余人には計り知れない。(映画『レイルウェイ 運命の旅路』で描かれた、日本軍の拷問を受けた英軍兵士と、その拷問の場で通訳をした日本軍兵士との、あの場面などを思い出す。)

そのための言葉が、彼らの場合は、「(敵意は)決して個人的なものではなかった。ロンドンの英国政府にメッセージを送るため、我々は常に軍服を着た人を標的にしていた」なのだろうか、と思ったときに、しばし考え込んでしまった。
“It was never personal: we were always targeting the man in the uniform, in order to send a message to Whitehall,” said one of the former IRA men.

This man had been in Derry when members of the Parachute Regiment shot 26 unarmed demonstrators on Bloody Sunday in January 1972, which led to 14 deaths, yet insisted that he bore no animosity towards individual soldiers, “even the ones who I saw carrying out atrocities”.

「英国政府にメッセージを送るために英軍兵士なら誰でも標的にしていた」と語る人は、ブラディ・サンデー事件のときにデリーにいたという。事件後に雪崩を打つようにしてIRAに入った若者たちの1人かもしれない。あるいはその前から活動していたIRA戦闘員かもしれない(マーティン・マクギネスのように)。その人は、「個々の英兵にはなんら敵意を抱いていない、銃撃を行なうところを目撃した英兵であっても」と言う。

ここで思い出されるのは、10年ほど前の「クロス・コミュニティの対面と対話」の取り組みの中で何度も繰り返されていた「あれは戦争だった」という言葉だ。リパブリカンの側は、北アイルランド紛争を「戦争」と位置づけてきた。だから、つかまって有罪判決を受けて投獄されたメンバー(彼らの言い方では「義勇兵」)は「捕虜」として扱われるべきだった。北アイルランド紛争が終わって、和平のプロセスが進展してくる過程でも、あれを「戦争」と呼ぶかどうかでは論争があった。2014年、IRA停戦から20年という機会にジャーナリストのピーター・テイラーが北アイルランドに戻って取材したドキュメンタリーでは、あっさりと「war」という扱いが言語的にされていたが、それは比喩でなければ許容されていなかったのではないかと思う。「IRAのテロの被害者」にとっては、これは受け容れがたいことなのだ。

He said: “It’s very important that we should do this. We should try to learn from what happened here, in order to help to promote peace in the future.”

Another added: “Sometimes it is important to walk in someone else’s shoes for understanding in order to bring about reconciliation.

“I feel lessons can be learned from the past conflict here in Ireland, by talking and engaging in an open and honest way, lessons which could be useful in other parts of the world.

“We made mistakes in dealing with conflict. These mistakes should now never be repeated anywhere in the world: that’s why I welcome this engagement between former enemies.”

だが彼は言う。「ここで起きたことから学ぶようにしなければならない。将来の平和を進めていくために」という記事のこの記述は、まるで自分で自分に言い聞かせているように読める(実際にそうだったのかもしれない)。

別の参加者が、「和解を実現させようとするときには、相手の立場になってみることが、理解のためには重要になることがある」と言う。「オープンで正直に話をし、真剣に向かい合うことで、ここアイルランドでの過去の紛争から教訓を得ることができると思う。そうして得られた教訓は、世界のほかの場所でも有益かもしれない」

この、「世界全体」、「人類全体」への視座こそが、humanityなのかもしれない。

「イスラム国」を自称する勢力(ネットスラングで「イスイス団」、本稿では「ISIS」と表記)がイラクで何をやらかしているかというニュース(「イラク人なら誰でも誇りに思う遺産」を壊すことは、「イラク人」という意識を壊すことだ)を同時に見ながら、アイルランドでのこの人間としての意思と理想の取り組みに、私は心を打たれている。素直に。






※ここまででまだ半分である。

(※以下、ややあって追記)

こうして対面した元IRAと元英軍のそれぞれ4人ずつ計8人は、全員が白人のワーキングクラス男性で、規律ある組織に所属し、武器を扱い、紛争を経験し、年齢は40代から50代という共通点があるが、両者の相違点もまた鮮明だと記事は言う。

つまり、英軍の側は「過去」(例えば市民にハラスメントを行なったこと、ナショナリストの地域でのパトロールの際に、自分たちがどれほど人々を威圧したかを理解していなかったことなど)を悔いている。IRAの側は4人中3人が「自分たちがやったことに何ら後悔はない」と言う。

「紛争」への関わり方も両者で大きく異なる。英軍の側では、北アイルランドで軍務につくために入隊した者はいない。ベン・グリフィンさんは7年間をパラシュート連隊とSASで過ごしたが、英軍に関して観念論で考えていたと述懐する。「世界で最高の機関だと思っていました」と。

炭鉱の町で育ち、鉱山が閉鎖される時期に学校を卒業したリー・レイヴィスさんは、「経済的な理由で」スタフォードシャー連隊に入った。

北アイルランドのユニオニストの地域で育ったキーラン・デヴリンさんは、イングランド人で元軍人だった父親に説得され、父親と同じように英軍に入った。彼は1991年の湾岸戦争に従軍したあとで除隊。その後は酒に溺れ、犯罪を犯し、極右政治に関わるようになった。(湾岸戦争は、「モニターの中の戦争」扱いされていますが、実際に従軍した人たちにはひどかったようです。)

マイケル・パイクさんは20歳のときに、麻薬と犯罪の生活から逃れるために、スコッツ・ガードに入隊。「ヘロインか軍隊かの二者択一でした。私は英軍に救われました」と語る。

一方、元IRAメンバーの側は、自分が戦争に行ったという認識は誰もしていない。そうではなく、戦争が彼らのところにやってきた(none saw himself as having gone to war; rather, they believe the war came to them)。

ブラッディ・サンデー事件を目撃したことを語り、1969年の夏のナショナリストたちと警察の間の戦い(バトル・オヴ・ボグサイド)を語る。

ある元メンバーは、1970年代初めにIRAの青年部門に入ったことを、「16歳のときに、軍隊 (army) に入った」と言う。他の3人も同意する。IRAは、The Irish Republican Armyである。つまり、1916年の独立宣言にある「アイルランド共和国(The Irish Republic)」の「(正規の)軍隊」。それが彼らの認識だ。

4人とも、刑務所に送られたことがあるが、「逮捕された」のではなく「作戦中に捕らえられた (captured during an operation)」と認識している。

(2014年夏のガザ攻撃のときに、この用語法をめぐってイスラエルがプロパガンダを展開していた。つまり、ガザ地区内に入っていたイスラエル軍兵士が「ハマスに誘拐された kidnapped」と述べていた。実際には、交戦中の戦闘員のことなので「捕らえられた captured」と言わなければならない。)

元IRAの4人は現在、「元囚人」のサポート団体で活動しており、4人のうち2人は非常に長い刑期をつとめた。(当時は「銃の所持」で14年とかいうことも珍しくなかった。)

こんなバックグラウンドの2つのグループの8人は、2時間ほど話をして、また会合を開きましょう、信頼関係を構築するために話をしましょう、ということで合意したという。

元英軍の4人は、デリーだけでなくベルファストやサウス・アーマー(リパブリカンの活動が最も激しかった地域)でも元IRAの人たちに会い、そのほかのナショナリストのコミュニティの人たちにも会った。

つまり、英軍兵士として敵対関係にあった武装勢力のメンバーだけでなく、自分たちが威圧していた一般社会の人々にも会ったのだ。

当時の英軍の人たちの手記も出ていて、私は本の形ではまだ読めていないのだが、過去に読んだことのある文章では「自分たちは市民から感謝されていた」というものがあったことを覚えている。英軍兵士が武装して市街地にいることで「守られている」と認識されていたというのだが、それは「ナショナリストのコミュニティ」でのことではない。

0853687161British Army in Northern Ireland
Michael Dewar
Arms & Armour Press 1985-10

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0312144784Rebel Hearts: Journeys Within the Ira's Soul
Kevin Toolis
St Martins Pr 1996-03-01

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この「認識のギャップ」を、どの認識を肯定するとか否定するとかではなく、単に「ギャップ」として把握し、理解することが、彼らの「対話」の中身なのだろう。

The purpose of the trip, Griffin said, was to “reach out to people to try and gain some understanding of what led them to join the IRA and participate in armed conflict”, while helping former members of the IRA to understand why young men had joined the British army, and how they came to be in Northern Ireland.

“I think it’s important for enemies and communities that see each other as enemies to come together and try and humanise each other, to meet the real person, rather than seeing them as ‘the other’.”

《敵》を「あっち側」として見るのではなく「人間化」し、「実際の人間に対面」すること。英軍の側からは、「彼らはなぜIRAに入ったのか、なぜ武力紛争に参加したのか」を知ろうとすること。IRAの側には「私たちはなぜ英軍に入ったのか、なぜ北アイルランドに来たのか」を伝えること。

北アイルランド紛争をめぐるこうした取り組みが、イラクやアフガニスタンのような場所での西洋諸国の軍隊に対する抵抗運動をより深く理解することにつながっていくかもしれない、とグリフィンさんは考えている。

(実際、アフガニスタンではそういうふうな動きがあって、英国とアイルランドの外交官がその取り組みを進めていた。けれども突然カルザイ政権からペルソナ・ノン・グラータとして追放されてしまった。)

イングランドの炭鉱の町の出身のレイヴィスさんは、除隊後ベルファストに住むようになっていて、最初にIRAの元メンバーたちに接触したのは彼だったという。彼は判断ではなく理解を促進したいと語っている(he was keen to promote understanding, rather than judgment)。
“I’m not interested in sack cloth and ashes.”


ユニオニストのコミュニティ出身のデヴリンさんは、リパブリカンの地域に行くことを恐れていたが、今度はユニオニストの隣人たちからの批判にさらされているという。中には「裏切り者 traitor」呼ばわりする人までいるという。

“There was an element of fear there and, I have to be honest, a bit of mistrust,” he said. “I had never met a republican before except when I was on operational duties with the army, which is quite shocking really.

“I was taken aback by their hospitality and, for want of a better word, their normality, and they weren’t aggressive to me. They had a good point to make which was easily understood once I sat and listened: why they were involved in the armed conflict.

“Initially, I didn’t tell them very much. I was guarded. But it didn’t take long to come around. Their story is not really much different from our story as soldiers. I think the key to the reconciliation process is listening.”

恐ろしいと思っていたナショナリストは、会ってみれば親切だし、彼らが紛争について語ることも、落ち着いて耳を傾けてみれば納得のいくものだった、という経験が、デヴリンさんを動かしたようだ。「最初は防御的で自分からあまり多くは語らなかったけれども、すぐにそうではなくなりました。彼らの話は、軍人としての私たちの話とさほど違わない。和解のプロセスの鍵になるのは、耳を傾けることでしょうね」

記事の最後は、会合をセッティングしたSéanna Walshの言葉で締めくくられている。

“I think all engagement is very useful and important. People can get an understanding … you can see beyond the uniforms and the rifles and helmets and the armoured cars, and you can see the real people.

“It’s important to listen to their stories, to get an understanding of what they were actually going through and also the effect that the conflict has had upon them.”

Through such contacts, Walsh believes, it is possible to build relationships with former enemies. Moreover, he said, people who were involved in the conflict “have a responsibility to attempt to rebuild society, to ensure that our children’s future is not our past”.


「子供たちの未来が、私たちの過去にならないように」

"Our revenge will be the laughter of our children" というあの言葉のヴァリエーションだと思う。

1570981132Bobby Sands: Writings from Prison
Bobby Sands
Roberts Rinehart Pub 1997-02-01

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ガーディアンのイアン・コベイン記者が伝えている会合は、Veterans for Peace UKと、Coiste na n-Iarchimí (Ex-Prisoner's Committee) によってセッティングされた。


※この記事は

2015年03月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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