「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年03月02日

「テロリストと話をする」ことをめぐって。

「テロリストと話をする talking to terrorists」は、(明示的か非明示的かは別として)「北アイルランド和平」以降の英国政府の基本方針である。

2014年10月、その基本方針のアーキテクトであるジョナサン・パウエルが、まさにそのタイトルの本を出した。ガーディアンのジェイソン・バークがそれについて簡潔なインタビュー記事を書いているのでご一読されたい。(この記事、何という俺得なんですけどね。)

Talking to Terrorists: How to End Armed Conflicts review – an optimistic analysis
http://www.theguardian.com/books/2014/oct/13/talking-to-terrorists-review-jonathan-powell-how-to-end-armed-conflicts

As a US-led coalition continues to attack the Islamic State (Isis), Jonathan Powell, a former adviser to Tony Blair and a key intermediary in the successful negotiations between the British government and the IRA, poses an important question: should we talk to the terrorists?

His answer is yes, for without talking we will never have a true peace. Even if we can obliterate the enemy through sheer firepower, we cannot eliminate the threat they pose without removing at least some of the grievances that motivated them in the first place. And this needs a negotiated solution.


0099575868Talking to Terrorists: How to End Armed Conflicts
Jonathan Powell
Vintage 2015-10-01

by G-Tools

※amazon.co.jpのカタログでなぜ「2015年」となってるのかはわかりません。2014年10月に出てることは事実。

これについて、先ほどちょっとしたやり取りを見た。駐リビア英国大使の発言がきっかけだ。







……と、このようなやり取りになっている(上記は一部抜粋。関心があるかたは、最初のジェイムズさんのツイートのURLをクリックして、やり取り全体を読んでいただきたい)。




実際、英国流のこの「テロリストと話をする」の方針(戦略ともいうか)は、Who are the terrorists? という疑問が必ずついて回る。

この方針が生まれたのは北アイルランドだが、北アイルランドは1969年に紛争が始まって以来常に、「交渉」が(見えないところで)行なわれてきた。IRAの「政治的暴力」(それを人々は「テロ」と呼んだ)は暴力と破壊それ自体が目的ではなく、英国政府を交渉のテーブルにつかせるための手段だった。「連中は、どんなに声をからして叫んでも聞こうとしない。連中に通じる言葉は、暴力だけだ」というのが、独立闘争以降、一貫してアイリッシュ・ナショナリズムの根底にあった。ここには「暴力は、話をすること、その上でこちらの言い分を通すことの前段階」という認識があった。

むろん、アイリッシュ・ナショナリズムの中にも、その「交渉」路線をとらずただ「暴力」のみで事態を「解決」すべき(「ブリティッシュをアイルランドから追い出す」べき)という立場もあり、数は少ないながら、現在も活動をしている(ディシデント・リパブリカンの武装活動)。

しかしながら、北アイルランド紛争においては、英国政府には「話をする」相手となる「テロリスト」たちがいた。というか、彼らは「テロリスト」であり、同時に「政治囚・戦争捕虜(のステータスを求めた人々)」であった。そのことを英国政府が現実として認識したことから、「交渉」が始まった。「合法的な政党」という仕組みも、そこにはあった。自由主義、民主主義という基本の枠組みの中での紛争と暴力的な異議申し立てであり、交渉であり、和平プロセスであった。

自由主義、民主主義そのものを否定するISISなどイスラム主義武装組織のケースでは、そこが異なる。(「民主的選挙」の有無だけで、「あれかこれか」で判断するのは危険であるにせよ。)

リビアについての英国大使とリビア在住の人々(外国人もリビア人も)の上記のやり取りで問われているのは、英国政府がそこをどう認識するか、ということだと思う。

「ジハディ・ジョン」として知られる人物について、名前が明らかになってからの数日間でずいぶんと背景的なことに関する調査の報道記事が出てきている。そこで見えてくるのは、彼個人がいかに「狂信者」であるかということだ。コペンハーゲンの銃撃事件のケースでは、銃撃犯個人がいかに「犯罪者」(チンピラ)であったかが事後明らかになった。

そういった相手も、まさに軍隊のような指令系統があり、「合法的政党」を有していたIRAのような「交渉相手」、「話をするテロリスト」となりうるのだろうか。

2006年の選挙以降のガザ地区のハマスに対するイスラエルの態度など、「こちらがテロリストと呼んでしまった者たちとは、こちらは話をする必要はないし、話などすべきではない」という流れが強まってきたこの10年間、私も忘れてることも、当時見てなかったこともあったと思う。最近のISISの伸張に関連するニュースを見ていると、それに気づかされる。

ちなみに、リビアは現在、こういうふうになっている。




この状況、唯一の心理的な救いは、私に見える範囲では、"現在の「石油が武装勢力の資金源」になっている状態が、「石油が恐怖政治をしいているカダフィ政権の資金源」になっている状態よりよい" という類の、無理な二分法による強弁が見当たらないことである。


タグ:リビア

※この記事は

2015年03月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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