「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年03月01日

Twitterがいろいろ変更されて、統計的なものが簡単に見られるようになっているので、見てみるといいと思う。

2月半ば以降、ブラウザでTwitterの画面を表示させるのにえらく時間がかかるようになっていた。abs.twimg.com(Twitterの画像)の読み込みに何十秒もかかるようになっていたのだ。何か変更中なのだろうと思っていたところに、昨日かおとといくらいから、新たなボタンが表示されるようになった。Twitterでは、人により表示開始の時期はずれがあるようだが、私は前のアップデートのときも遅かったので、私のところで表示されているということは、もうみんな表示されているだろう。今回アップデートされたのは、View Tweet Activityというボタンだ。スマフォの公式アプリでは2月上旬から稼動していたものが、ウェブ/PCにも導入されたらしい。













こういったstatsは、以前は、ads[dot]twitter[dot]com/user/username/tweets で閲覧できていたのだが、今回のアップデートで、普段見ている画面でそのまますぐに見ることができるようになったということになる。

そういえば、しばらく前までは、Twitter[dot]comであれTwitter[dot]com/usernameであれ、画面遷移なしでこのように表示されていたのは、「誰がRTしたか、誰がFAVしたか」だった。今はそれらは個別ツイートの画面に飛んで、さらにRTやFAVの数字をクリックして表示させることになっている。

もうひとつ、Twitterで変更があったという点(でも前からあったような気もする)。誰かが自傷行為や自殺念慮についてのツイートをしていたときに、「通報」ができるようになったという。これは、Twitter日本のアカウントからも告知が出ていたのを今確認した。




それが具体的にどう現れるかというと:





これは、英国の組織「サマリタンズ」が一時導入した「監視アプリ」とは異なり、Aさんが「死にたい」と書いてるときにAさんの友達に連絡するのではない。

そうではなく、Aさんが「死にたい」と書いているのを見て心配になったBさんがボタンを押してTwitterに「通報」すると、TwitterからAさんに対し、上記のような定型文のメールが届く、というものだ。

しかしこの「定型文」のメールが、あまりにも「アメリカのものの直訳」であるところが、微妙な空気感だ。こんなにきれいに日本語化されているメッセージ(人間が翻訳しなければこうはできない)で、自殺防止のヘルプラインを紹介するときに、「アメリカのヘルプライン」を紹介しても、それは「アメリカでのメッセージの翻訳である」ということしか示さない。ここで「いのちの電話」を紹介するようなローカライズは、Twitterの日本法人ではやっていないということかもしれないが、こうなると「アメリカ以外の英語圏」(カナダ、英国、アイルランド、オーストラリアなど)ではどういうメッセージが送られてくるのだろうか、などということも気になりだす。気にはなるが、別に関心はないという微妙なラインで。

ちなみに、上述の「サマリタンズ」のアプリは、ローンチから10日もしないうちにサスペンドされた



※この記事は

2015年03月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 18:00 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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