「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年02月28日

英国流茶道真顔流の家元の方が日本にいらしているとのことで……

英国流茶道真顔流の本場のお手前。襟をただし、正座して真顔で拝見しましょう。
(・_・)




そして、英ウィリアム王子 NHKを訪問(2月28日 12時13分):
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150228/t10015819591000.html
スタジオではウィリアム王子がかぶとや陣羽織を身につけ、「次は自分もぜひ大河ドラマに出演したい」と笑顔で話していました。

これは、この「王子の無茶ブリ」を真に受けたNHKが、王子と同じ、セント・アンドルーズ大学出身ということで「ディクソン教授」として王子をキャスティングし、なぜかかぶとや陣羽織を身につけたディクソン教授が夏目金之助や斎藤秀三郎に英語を仕込み、ワーズワースを叩き込む……ということになるまでがひとつの物語ですね。

それに、NHKの言う「笑顔で話していました」というのは「真顔で話していました」の婉曲話法ですね。だってそうとしか考えられないんですもの。(・_・)

……でも、おや、まあ。あら。楽しそう。




こちらは真顔。




次回はお子さんとご一緒にどうぞ。 (・□・)

(今回はケイトさんが身重なのでウィリアム王子単独での東アジア訪問)

それから、ヒッチェンス大使……お似合いです。このまま三浦按針にぜひ。 (・_・)




北アイルランドのUTVからも来てる(北アイルランドは日本企業の投資を呼び込む活動を盛んに行なっているので、日本への注目も高いのかも)。




その前、横浜の英連邦戦没者墓地にて……。
























See also:
戦没者追悼のかたち〜英国の例〜 ("Lest we forget")
http://matome.naver.jp/odai/2139023621178867301


一方、NHK会長のことは、王子にも英王室にもどうすることもできないわけで……バーレーンの民主化要求運動を弾圧していた最中のバーレーンの王室を英国に招いてもてなしたのは英王室の判断ですけど、これはうちらの問題。




あと、これ。いわゆる「原子力村」って総本山が……いや、なんでもない。




こんなことあったんですけどね。つい最近。これでリフキンは委員長職をやめました。




※この記事は

2015年02月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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