「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年02月19日

元祖「ISISクソコラ」のネタにされてた人が、「指導者」から表に出るなと言われたらしいので、それについて書くことにした。

ハッシュタグで「ISISクソコラグランプリ」ってのが流行ってたとき、私は横目で見た程度、具体的には英語化された情報で言及されていたものを見た程度だったが(「ネット民のお遊び」を見てる暇などないということはご理解いただけますよね)、人々があまりにきぃきぃ言っていたので、"ISISの人々のような方々は、「日本でネット民が何か言ってます」程度のことで「挑発」されたりはしないと思います。その「挑発」がprovocationという意味ならば" ということは発言したし、"「ネット民がISISを挑発しています」なんていうお手軽な世界観は、ネットだけにしとけ" とも発言した。

それには一応根拠があったのだが(例えばBuzzFeedは2014年12月半ばにYouTubeにアップされたISISパロディ・ビデオ集というお手軽記事をアップしている)、そんなどうでもいいことの説明はする必要を感じなかったし、今もそれを説明する必要があるとは思っていない。

が、今朝こんな話が出ていた。ツイート主のHala Jaberさんは、私は何度も言及しているが、英サンデー・タイムズの記者で長く中東を扱っている(拠点はベイルートで、ここは多くのジャーナリストが拠点としている都市である)。




#ISISMediaBlackoutのため写真は非表示にしておくが、別にショッキングなものではない。武装勢力の男が武器の脇に座っているだけだ。これまで「イスラム国」を自称する勢力(ネットスラングで「イスイス団」、本稿では「ISIS」と表記)のプロパガンダの写真などで第一線に立ってきたこの人物が写真に出てくることを、バグダディ本人が禁止したという。「ISISは割れている」という話が2月に入って表面化してきたが、本当に割れているのだろう。

ともあれ、ハラ・ジャベールさんが「私たちの間で大人気のISISの人」と呼んでいることからもわかる通り、この人物はその印象的な風貌ゆえだろうが、一部で「ネタ」にされてきた。「ISISクソコラ」などというものは、別に「日本人が始めた」ものではないのだ。(日本語圏ではとにかく「海外では〜」の無根拠情報が多く、「イスラムをバカにすると殺される」とかいった大雑把すぎるヒステリーとしか言いようのないものが支配的なのかもしれないが、Four Lionsって映画知ってる?)

というわけで、少しだけ見ておくことにしよう。なお、彼の前にも「ISISクソコラ」のネタにされた人はいたかもしれないが、そこまではこだわらないことにする。

詳細はハラ・ジャベールさんのツイートに含まれているハッシュタグで誰でも確認できるので、確認したい人は勝手にどうぞ。

彼が「ネタ」にされたのは、そのあまりに印象的な風貌と、「どの写真を見ても同じ角度の顔で写っている」ことがきっかけだと思う。

私が何度か目にした「クソコラ」は下記の写真だ。2014年1月22日に作成されているので、ISISがアイマン・ザワヒリから「破門」される前のことだが、いずれにせよ「ISIS(またはISIL)」という名前は広く知られていたし、「アルカイダ系のシリアの組織の中でもとびきり凶暴」ということも広く知られていた。

#ISISMediaBlackoutもあるのだが、この「クソコラ」があまりに下品なのでモザイクをかけてキャプチャで掲示しよう。言葉で説明するのもはばかられるので画像だけで。



で、ハラ・ジャベールさんが現在 "our favourite ISIS dude" と書いている彼は、しばらくは表に出ていなかった期間があったらしい。しばらくぶりに写真が出てきたとき、ジャベールさんは「久しぶりに戻ってきた彼はいつもどおりの魅力」というようなことをツイートしている。(こちらは#ISISMediaBlackoutで写真をボカして再掲する。)



2人の若い戦闘員をひきつれた3人で写っているこの写真は、「ハンソン再結成」だとか「映画『猿の惑星』のエキストラ」とかいった調子で「キャプション・コンペティション」(写真に勝手なキャプションをつけて笑う遊び。日本語圏では「ボケて」がある)化した。

この10日ほどあとに、彼が黄土色というかオレンジ色というかの、たぶん絹の服を着てモスルに現れたときは「ファッションリーダー現る」ということでネタになっていた

さらに、「One Directionの人気の影にこの男」というコラなども出た。



また、彼の印象的な風貌を決定付けている「一本眉毛」をいじったコラもある。ツイートしているこのアカウントは「西洋のある国の女性ISISメンバー」を名乗っており、ISISのアカウントがRTしてもいるが、いずれも、英語圏に山ほどあるパロディ・アカウントのひとつだ。これらのアカウントをみれば「クソコラ」の類も言葉でのパロディも数多く存在することは確認できよう。






最近話題になったISISパロディでは、1月半ばにベルギーでの対テロ作戦(「捜査」ということだが)でメンバー2人が撃ち殺されたあとで、「タンタン(Tintin)、イスラム国に行く」みたいなのが出てきた(私は絵を見ただけで、誰が作ってるのかは知らない)。これは悪趣味として非常に評判が悪い。私もこれは、やっちゃいけないことなんじゃないのかなと思う。



冒頭の件、追記。










※この記事は

2015年02月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 10:31 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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