「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年02月18日

パリでやらかしたのはチェルサポじゃない。ありゃヘッドハンターズですよ。

こういうことがあると私がフォローしてるジャーナリスト(普段はサッカー話はツイートしない人たち)がぽこりぽこりと「告白」をしたりするので面白いのだが(今回はリビアについてガチの報道をしている人がチェルサポであることがわかった)、欧州チャンピオンズ・リーグ、パリで行なわれたPSG(パリ・サンジェルマン)対チェルシーの試合を見に行った英国人集団が、パリのメトロでやらかしてくれた。




つってもこれは普通の「チェルシーのサポ(チェルサポ)」さんたちではない。こんなことをチャントするのは、ヘッドハンターズしかいない。ここはただの「サッカー・フーリガンのファーム」ではない。筋金入りの極右集団だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Chelsea_Headhunters
The Chelsea Headhunters are an English football hooligan firm linked to the London football club Chelsea.

... There was widespread racism amongst the gang and links to various white supremacist organisations, such as Combat 18 and the National Front. The gang also became affiliated with Northern Irish loyalist paramilitary organisations, such as the Ulster Defence Association and Ulster Volunteer Force.


ヘッドハンターズは、2000年代にフーリガン対策したときに渡航禁止にしてたんでは、と思ったのだが、それをかいくぐれる方法があるという。そればかりか、去年も同じPSGとの試合でパリに行ってものすごい大暴れをしていたということを今日知った(気づかなくてすみません。ほかのチームのことはあんまり見てないので……)。

最初に知ったのは北アイルランドのリストだ。Racist elements of CFC supporters云々と書かれていたのが目に入った。













以上、ざーっとツイートだけ貼ったが、今週はコペンハーゲンのあれさえなければ20年前にCombat 18が引き起こしたフーリガン暴動について書こうと思っていたのでその件。

1995年2月15日、アイルランド共和国ダブリンのLandsdowne Roadスタジアムで、アイルランド共和国代表とイングランド代表の親善試合が行なわれた。前年、1994年の8月にIRAが、10月にロイヤリスト諸組織が停戦を宣言していたが、まだ「北アイルランド紛争」は終わってなかった。

この前にダブリンでこのカードで試合が行なわれたのは1990年で、試合後にオコンネル・ストリートで乱闘が発生、1995年はその二の舞は避けようということで両国の警察で話をしていたが、結局は大荒れに荒れた。




http://en.wikipedia.org/wiki/Lansdowne_Road_football_riot
より:
The FA was offered 4000 out of approximately 40,000 tickets, for English fans.

As the national anthems of each side were being played, there was some trouble, with some Irish fans jeering God Save The Queen, and some English fans, including members of Combat 18, chanting "Sieg Heil", "no surrender to the IRA" (to the tune of the chorus line of the hymn Oil in My Lamp), "Ulster is British", and giving the Nazi salute as Amhrán na bhFiann was playing. The match began at 6:15pm, and after 21 minutes, David Kelly scored a goal for Ireland. When an English goal was disallowed, some of the English fans began throwing debris down into the lower stands, including parts of benches which they had ripped out earlier in the match. When this happened, the referee immediately stopped the game, and brought the players off the pitch. When Jack Charlton, the Irish manager, walked off the pitch, the mob shouted "Judas, Judas". The fans in the lower stands then spilled out onto the pitch to escape the missiles from the English fans. Some Irish fans had mistakenly been put into the area where the English fans were when the FA returned a number of tickets to the FAI.

Riot

After the teams left the pitch, the frequency of missiles intensified, and after twelve minutes, the game was called off, and the fans were evacuated, with the exception of 4,500 English fans, who were kept in the stadium until the Garda Public Order Unit tried to escort them out, at which time more violence broke out. The Gardaí were slow to reach the area where the rioters were, and there was some confusion as to the exact location of the English fans between the Gardaí and the stewards. Twenty people were injured during the rioting, and forty were arrested.

つまり、40,000枚のチケットのうち、イングランドに割り当てられたのは4,000枚だったが、キックオフ前の国歌斉唱の段階で早くもアレな感じになったというのだが、ここで「イングランドのサポ」として観客席に入ってたコンバット18など極右の暴れ専門の連中が、アイルランド国歌の最中に「ジーク・ハイル」だの「ノー・サレンダー・トゥ・IRA」だの、「アルスターはブリティッシュ」だの、ナチ・サリュートをやらかすだのと大変な状態に。

キックオフは18時15分で、21分経過したところでアイルランドのデイヴィッド・ケリーが得点。続いてイングランドのゴールが認められなかったことで、イングランドの観客が下のスタンドに物を投げ始めた(試合開始後にぶっ壊していた座席なども含め)。審判は試合を止めてプレイヤーをいったん退場させた。当時アイルランドの監督だったジャック・チャールトン(イングランド人)には、イングランド側から「ユダ!」という野次が浴びせられた。そして下のスタンドにいた観客が、上から降ってくるものから逃れようとピッチに出て大混乱。

選手がピッチから退避すると、ますます激しく物が投げられだし、12分後には試合は中止が宣言。まずはアイルランドの観客をスタジアムの外に出し、イングランドの客は警察の機動隊が到着してから出すようにしようとしたが、現場は大混乱になっていてイングランド側の観客の場所もよくわからない状態。こうして暴動で20人が負傷し、40人が逮捕された。




















この暴動について、「アイルランド人をぶっ飛ばしにきたんではなく、イングランドの観客の間で喧嘩するのが目的だった」、「全体を統括していた者がいたわけでもない」、「アイルランド人は暖かく迎えてくれた」という発言も今になって飛び出しているが、「ノー・サレンダー・トゥ・IRA」から「チェルシーの連中は気に食わない」まで、暴れ隊にはそれぞれいろんな理由はあったんだろうなとは思う。




ていうか、基本的には、「理由とか知るか (´・o・`)」だ。

この記事には、カーディフの暴れ系サポがニューカッスルの暴れ系サポと落ち合おうとしたらパブが粉砕されてた、粉砕したのはサンダーランドの暴れ系サポで、ニューカッスルの暴れ系サポがその連中をパブから追い出していた、などといったことも書かれているが、人のところに行って荒らすな、としか言えない。

欧州から見れば「遠隔地」で開催された2002年のワールドカップで、こういうのを過去にすることができてほんとよかったですよ。

この時代のことは、『フーリガン戦記』に詳しく書かれてますね。
フーリガン戦記フーリガン戦記
ビル ビュフォード Bill Buford

サッカーの情念(パッション)―サポーターとフーリガン フットボール・ファクトリー CBX-5 [DVD] 通訳日記 ザックジャパン1397日の記録 (Sports Graphic Number PLUS) フーリガンの社会学 (文庫クセジュ) 英国のダービーマッチ

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サイモン・クーパーの『英国のダービー・マッチ』はロンドンはノーロンでうちとshithole鶏の話(非常にわかりやすい)で、やばいところ(ミルウォールとか)が入ってないので残念。



2010年のものを覚えてていただけて光栄です。『フーリファン』に出てましたか。(もう古書じゃないと手に入らないようですが、チェルシーのファームの人の手記。私は未読です。)
4331508757フーリファン―傷だらけの30年 (広済堂サッカーセレクション)
マーティン キング マーティン ナイト Martin King
廣済堂出版 2002-03-01

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パリのメトロでの一件とその反応について、NHKがニュースにしてた。。。






2014年に町を荒らしたあとにこれがあったわけで、こんな形式的な「伝言」が「報道」と呼べるのかどうかはわかりませんが、世界的に報道されてるみたい。あの連中にはそれが「勲章」になるのでちょっと……ですが。

あと、こういう陰謀論が出てるらしい(笑)




BBC Radio 4が映像を撮影していた人に話を聞いてる。




で、チェルシーはクラブとしてジョン・テリーの発言という「過去」をどうする気もない以上は、「クラブとしてレイシズム容認」と非難されることは続くんじゃないかと。どんなに「黒人選手」と契約しようとも……。



※この記事は

2015年02月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 19:30 | TrackBack(2) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

人種差別をやらかした「チェルシーのファン」がUKIPの熱烈な支持者だったり、撮影されているということの意味もわからない17歳だったり。
Excerpt: チェルシーの人種差別主義者がパリで大騒ぎした件が延焼しまくっている。現状、まずはUKIP、そしてコリン・スタモアだ。後者については次項で扱う。 UKIPに延焼していたのは日本時間で19日の夜のこと。..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-02-20 13:21

「パパは黒人だから、ああいう目にあったんだよなんて子供に言えますか?」「同じ英国人として、あのチェルシーFCの観客たちの行動が恥ずかしい」
Excerpt: パリでチェルサポ(と自称する集団)がやらかした件。フランス当局は捜査するとしており、英警察も当該人物の特定などで協力するということで、少なくとも裁判にはなるだろう。 被害者(乗り込もうとして小突かれ..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-02-20 13:24

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼