「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2015年02月17日

次のフェーズに行っちゃった途方もないニュースを、「人間化」する。

英語でhumanise (米語でhumanize) という。
http://dictionary.reference.com/browse/humanize
to make humane, kind, or gentle.


あの浜辺で殺されたその人は、出稼ぎに出ている間、どんなに子供の喜ぶ顔が見たかったことだろう。写真見てキャプション読んだときにそう思って、「あわれ」という感情を覚えた。Sympathyだ。




「リビアでISISに殺害された労働者のひとりの娘さん。お父さんはお人形をお土産に買ってきてあげようと約束していた」と現地取材から伝えているのはWSJの記者、ルイーザ・ラヴラクさん。

Caabuのジョウゼフ・ウイリッツさんは、「残忍な映像を広めるのではなく、殺された人びとの名前を広め、彼らとご家族のために祈ってください」という画像をツイートしている。




「21人のコプト教徒」ではなく、ミラドさん、アバヌブさん、マジェドさん、ユースフさん、キロロスさん、ビショイさん、ソマリーさん、マラクさん、タウドロスさん、ジルギスさん、ミナさん、ハニさん、ビショイさん、サミュエルさん、エザトさん、ロカさん、ガベールさん、エサムさん、マラクさん、サメハさん、そしてお名前のわからない方が、ただキリスト教徒であるがゆえに、あのように「見世物」にされてむごい殺され方をした。

ひとりひとりに親がいて、きょうだいがいて、妻がいて子供がいて、親戚がいて友人がいて……。

あの映像(私は #ISISMediaBlackout のため一切表示させないことにしている)に撮影されていた方のひとりは、お人形を買って帰ってやるはずの幼い娘の顔を、お人形を受け取ったときのそのぷっくりとした幼児らしい手を、どんなに見たかったことだろう。

リビア、武装勢力が拉致していたキリスト教徒21人をまとめて斬首
http://matome.naver.jp/odai/2142405789932220201


この映像は、単に残虐さで際立っているだけではない(集団斬首ならば、既に、アブドゥルラーマン・カッシグさんが殺されたときの映像で軍兵士を並べて斬首するということを彼らは見せ付けている)。

シリアとイラクの外で初めて、「イスラム国」を自称する勢力(ネットスラングで「イスイス団」、本稿では「ISIS」と表記)が公式に制作した映像であるということ、最近、ジャーナリストも普通に「情報源」と扱うようになってきたISISのプロパガンダ雑誌(英文)でこの件が「特集」されていること。

リビアに、これは拡大した。

















※この記事は

2015年02月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 05:00 | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

どんなものにも人は慣れ、45人が焼き殺されても、もはや大きな記事になることもない。
Excerpt: なぜ大きな記事になっていないのか、私は知らない。なぜ大きな記事になっていないのかについて、「冷静」で「科学的」な検証もできるだろう。しかしそんなことは誰かそのリソースがある人が仕事でやってくれ。私は知..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-02-18 19:07

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼