「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年02月08日

北アイルランド和平プロセスは、「交渉の裏口」の誰かの「ハッタリ」から始まったらしい。

「誰か」というか、「フレッド」と呼ばれる人なのですが。




BBC World ServiceのWitnessは、BBCの国内放送とは異なり、1週間の期限を過ぎても聞けるはず(ずっとアーカイヴされる)。手元に保存したい方はポッドキャストがある。
http://www.bbc.co.uk/podcasts/series/witness

ダイレクト・リンクは:
http://downloads.bbc.co.uk/podcasts/worldservice/witness/witness_20150206-1134a.mp3





キャッシュじゃないURL:
http://www.lrb.co.uk/v37/n02/owen-bennett-jones/what-fred-did
Over the years Duddy had contact with various British officials. In 1990 his interlocutor was a former MI6 officer seconded to MI5 who introduced himself as Colin Ferguson and later said his name was Robert McLarnon. Believing in neither name, Duddy called him Fred. The Northern Irish members of the link were relatively optimistic that a peace deal might be possible. The conflict had reached a stalemate: the British could contain the IRA but not defeat it and the IRA’s leaders were privately discussing the possibility of switching to a strategy of seeking a political solution. Diplomatic pressure was also building on London as, with increasing persistence, the US pressed the UK to come up with ideas to break the cycle of violence. Even the normally inactive Dublin government was showing some interest in a political process.

According to Bradley, Fred too sensed there was a chance of progress. He told Duddy that ‘the British government does not want to be left sucking the hind tit.’ Bradley took this to mean that if everyone else was talking, London didn’t want to be watching from the sidelines. And Fred, like the members of the link, believed that London couldn’t base its strategy on talking to moderates: a lasting settlement could only be achieved by communication between the people who had the guns. But neither the IRA nor the British was prepared to make the first move.

で、Fredがそのfirst moveを……。

もうね。



CAINデータベースを見ても、この「メモ」の顛末は出てこないんですよね。和平プロセスのソース・ドキュメントに関しては1993年はダウニング・ストリート宣言だけだし、1993年の出来事の一覧でも出てこない。
http://cain.ulst.ac.uk/othelem/chron/ch93.htm








※この記事は

2015年02月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼