「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年02月02日

「どうか、神様。彼らに安らかなる日々をお与えください」

「くたびれきって: シリアから来た難民の小さな女の子。ヨルダンのアズラク・キャンプに安全な居所を得るために、家族と一緒に何日も歩いてきた」(国連難民高等弁務官事務所UKの写真つきツイート)




私にとってそれは、自分の見ている画面でいつも何らかの言葉を発している英語圏のジャーナリストたちが、一斉に「後藤健二」という名前をローマ字表記したものをツイートしだすという形で現れた(湯川さんのニュースのときは、映像ではなく真偽不明の静止写真だったこと、ニュースの「メイン」になるのが音声でのメッセージだったことから、名前が出るより多くone of the Japanese hostagesというような表現が多く見られた。Haruna Yukawaという名前が出て私が衝撃を受けたのは、なにより、米大統領声明だった)。

ニュースが出たときの人々の言葉は、アーカイヴしてある。

後藤健二さんまでも、黒旗を掲げる首切り集団に殺された。
http://matome.naver.jp/odai/2142274369058242301


Kenji Goto, または #KenjiGoto という文字列が現れるツイートが、今回後藤さんが残忍な形で殺害された地域について取材し書いているジャーナリストたちに限られていた間は、平常でいられたと自分では思う。「あの地域のニュース」だからだ。あるいは日本特派員や元日本特派員の人々が言及するのも、驚きはもたらさなかった。

しかし、これを見たとき、私の中の何かが崩れた。




マーク・デヴェンポートさん。BBC Northern Irelandの政治ニュース記者。グッドフライデー合意前の交渉の現場にもいたし、その後、ストーモントの自治議会が再起動され、ものすごい紆余曲折を経ながらなんとか軌道に乗って行政府としての体を為しつつある様子を観察し、取材し、分析して言葉にしてきた記者だ。私はこの人の報道にたいへん多くを負っている。私だけではあるまい。北アイルランドについてのニュースを追っている多くの人がそうであるはずだ。

そのデヴェンポートさんが、日本語をローマ字化したものを書くことはめったにない。JapanやTokyoという地名が出てきたことはあったかもしれないし、日本の首相の名前や北アイルランドに工場・RD拠点を作っている日本企業の名前も書かれたことはあったかもしれない。しかし。

「北アイルランドのリスト」でこれを見たのだ。ベルファスト北部での銃撃事件(ちょっと深刻)などのニュースのフィードの中で。

先ほど「私の中で何かが崩れた」と書いた。崩れたのは何より「日常性」だ。

ああいうことが起きるということは、こういうふうになるということなのだ。北アイルランドの政治ジャーナリストまでもが、守備範囲には無関係であるはずの日本人ジャーナリストの名前を書く、ということになるということ。

そして私の中で崩れた「日常性」は、実はかりそめのものなのだ。日々、疑うことなく信じている《虚構》なのだ。私がお茶を入れている間にも誰かが銃弾を装填している。私がくしゃみをしている間にも誰かが撃たれている。私が目薬をさしている間にも誰かが死に、私がリップクリームを塗っている間にも誰かが生まれている。それが本当の《日常》だ。




後藤さんが自分で設立した会社のサイトのブログの最後のエントリ(2014年7月28日付け)のコメント欄。
http://ipgoto.com/archives/1846#comments

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私の朝は目玉焼きひとつとフルーツとブラックコーヒーで始まります。
そして各地の仲間からが送ってくるメールに目を通します。
通りを歩けば、子どもたちの無邪気な笑顔になごみます。
そんな平和な毎日が世界中の人たちの上にあることを願っています。
後藤健二










「ISISの殺人の中には大きく報道されるものもあれば、そうでないものもある。しかしどのケースも、シリアとイラクに対する邪悪な侮蔑を示している」



ラッカの民主化活動家のアカウントから、後藤さんのお写真3点。「彼はシリア人を助けるために来た。安らかに」。




It means “Lost Age” really. これこそ本当に「失われた世代」だ
投稿日:2014年7月11日 作成者: Kenji Goto
http://ipgoto.com/archives/1829

なぜ、彼らは死ななくてはならなかったのか?希望の光射す未来と無限の才能を持っていたのに。これから好きな女性ができて、結婚して、子どもを産み、家族を持てる十分な機会があったはずなのに。戦いに疲れ果てた人たちは口々に言う。「死んだ者は幸いだ。もう苦しむ必要はなく、安らかに眠れる。生きている方がよっぽど悲惨で苦しい」と。皮肉だが、本音だ。彼らは兵士でも戦場を取材するジャーナリストでもなかった。外国人と交流して異文化を味わうことを楽しみ、すべての時間を市民のために自分のできることに費やし、自分で思考錯誤しながら技術と得意分野を真っすぐに成長させて行った。

オマールはあの時何歳だったか?革命を信じたお子ちゃまカメラ少年は、いつの間にか生き生きした映像を録る勇敢なカメラマンになっていた。ISISに殺された。

そして、ハムザ。戦争孤児や貧しい家庭1,000世帯に、毎朝パンを届ける慈善団体を切り盛りする天才肌の若者だった。7月10日、空爆の犠牲になった。

彼らは、いつも笑顔でこちらの頼みを聞いてくれた。一緒にお茶を飲み、甘いお菓子を食べた。感謝のしるしに日本製の時計を、コンデジを、プレゼントした。戦時下では、プレゼントできること自体が嬉しいものだ。

世界各地の紛争地帯で、私の仕事を手伝ってくれた人たちが、もう何人亡くなっただろうか?

でも、私はまだ生きている。生きて自国に戻り、「伝える」仕事に集中することができる。

彼らが死ぬなどと真にイメージしたことは正直なかった。

鮮烈に蘇る彼らの優しい笑顔。

ボー然としたところで、「なぜ?」と考えたところで、彼らはもう戻って来ない。

どうか、神様。彼らに安らかなる日々をお与えください。


本当は今日のブログには、ISIS Media Blackoutのことを書くつもりだった。けれども、そこまで到底たどりつけていない。











そうしている間にも、シリアではどんどん人が殺されている。アサド政権軍の爆撃(たる爆弾を含む)によって。ISISの武装活動によって。










本エントリへのブックマークに次のような言葉をいただきました。

http://b.hatena.ne.jp/gimonfu_usr/20150203#bookmark-240747164
(日本国外どころか国内の宗教状況すら、あんま理解してないけど、御二人の御親族の心痛が、この記事を書いてくださったことで少しでも和らげばいいと思うのです。とくにY氏の御尊父の立場はちょっとシンドイ。)


そう言ってくださって嬉しいです。私もそう願っています。

他人様に対して「あわれだ」という感情を抱くことは基本的にないのですが、湯川さんはあまりにもあわれです。報道を通してしか知らない方ですが(FBも少しだけ読んだけれど、事後的に)、彼/彼女の義憤と「強さ」への希求が別な方向に向かっていたらと思います。Twitterにも書いたけれど、私は彼/彼女がお名前を「はるな」と変えたあとの人称代名詞をheとすべきかsheとすべきかさえ知りません(外見は、それとは関係ないので)。このように気を回すことが「正しい」のかどうかも知りません。けれど……たくさんのことを考え、戸惑っておられた方だということは確実だと思うのです。それゆえにご家族のご心痛はいかばかりかと……という常套句しか思いつきません。

私は「葬式仏教徒」という名の無信仰者、無神論者(「宗教や神は人が人のために考えたもの」と認識しており、なおかつ信仰を有していない)ですが、信仰を有する方の言葉を嘲笑することが無神論者のすべきことであるといわんばかりの態度を取る活動家的無神論者(リチャード・ドーキンスのような)の言説を軽蔑しています。信仰も、信仰を持たぬことも、「刃」ではないのです。

湯川さんはあまり多くを「語って」はいないので、彼/彼女のことは私にはよくわかりません。一方で、後藤さんは本当にたっぷりと語っていかれた。その中にうかがえる、信仰を持つことによる強さは、例えばナチス・ドイツ政権下で獄死した宗教者や、宗教家でありながらヒトラー暗殺をくわだてることを選択した宗教者、あるいはネルソン・マンデラやデズモンド・ツツといった人々による/についての記述から私が感じたものと同質です。私はそれを、いささかの羨望のまなざしで見つめています。そしてそれを分かち合って(シェアして)くださったことに感謝しています。

山のあなたの空遠く
「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとゝ尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。


最初のビデオ(武装勢力メンバーが両脇にオレンジ色の上っ張りを着せたお二人を座らせているもの)が出てすぐ、英語版ウィキペディアのKenji Gotoの項目を立てたことを、本当によかったと思っています。英語圏で「知られていない unknown」、「検索してもウィキペディアが出てこない」ということがもたらす誤解や誤認を、少しでも防ぐことに役立ったのではないかと思います。今、多くの人の手と目によって、ウィキペディアのエントリはどんどん修正され、改訂されています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Kenji_Goto

※この記事は

2015年02月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:50 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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