kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年05月09日

イアン・ペイズリーと北アイルランド紛争

[コード消去・代替画面挿入/2016年5月]


写真は米寿のお祝いをするイアンさんと、昔はケンカしていた知り合いのマーティンさん。

昨日から今日にかけて、このブログに「イアン・ペイズリー」の検索でいらっしゃる方が急増している。試しにググってみたらうちが検索結果トップ、まったく恐縮してしまうのだが、この「紛争」という大きな文脈のなかにペイズリーを位置付けるうえで最も参考になるネット上の日本語の文書のひとつは、うちのエントリではなく、イエズス会司祭の小山英之さんがものされた「北アイルランド紛争と教会」という文書(2003年6月25日、聖イグナチオ教会でのお話の要約)であろう。

2箇所を引用させていただく:
 紛争が起き、今日まで続いてきた理由は集団によって異なる。ナショナリストが争う理由は、彼らの従属的な政治的、経済的な地位、あるいはアイルランド統一への願望であり(政治的、経済的)、ユニオニストにとっては、主として南のアイルランド共和国に吸収されてしまうのではないかという恐れである(心理的)。ユニオニストの中でも、極端なプロテスタント教会の指導者であり、政党の党首でもある、イアン・ペイズリーとその支持者にとっては、宗教的な理由が大きな位置を占める(宗教的)。彼らは、闘争をキリストと反キリストとのものと考え、プロテスタントの宗教を擁護し、ローマの教会の誤った教義に強く反対する。イアン・ペイズリー派のプロテスタントにとっては、宗教が紛争の第1義的原因と言えるが、その他の特にカトリックの人々にとっては、政治、経済的な要素が第一義的原因である。しかし、宗教が紛争の第一義的原因ではないとは言え、カトリック教会に責任がないということではない。


 北アイルランドのような分割された社会では、人々がどのコミュニティーに属するかによってものの見方が違ってくる。中流階級のユニオニストの大部分の人々にとっては、北アイルランド紛争の問題は、IRAが存在することである。彼らは、ナショナリストの大部分が経験してきた苦しみを理解できない。RUCは、大部分のユニオニストにとって、ヨーロッパで最もすぐれた警察であるが、シン・フェイン党の支持者にとっては、解体するしか道はないと考えられている。積極的平和を築くためには、武器の使用をなくすだけではなく、構造的暴力を除去しなければならないというガルトゥングの考えを紹介したが、南アフリカのアパルトヘイト、南米の富裕層/貧困層のように構造的暴力の存在が明白な状況と違い、北アイルランド紛争のような民族紛争では、貧しいカトリック住民の解放といった単純な図式によってでは容易に解決されない難しさがある。何が構造的暴力か(政治的、経済的、文化的)という認識には、主観的な要素も大きいのである。

ペイズリーは政治家として見るよりも、宗教家として見るべき人物だ。(昨日の演説も100パーセント宗教的な言説であった。)その点、asahi.comの記事の、「ローマ・カトリック教会の法王を『キリストの敵』と呼ぶプロテスタントの牧師で、民主統一党(DUP)のペイズリー党首(81)」という記述は非常にいいところをついている。そして、そういうふうに「宗教」が大きな役割を果たしてしまった「紛争」(「宗教紛争」ではない)が北アイルランド紛争だ。(逆にいえば、セクタリアンな地域での「紛争」を「宗教化させない」ためのヒントもたくさんあったはずの紛争という見方もできる。)

小山英之さんは「何が構造的暴力か(政治的、経済的、文化的)という認識には、主観的な要素も大きい」と指摘し、紛争における当事者の「主観」という要素を前面に出しておられる。この点は「客観的」な記述を見つけることが簡単ではない北アイルランド紛争というものに向かうときには特に念頭においておくべき点のひとつである。つまり、誰かの「主観」で書かれたものを「客観的な事実」と受け取らないようにしておくこと。「テロリズム」とか「テロリスト」といった用語ひとつにも「主観的判断」があり、うちら部外者にとっては「UVFもIRAもどっちもテロリストじゃん」という話であっても、当事者にとってはそうではなく、ある爆弾が一方では「義のあるもの legitimate」とされ、他方では「無差別殺戮」とされるようなことがある。特にイングランドという世界的にメジャーな土地でどかんどかんやっていたIRAは、「爆弾を置いたら予告電話で一般人を避難させる」とか「ターゲットを正確に狙う」とかいったことを徹底していたから(それでも誤爆したり関係ない人を殺したりといったことは非常に多く発生した。マーティン・マッギネスはこの点凄腕だったらしいが)、北アイルランド紛争で一番目立っているIRAの爆弾について「卑劣ではない」という言説は多い――英語圏、特にアメリカの民間の文書にはそういうのが多いのだ、ほんとに。しかしその「卑劣ではない」は客観事実ではない。主観、もっといえば「主張」だ。

ロンドン滞在中に、友人の家族が暮らしていた郊外の住宅街のショッピングセンターにIRAの小さな爆弾が仕掛けられたときの静かなショックを、私は絶対に忘れることはないだろう。あのショッピングセンターはシティの経済的標的でもないしウエストミンスターの政治的標的でもなく、ましてや軍事的な標的ではない。しかもそのエリアにはアイリッシュが少なくない。結果的に、爆発はしたが誰も殺さなかったあの小さな爆弾は、「フリーダム・ファイター」という彼らの言い分が「ただの言い訳」であることを私に示した。「こんな場所、政治的闘争と関係ないじゃん。何がstruggleだ」と心底思った。

(ああ、何かいろいろと思い出して気分が悪くなってきた。目の前に張られた非常線、警察官、爆弾処理班といったものは、私は90年代初めに何度か目撃している。幸い、自分は無事でいるし、そのときは「また地下鉄がボムスケアで動いてないんですか。IRAは一般人に迷惑をかけるのはやめてください。私は英国人ですらありません」といったイライラを感じるばかりのことがほとんどだったけれど。)

そして、実際、ナショナリストの言説での「構造的暴力」と、ユニオニストの言説でのそれとは、地球と冥王星くらいの違いがある。その「違い」こそが「衝突」だ、という考え方が、UVFだのIRAだのの信条であり原理であったわけで、「違い」はあるが「議論」や「対話」は可能だ、というのが和平の出発点だ。ブレア政権の功績は、その出発点を用意するだけでなく、「衝突だ」という政治的リーダーたちをそこに座らせ、実際に「議論」させ「対話」させたことにある。

トニー・ブレアには、「ロイド・ジョージ以来の悲願達成」といった華々しいことではなく、こういった地味な面を次の政治指導者に引き継いでいってもらいたいと思う。この「紛争の終わり」は、「ブレアの経歴の花」としてだけ存在意義を持つようなものではないのだから。



それから、立命館大学の南野泰義さんの論文、「2003年北アイルランド地方議会選挙に関する一考察」(立命館国際研究、2004年3月)。ちょっとディープな話で「北アイルランド紛争って何ですか」という疑問の回答にはならないと思うが、私にとっては大変にためになった。感謝申し上げたい。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/vol16-3/16-3minamino.pdf

あの選挙でDUPが第一党となった状況は、まさにこうだった。選挙登録の手続きのごたごた(写真入りカード作成の義務化など)などを含め、今思い返すととても不思議な感覚だが。

というか、「今」がおかしいんだって。どうしてペイズリーとマクギネスのラブラブツーショットがメディアにあふれてるのかね。

・・・まだ順応できてない自分を再認識。何ヶ月も前から予告されていたことなのに、いざそうなると飲み込めない。

でもね、これはまるで「ネタニヤフとアラファトが満面の笑みを浮かべてツーショット」というような状況なのですよ。ブッシュとクリントンとかではない。

うえええん、やっぱり昨日無理やり「これが現実だ、現実だ」と自分に言い聞かせていたから、ちょっと変。

ガーディアンの写真集:
In Pictures: Ian Paisley (14 pictures)
http://www.guardian.co.uk/uk/gallery/2007/may/08/northernireland?lightbox=1
1960年代から今までを14枚の写真で綴っているのですが、10枚目が意味がわかりません。キャプションを読んでもわかりません。「カメラに向かってピ〜ス」ではありません。手の甲向けてますから。

ガーディアン、Steve Bellのカートゥーン:
http://www.guardian.co.uk/cartoons/stevebell/0,,2075448,00.html



英語でよければ、イアン・ペイズリーについてプロフィール的な記事とウィキペディア:
http://en.wikipedia.org/wiki/Ian_Paisley
http://www.guardian.co.uk/Northern_Ireland/Story/0,,2074937,00.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6289827.stm


※この記事は

2007年05月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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