kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年01月24日

「報道」が自殺していくさま。

先日、このような見出しの記事が共同通信から出た。




目にした直後に私はこのように述べた。





※私がTwしたのは単なる「Google検索の結果のURL」ですが、そこに表示されているものの中には画像として目を覆わんばかりに凄惨なものだけでなく、思想的にマジでやばい(行っちゃってる)のもありますので、各自ご注意ください。中には「斬首されて殺されたことになっているアメリカ人は実は生きていて、ひそかにかくまわれており or 整形手術を受けて新たな名前とパスポートを支給されて or etc etc」の妄想を開陳しているサイトもあると思います。他人の妄想に取り込まれないよう、各自ご注意ください。

この共同通信の報道について、次のようなブログがTwitterでRTされてきた。




山本さんがツイートされているのは、共同通信の記事で「専門家のコメント」となっている情報を提供した映像の専門家のブログだ。映像・カメラの素人(例えば私)でもわかるように書かれているので、各自、ご一読いただきたい。

まずはこれ。たぶんこれ、「あるある」集にあるようなことだと思う。メディアの記事の「専門家」のコメントは、「本当にそのトピックに詳しい専門の人」のコメントである必要は、必ずしもない。(社会科学の分野だと、明らかに権力関係だなーっていうこともあるという。)
前提として、自分は合成も行うが、メインは映画やドラマの編集技師であって、合成に詳しい人間はもっと他にいるから、紹介しようか?という提案を却下されてのことです。


そして:
自分としては、
「確かに、影の方向が左右の二人で違うのは違和感がある。横から光が当たってたとしたら、変だ。
ただ、衣服の揺れが違うのは、風向きだけじゃなく、障害物もある可能性もあるし、そんなに気にはならない。
広角目のレンズで撮ったにしては、フォーカスがやけにかっちりしてるし、背景もボケとる。
もしかしたら、書き割り(背景を巨大な写真や、絵を用意してその前で撮るやつ)かもしれないけど。
ただ、地面の影を見ると、ちゃんと影が岩の形に沿って落ちているので、少なくとも地面は本物っぽい。
総合して考えると、遠景と空は合成(というかスタジオ?)である可能性を否定できないけど、三人は同じ場所にいるのを撮ってるとは思う。」
と答え、

その後、21:07ごろに再度お電話をいただき、記事化された文章を聞かせてもらいました。
その時点で、「太陽光でこの影の出方はあり得ない」という文章になっており、
「いやいや、そんなことないんです。太陽光でも、カメラの後方に光源があって、そこそこ広角目で撮ったら、ああなるんで、外で普通に撮ったことはパッと見否定できないです。」
と伝えたところ、
「そうなんですか、そこも書いておかなければいけませんね」
という返答で、この日は終わりました。

これは確実に「あるある」だ。正確にしゃべろうとして「確かにAだ。ただ、Bである。総合して考えると結論はCだ」という話の進め方をしたときに、聞き手には「Aだ」しか残らないということ。特にその「A」が聞き手も知っていることだと、その先入観が大きく影響する。「これ、合成ですかね。影が不自然でしょう」という質問に「確かに影は不自然だが、合成だという決め手はない」と答えると、「影は不自然だということを認めた(ので合成であると考えられる)」という結論が誘導される。それが、"その時点で、「太陽光でこの影の出方はあり得ない」という文章になっており" という結果につながっているのではないだろうかと、この文章を読んで、私は思う。

ここまでは「あるある」だと思う。共同通信の依頼に応じて時間を割いてコメントされた専門家さんも、それは「あるある」だと思っておられると思う。

問題はその次だ。太字は私が補った。

翌日、友達から連絡が、「新聞にこんなののってる!」と東京新聞さんの記事を写真で送ってくれました。

「太陽光は原則こうした影はできない」

と、僕がコメントを出したようにしか読めない文章でした。
正直、「??????」んなこと言ってないじゃん?できるって言ったじゃん?

……

さすがに、自分の発言と乖離した文章が一人歩きしていることに、合点がいかず、共同通信社の記者さんに電話しました。
「あのー、僕、太陽光でもああいった影出る可能性あるっていいましたよね?」
と。

回答は
「そうですよね、おっしゃっていましたよね。
でも、あのあと政府関係者からも合成の疑いがってコメント出ましたよね。なので、それに沿わない部分は書く必要なくなっちゃいまして。
それに、ちゃんと”原則”って追加したんで、太陽光下で100%出ないってことには読めない文章になってますんで」

はい?


出たよ、メディア用語の「原則」。んなもん、報道機関以外では通用しないんだってこと、知らなかった? みんな優しいから通じてるフリをしてくれてるだけ。




政府の発表と違う部分は削除?
「原則」ってつければ、違う場合も許容される?

もう、なんか悲しくなってきました。
ただ単に、噂に真実味を持たせるためだけに、映像作っている人間なら誰でもよかったんでしょうね。
肩書きと実名が欲しかった。合成の疑いを否定しないコメントだけ載せる。

なんのための取材なんだろ。


この「映像屋」さんのブログでは、この後の部分にとても大きく共感した。




……「報道」というものに本当に失望しました。
自身の関わった作品や、今までの活動を全否定されかねない、こういった事態を招いた軽率な取材対応をしてしまったことに、心身ともに疲れました。

ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません。

これからは、こういった取材は一切お受けしないことにしたいと思います。
自分の本分は、いい映像をいっぱい作ることだ!
がんばるぞ。


こうして、「まじめな人」がメディアではしゃべらなくなっていくんですよ。




コメントを「書き換える」(言ってもいないことを言ったことにする)のはやめましょうよ。そのまま文字起こしできないんなら、「専門家のコメント」なんて必要ないでしょう。参考になる本を買ったり借りたりして読んでるヒマもない記者が「私は何も知らないのでご教示ください」と言って相談に伺うべき。

しかも、このケースでは、単に文章力がないとか基礎知識がない(この事例では「こうかくれんずってなあに?」だとやばい)とかいったことではなく、明らかに「政治的な配慮」(政治家が映像に関してはズブのド素人だということを露呈させないための。誰も政治家に映像検証なんか期待してないっすよ)。最悪のパターン。




政治家が「合成じゃないか」と言ったから……といった、「権威ある者は絶対に間違わない」という誤った前提を、マスコミが「強靭化」してどうするよ、と本気で思う。あるいはこれは、In Soviet Russia... ですか? (←知らん人は勝手にググれ)

(文章力云々の理由でなら、原稿ですら好き勝手に書き換えられたことありますけどね、共同通信ではないし、報道機関ですらないけど、原稿書きのお仕事で。理由は「用語がわかりづらい」。そう言われると抗議できないんですよね。でも「関係副詞」を「関係詞」と書き換えているというレベルのことがあったら「事実と異なる」と抗議するのは当たり前ですよね。そしてクビになるにせよ)※例は想定です。



そして「映像屋」さんのブログには、「取材に応じるほうが悪い」というゲスなコメントがついているわけです。これがインターネットですよ。建設よりも破壊に向いている。合意形成よりも分断に向いている。

お花畑系識者が「ひとりひとりがつぶやけば、それだけで世の中はよくなる」などと言っていた時代もありましたね。(遠い目)

お花畑ヴィジョンを持っているからではなく、信じているから、発言を続けていくよりないと思います。これは合意形成のプラットフォームなどではまったくないという現実を見た上で。



「映像屋」さんがアップデートされている。

2015/01/27 共同通信社さん配信の報道に関して 続報
http://metasan.blogspot.jp/2015/01/blog-post_27.html


全文をお読みいただきたいのだが、一部だけ。

記者さん達の上司で責任ある立場の方たちでした。
内容を要約しますと、

「本当に申し訳ございませんでした。
内容が変わってしまった経緯としては、取材記者と執筆記者が別であり、
記事の内容が膨らんでいくなか、文章量をへらす編集を行った最終段階で、
情報の伝達が不十分な状況で書き換わり、
また取材対象者である田巻に確認を怠ったことから来るミスである。
ミスであり、明らかに間違った内容であるので、早急に訂正記事を出したい。」

ということでした。


やっぱりね。

だから、「カギカッコに入れて扱えないのなら『専門家のコメント』なんかやめちまえ」ってことです。ライター(執筆記者)による書き換えが、例えば「フォトショップ」を「画像加工に使うソフト」のような言い換えや、ウィキペディアで編集するときに「m」をつけるようなレベルであるのなら、まあそりゃ元の発言どおりじゃなくても仕方ないよね、となるけれども、本件のようなのはもう、「執筆記者」があそこまでフリーダムに書き換えられるという時点でシステム不全だと思います。

また、「政府発表が云々、というのは、田巻と話をしていた記者さん個人の発言であり
それが記事内容の変更の理由ではない。」

というところが、一般社団法人 共同通信社としての見解だそうです。
そして、その後、訂正記事の原稿をお送り頂き、本日27日付けの新聞各紙に間に合うように配信して頂きました。東京新聞さんでは30面に掲載していただいているようです。


「個人の発言」はどこまで弁解になるのかというのはありますが、訂正記事を出されたというのは優れたご対応だと思います。28日になってしまったので27日の新聞は入手できませんが、図書館で27日の東京新聞をチェックしようと思います。

ブログ主の田巻さんのますますのご活躍をお祈り申し上げます。お疲れさまでした。

※この記事は

2015年01月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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