「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年01月22日

「他者の苦痛」は、あなたやわたしに考えるきっかけを与えるために存在しているのではない。

「海外ニュース」を見て「日本は」、「日本は」で語りたがるというこの国の一般的なムードに、私は折に触れて中指を立ててきた。私自身、育つ過程で、ヴェトナム戦争は日本のありかたを日本人が考えるためにあるのではないし、エチオピアの飢餓は私たちが消費主義を反省するためにあるのではないということをけっこう考えてきた(そういうお題で書かれた論説文を読んで、小論文を書いた記憶もある)。森茉莉のエッセイでそういうことがはっきり書かれていたものがあって、感銘を受けたことも覚えている。

でも、私が中指を立てるのは、そういう状況が私の外側にあるからだ。






「アサド政権か、ISISか」ではないのだ。

The Syrian resistance: a tale of two struggles
https://www.opendemocracy.net/civilresistance/maciej-bartkowski-mohja-kahf/syrian-resistance-tale-of-two-struggles
The recent book Recovering Nonviolent History finds that a number of nonviolent campaigns in national liberation struggles were overtaken by violent resistance. One major reason for abandonment of civil resistance in favor of armed struggle is not understanding what civil resistance can achieve, and with what benefits for a people’s liberation. The narrative void about civil resistance during ongoing conflict is often filled by armed insurrectionists with their own ideologized discourse, which tries to discredit the effectiveness of nonviolent resistance and underestimates the costs of violence. How this happened in Syria is the story that follows.

1588268705Recovering Nonviolent History: Civil Resistance in Liberation Struggles
Maciej J. Bartkowski
Lynne Rienner Pub 2013-03-31

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ラザン(「アラブの春」の前からの活動家)については、死んだという報告がないから生きているのだと思う。そんな状態だ。

0863567878Syria Speaks: Art and Culture from the Frontline
Malu Halasa
Al Saqi 2014-11-18

by G-Tools


Syria Speaks: an evening of resistance and celebration at the 2014 Edinburgh International Book Festival
https://edinburghfestival.list.co.uk/article/63060-syria-speaks-an-evening-of-resistance-and-celebration-at-the-2014-edinburgh-international-book-festival/



追記:
むろん、「他者の苦痛」を見たあとで、結果的に、自分たちのことを考えるというのは当然のことだし、自然なことだし、正しいことだ。私が言いたいのは、その「正しさ」を絶対化してしまい、自分たちのことを考えるために「他者の苦痛」を利用しようとするのはおかしい、ということだ。そういう態度は、自分たちのことを考えることにつながらない「他者の苦痛」の無視にしかつながらないし、第一に当事者無視の最たるものだ。

Kony2012のハッシュタグが流行る前に、LRAの暴虐はとっくに語られていたし報じられていたし、知られていたはずなのに、なぜ人びとはKony2012の騒動まで気づかなかったのか。

リアルタイムで「ルワンダのジェノサイドを知らなかった」という経験を自分のものとして持ってる立場からは、その鈍感さ(それもまた人間性の一部だ)を含めて、何をどうしたらいいのかということを見つめ続けなければならないと思うんだけど、ここでは何しろ「一国平和主義」だからね。アメリカが爆弾を落とすというときだけ「戦争反対」を叫ぶ人々がいたり、「戦争なんて70年近く前に過去のものになったはず」などと、what planet are you on? としか言いようのないことを(おそらく)真顔で言う人がいたり。

※この記事は

2015年01月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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