「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2015年01月22日

NHKのニュースに出てきたらしい英国のその人物は、「イスラム教を代表する人物」などでは全然ないのでご注意を。



これについて、寝込みそうなのでとりあえず手短に、ツイートしたものを貼っとく。なお、うちにはテレビ視聴の環境がないし、このニュースがテレビでどう伝えられたかは私はわからない。わからないが、音声で聞くと最初に言われたことが頭に残る(最初に言われたことしか頭に残らない)ので、最初のほうで「イスラム教の指導者」と2度も繰り返されればそうだと思って聞くだろう。そのあとで「煽動の疑いで拘束された」云々と言われてもそれが記憶に残るかどうか? ゆえに私はこの記事を読んで寝込みそうになっているのだ。(つまり「デマ」だとか言ってるわけではないのでそこはよろしく。)





















「テロ組織」に対し、外国の報道機関がこんなに気を使ったことなどあるのだろうか。てかNHKは、例えばハマスとかヒズボラ(どちらも国民の支持を一定範囲で得ている大政党)についてこういう扱いをしているんだろうか。

というよりぶっちゃけ、まじめな話、「これ、広告代理店、どこですか」ってことですよね。(アラブについて「未開人」扱いした非常に不愉快な差別発言が日本語圏では非常に当たり前のように見られるのだけれども、カネ持ってて「洗練されたメディア戦略」が必要だと思ってる人たちは、世界のどこであれ、西欧社会と特に大きな格差はないですからね。ISISはしかも西欧社会に拠点のある人と深くつながってる。シリアのアサド政権や、一時期のリビアのカダフィ政権がいかに洗練されたPR戦略をとってきたかはみなさんご存知でしょう。)

シリアの大統領夫人、アスマ(アズマ)・アサドについてどのようなPRがなされていたか。
http://matome.naver.jp/odai/2134324231886917601
ロンドン生まれでロンドンの「お嬢さん学校」を出たインテリで、金融業界でキャリアウーマンの道を進んでいた彼女は、「西洋」にとって非常に「親近感を覚えやすいタイプ」だ。彼女が「大統領夫人」になったのも、付き合っていた男(物静かな眼科医)がたまたま大統領の次男であり、たまたま長男が交通事故で死んでしまったからだ。民衆の苦しみの上にあぐらをかいている「《遅れた国》の特権階級」ではない……彼女はそのように見える人物だった。実際、彼女は《欧米》の女性たちの多くと「同じ言葉」をしゃべっていた。夫のバシャールも、ロンドンで医学を修めていたという経験もあり、また父親とはタイプが異なる人物という評価もあり、極端にいえば「改革派」の印象を与える人物だった。

だから2011年3月に(チュニジア、イエメン、エジプト、バーレーン、リビアに続いて)、シリアでの動きがかなり組織化された「反政権運動」(#Mar15のハッシュタグ)となって現れ、それに対する政府の武力弾圧が行われたときも、同じタイミングで注目されていたリビアのカダフィ一家の暴虐っぷり(それでもカダフィの次男は、あのテレビ演説までは、「西洋に通じる《言葉》をしゃべる開明的な二代目」と思われていたのだが)のかげになったこともあろうが、「まさか、あの西洋化された人が」という驚きが広がった。

そして「アズマは悪くない」という方向で思考が展開し、「アズマ犠牲者論」が出てきた。いわく、先代大統領で1982年のハマの虐殺などを行なったハーフィズ・アサドの妻(バシャールの母親)が、アズマにやりたいようにやらせていないのだろう、アズマがまともに動けていればこんな暴力は起こらなかったに違いない……そういう思考がなされた(これも「正常化バイアス」というのだろう)。


ま、この件はアスマ・アサドよりも「シリアの国連大使の娘、シェリー」のほうがすごいんですが。

※この記事は

2015年01月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 04:07 | TrackBack(2) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

ようやくアンジェム・チョーダリー起訴。容疑は「イスイス団支持」関連(後藤さん拘束時にNHKが「指導者」として紹介していたイングランドのイスラム過激派活動家)
Excerpt: ふと距離を置いてみると、すごいことになってることに気づく。故テッド・ヒース(エドワード・ヒース)とアンジェム・チョーダリーが二本立て状態だよ。どっちも "About time!" ..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-08-06 06:01

英国で何人も「感化」したイスラム過激派の活動家、アンジェム・チョーダリーに有罪判決
Excerpt: "About time!" と反応している人がいるとおり、「今更」感のあるニュースだ。アンジェム・チョーダリー(チョードリ、チャウダリなどカナ表記はいろいろある)がようやく、有罪判..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2016-08-17 23:36

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。