「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年01月20日

「私がゲイであることは、私という人間の一部にすぎません」……アイルランド共和国閣僚のカムアウト

アイルランド共和国は宗教保守の色彩の強い国だ。英国からの独立のときにいろいろあって、なぜか最終的には教会(カトリック教会)が政治的権力を握ってしまった。その過程の断片は、東京などでロードショーが始まっている映画Jimmy's Hall(邦題は……『ジミー、野を……すいません、覚えてない』)でもわかりやすく描かれている。(Jimmy's Hall見て、私、正直、北アイルランドのプロテスタントちょっとに同情しました。でもあのシェリダン神父はイアン・ペイズリーの精神的双子ですけどね)

アイルランド共和国では女性の堕胎(妊娠中絶)は非合法だ。避妊も離婚も「婚前交渉」も、宗教的戒律(カトリック)のもとで、とうてい「西欧先進国」らしくない状態にあるが、堕胎は特にすさまじい状態で、病気で生命の危機にさらされている妊娠中の女性を救うには堕胎するしかないというケースでも病院が堕胎を拒んだために女性が死んでしまったことがあるし(しかもその女性がインドからの移民で、カトリックではなかったというのがあまりに悲惨)、もっと最近では、妊娠中の女性が脳死状態に陥って、胎児を死なせないためにその女性を生命維持装置につないでいるとかいうことが起きて、議論だけは「国民的議論」が起きているらしい。しかし……この話続けていると不要な不機嫌を生じさせるだけなのでこの辺にしておく。本題じゃないし。

そんな保守国家だが、同性間の性的関係については、今は比較的オープンだ。2013年の調査では73%の人々が「同性結婚は憲法の下で許可されるべき」と考えており(ちなみに「結婚」はキリスト教のもとでは宗教的なものである)、既に2010年には同性カップルの「シヴィル・パートナーシップ」が始まっているが、2015年にはさらに「結婚」を認めるかどうかのレファレンダムも予定されている。90年代以降じわじわと社会的認知が拡大してきているさまは、ウィキペディアに端的に述べられている。(なお、流れを変えたのは2009年に33歳の若さで急病死したポップスター、スティーヴン・ゲイトリーだろう。1999年にやむなくカムアウトしたのだそうだが。)
http://en.wikipedia.org/wiki/LGBT_rights_in_the_Republic_of_Ireland

法的環境を変えたのは、2011年の大統領選挙に立候補していたデイヴィッド・ノリスだ。ゲイであることをオープンにしていた彼が1980年代にたくさん尽力したことで、ずいぶん環境が変わったのだそうだ。

そんなアイルランドで、先週末、またひとり政治家がカムアウトしたということが大いに話題になっていた。






Leo Varadkarという名前を、私は知らなかった。彼のカムアウトを伝えるツイートのいくつかから、「閣僚の一人だ」ということは把握したのだが、失礼ながら変わった名字なので、「きっと東欧系の移民の子で、FGではなく連立パートナーの労働党の人じゃないか」くらいの雑な第一印象を抱いていた。

全然違ってた。

自分の先入観を恥じるばかりだが、Leo VaradkarさんはFGの政治家だ。(FGといえば、映画『Jimmy's Hall』でジミーをいびっていたオキーフらの「青シャツ」だ。いつまでもこれを言うのはフェアではないのだが。。。)

http://en.wikipedia.org/wiki/Leo_Varadkar
Leo Varadkar (born 18 January 1979) is an Irish Fine Gael politician who has served as Minister for Health in the cabinet of Taoiseach Enda Kenny since 2014.


1979年生まれ、現在36歳という若さで、昨年エンダ・ケニーに抜擢されて保健大臣。将来的にはFGのトップに、と期待される若手だそうだ。選挙区はダブリン・ウェスト。「変わった名字」なのはお父さんがインド系だから(インド系の一般医とアイルランド人女性の夫婦に生まれた息子で、自身も医師である)。

そのヴァラドカー大臣が、誕生日である1月18日にRTEのラジオのトーク番組に出て、自身がゲイであるということを公にしたのだそうだ。





















この「(ゲイであることは)私を定義するものではない」という発言は、ウィキペディアに引用されている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Leo_Varadkar
During an interview on national radio on 18 January 2015 (his 36th birthday), Varadkar spoke publicly for the first time about being gay. He said: "it’s not something that defines me. I’m not a half-Indian politician, or a doctor politician or a gay politician for that matter. It’s just part of who I am, it doesn’t define me, it is part of my character I suppose".

「私はインド人のハーフの政治家ではないし、医師の政治家でもないし、ゲイの政治家でもありません。それは私という人間の一部に過ぎません。その一部が、私を定義することはないのです」







んで、人々は「大臣がゲイだなんて」と驚くより、「えっ、まだ36歳だったの」と驚いているというのが、アイルランド可愛い。

また、リパブリカン筋(反FG)は「重要なのは、性的指向なんかより、病院運営の能力じゃないの」と文句を言ってる(通常運転)。




同性愛についてこんなにオープンになれるんだから、女性の「選ぶ権利」も、いつかは……と思いたい。Pro-lifeの活動家(の一部)の過激な主張とどぎついプラカードを見るとこっちが病気になりそうな状況だけれども。

でも「結婚」はそうすんなりとはいかないかもしれない。イングランドでも、「シヴィル・パートナーシップ」と「結婚」とでは、宗教界の対応はまるで違っていた……「結婚」には明確に反対していた(が、最終的には、宗教は政治から置いてけぼりになることを選んだような形だった)。




と、そんな深刻な側面もありつつ、これですよ、これ。






や、このハッシュタグの使い方、別に変じゃないですよね(ぎこちないことはぎこちないけど)。なぜまぜっかえされているのかよくわからないけど、アイリッシュの「まぜっかえし芸」は笑える。いかに「意味」を出さないかをよく考えてる。(笑)

The Journalの概観記事。




大臣のカムアウトを伝える新聞一面の特集:
http://www.broadsheet.ie/2015/01/18/de-monday-papers-87/




アイルランドの大臣のカムアウトが日本語の記事にもなっててびっくり。


※この記事は

2015年01月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:00 | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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北アイルランド、ゲイ男性の献血禁止継続
Excerpt: 北アイルランド自治政府では、2014年9月にリシャッフル(内閣再編)があった。といっても現在の北アイルランドの政府(exective)は、いわゆる「与党」が組閣するのではなく、議会(assembly)..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-01-22 23:02

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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